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2009年11月27日 (金)

輝く教会の屋根(畑の遥か彼方)

天候の良い昼間は、それなりにドイツの旅も楽しい。

Scan0002マインツの南、ヴォルムス辺りであった。小高い坂を登り詰めた道路わきで、数人の人がビールを楽しんでいる。
道を尋ねるついでに、宏は「売ってくれないか?」としゃべってみた。
「全部か?」
「1本」
「プレゼントするよ」
栓を抜き、宏はすぐに仲間に加わっていく。道路わきの駐車場である。
『君のような輩(やから)が何人も来てはたまらない』という素振りで、足元にビールを隠す仕草をしてみせる。
一緒になってワーワー騒ぎつつ喉を潤した。
珍しい遠方日本からの客だ。しかもヨーロッパ縦断中である宏の話題は豊富だ。
「アルプスをこの自転車で越える」
「ヘーー」
「ローマまで行く」
「無理。無理!」 と、半信半疑顔。
 日欧文化の違い(昼間から路上で酒を飲んでいることなど)を論じ合った。
何かお礼がしたかった。
ふと思い出してリュックから日本のたばこセブンスターを取り出し一箱プレゼントする。
代わりにポーランド製とかのたばこを勧められて吸った。
セブンスターと似た味で、うまい。これはフィルター付き。
 前にどこかの街角で、やはりポーランド製の紙巻きたばこをを勧められて吸ったことがあった。あれはフィルターなしだったけど、少し軽かった。
ドイツへの電車の中でジプシー風の女性から手ほどきを受けて、紙巻きたばこを自作して吸ったこともあった。
 そんな事を思い出しながら、みんなと一緒になってワーワー騒いだ。

辺り一面には麦畑が広がり、畑のはるか向こうの方に、教会の屋根が明るく照り映えていた。

動く看板
 快調に自転車を飛ばしている。辺り一面にいちご畑が広がっていた。
前方に直販売の小屋がある。
 「グーテンターク(こんにちわ)」 と、声をかけながら止まる。
「いくら?」
「3.5マルク」
「私には量が多い。半パックだけ売ってくれないか?」
「3マルクにしてやるから、そこで食べてってくれ」
「心得た。OK」 と、みずから動く看板になる。
気持いいほどに次々に車が止まり、イチゴを買っていく。
車からバケツを取り出して来て、いちごを取りに畑に入って行く!
『 もうチョイ、まけさせても良かったかな?』 と、思いつつ、うまそうに宏はイチゴをパクついた。
口の周りがイチゴで真っ赤だ。
 真夏の太陽がまぶしく光り、宏の顔や手足を明るく照りつけていた。
Scan0001

バーゼル近くのホテルにて

6月11日 『 21時過ぎ。 洗濯をしている真っ最中。 所はバーゼル(スイス)直前の中国系ホテル。 洗濯はこれで四回目だ。 黄色いウインドブレーカーも洗った。 洗濯液が真っ黒! 気持ちが悪くなるほど汚れている。 特に襟首(えりくび)がひどく汚れている。』

昔、ながら族 という言葉があった。今宏は洗濯をしながらこの日記を書いている。随分と器用になった。『 家内にみせてやりたい。』と、思った。
Scan0001_2

悪路

 今朝はラストという小さな田舎町を立ち、ブライザッハから再度フランス入りした。そこから宏は大変な悪路に迷い込んでしまった。
いつもの如く、橋のたもとでブラブラしている人を捕まえて、道を尋ねた。
(雨上がりでもあり少し不安を感じて)「悪路じゃないのか?」とは聞いてみたが、そこはフランス人(?)である。
地面を指しながら「ノン。ノン。この位の道が続き、悪くない。」
その返事を鵜呑みにしたのが最悪だった。 折からの雨で泥道、砂利道の連続である。 『もうちょっと進めば良くなるのだろう。』と進む内に、引き返せなくなった。
というよりも、引き返すのは何か損をしたみたいで、引き返す代わりに強引にでも前進するのが宏は”好き”なのである。

 これが祟って、とうとう15キロ余り、悪戦苦闘する羽目に陥った。
両側から山が迫っているコブレンツ~マインツ間は、川沿いの道をただひたすらに走れば道に迷うことはない。 しかし、中原の平野部は違う。 三日月湖あり、砂州の原あり、水路ありで、川沿いに走るのは容易なことではない。

 今、宏は水路とライン川とに挟まれた、細長く延々と続く帯状の砂利道を走っている。 物凄い振動!
段々と雲行きが怪しくなってくるし、宏は気が気ではない。
時折、車の走っている音が右手に延びる水路の向こうの方から聞こえてくる。
意味は分からないが、注意書きらしい看板がたびたび現れる。
「行き止まり」である可能性も充分にあった。

 幸い行き止まりではなかった。 やっとの思いで水路引き込み用の建物までたどり着き、その悪路から抜け出せた。 アスファルト道路にホッとする。
 束の間、宏は異様な音に気が付いた。自転車を止め、調べてみた。
荷物台の金具が2本とも折れていた! 改めて振動・衝撃の大きさにびっくらこいた。
ゴムバンドでサドルにくくり付けるという応急処置をする。
 心配はしたが、そのまま走り続けることが出来、『 パンクもせず、かわいいやつ。』と思った。
Scan0003

英語を話すのは英国人だけ。

 雨も上がり、舗装道路ともなれば、気持はいつもの陽気さに変わる。 菜の花畑が綺麗に広がり、思わず写真に収める。

 付近の子供達を相手に「アン、ドゥウ、トゥウ、カトゥル、・・、ボンジュール」と、フランス語のレッスンに余念がない。
ついでに日本語では「いち、にい、さん、しい・・」だと、指折って教えてあげる。
どこの国でも子供は呑み込みが早い。発音も正確に捉えられる。
 子供達に飽きられない内に切り上げて「さよなら」を言い、またサイクラーに戻っていく。

 遠くの田舎町がまるで箱庭のように見える。 その向こうの山波はドイツ。
ライン川を挟んだこの地域も、歴史の中でフランスになったり、ドイツになったりと激しく揺れ動いて来たのであろう。素直に乙女チックな感情を味うのであった。

 『 数多くの教会や城を見て来た。大聖堂もいいが、片田舎の教会や崩れかけた城も、なかな良い。 ライン川も下流から上流にかけて数百キロ見てきた。 ローレライで有名な[コブレンツ~マインツ]間もいいが、途中途中の変化も仲々良かった。 この1週間、エメリッヒを起点としてドイツ国内をライン川沿いに上って来た。 毎日のように「雷」を伴う大雨が降り、段々と水かさが増したせいもあるのだろうが、なんだか上流に行くほど川幅が増したように思えるのは気のせいであろうか?

『 昨日(6/11)で、ちょうど2週間が過ぎた。 旅半ば。 旅慣れたと言えばその通り。 日本人にはめったに逢わない。 知っているわずかな単語とパントマイムの世界で、ドイツ語の学習が続く。 たまに日本語を耳にするとびっくりしてしまうし、返事を英語やドイツ語で発声しようとしてしまう。』

 コブレンツのユースで日本人の女の子(スペインに3年間、遊学中)に声を掛けられた。 朝食時にたまたま座ったら、日本語で話しかけて来たのだ。 それまでの印象は、スペイン系か南米系というイメージだったのでびっくりした。(以下は久々の日本語)。

「随分と大胆だなあ。親がよく許してくれたね」
「もう慣れているでしょう」
「私の長女も大胆娘で、一年間アメリカに行ってたんだ。親は心配なものだよ」
「アメリカの何処?どの辺り?」
「ユタ州だ。ソルトレークシティー。ロッキー山脈の辺りだ」
「留学ですか?」
「交換留学生として行ったんだ」
「それは良かったですね」
「日本に帰って来て一ヶ月後に、例の服部君射殺事件があってね。知ってるかな?」
「ええ、聞いてる。親が電話で知らせてくれて、うるさかった」
「親ってそんなもんだよ。既に自分の娘は帰って来てはいたんだけど、ぞーっとしたよ」
「私は大丈夫。色もこんなに黒いし、日本人にみられないから、その点安全!」
「気をつけなさいよ」
 「ありがとう」

彼女の食事が進まなくなった。
まだ皿の上には大きなサンドイッチが一つ乗っかっている。
周囲に気を配っている目つきでチラチラと見廻している。
(どうしたのか)と、いぶかしく思って見ていると、足元に置いてあったリュックサックを引き寄せチャックを開けると同時に、皿の上のサンドイッチを静かにさっと仕舞い込んでしまった。 宏はちょっと興醒めした。
「昼御飯にするの」
「あんまり品の良い行為じゃないね」
 「へへへ」 少しばつの悪そうな顔が、せめてもの救いであった。
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 『 そのユースには韓国からの三人娘もいた。その一人は日本語を勉強中とのことで、盛んに日本語で話しかけてくる。返事は他の二人にも分かるように英語が中心になる。自然にそうなるから不思議と言えば、不思議だ。』

 ケールのユースでは香港より三日前に来たという学生と一緒になった。 ここでも英語・ドイツ語のチャンポンである。
 面白いことに、Japanese English という言葉があるが、中国人は Chainese English を話すらしい。
同様に、これまでに会ったドイツ人・フランス人は、それぞれに母国語の発声法を含んだ発音をしている。

「日本人が Japanese English でも悪くない」と、思った。 要は自信を持って(足らないところを身振り手振りで補いつつ)自分の意思を表す事であろう。 不思議なもので、何をしゃべっているか、特に自分の関係するものならピンと来るようになり、瞬間的にヤー(Yes)とか、ナイン(No)とか応答できるようになってくる。
少し後のイタリアでの話だが、ある数名のグループとケーブルカーに乗り合わせた。その時随分と綺麗な英語で話しかけられたので、瞬間的に、「あなた方は英国人か?」と聞いてみた。 その通りだった。
そんなものだ。English English を話すのは英国人しかいない。 アメリカ人でさえ、アメリカン・イングリッシュである。』
 それまで宏は外国人コンプレックスもあって、小さい頃から英語の発音にはひどく神経を使っていた。 宏は急に、悟ったような境地になれた。
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