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2011年5月 4日 (水)

宏の災害ボランティア記-1(海岸に打ち上げられた免許証)

 東北震災の45日後、宏は岩手県の海岸で免許証を拾った。確か28歳でその若い男性の写真は明確だった。一ノ関の現住所。大型の財布の中にそれはあった。中にはJAのバンクカードやカラオケカードなどが数枚。現金は無し(?)。
 付近には真新しい船外機も打ち上げられていた。まだ行方不明者が1万人以上いる時期だ。この人もその一人なのであろう。付近を見渡してみた。近くの切り立った海岸に船板残骸も打ち寄せられている。
『ひょっとして遺体も?』と思って、足場の悪い狭い浜辺を歩いて見た。
付近に夏祭りの浴衣姿数名が歩いている写真があった。免許証の主のものかどうか不明だが一緒に拾った。
 穏やかだが太平洋の大波がダイナミックに打ち寄せていた。

 村里への帰り道で土砂降りの雨になった。その狭い道脇に派出所の看板があった。数メートル引き返して玄関ブザーを押す。若い奥さんが顔を出す。
「海岸で免許証入りの財布が落ちていました。届けに来たのですが、、」
「ちょっと待って下さい。今、表を開けますので。(主人は)出かけていますが、帰って来るように連絡しますのでお待ち下さい」。
 熱いお茶を出してくれた。この数十日、お湯を沸かしてお茶を入れることも稀だったので、有難かった。

まもなく警察官が帰って来て話になった。
「何処で拾われたのか?」
「三つの穴が開いている大岩のある海岸と、椿が大量に植え込まれている海岸との中間付近の波打ち際で見つけました」
「この辺りだな」と、大きな地図で確かめている。
「他にキャッシュカードやカラオケカードが入っていました。その写真は付近に落ちていたものですが(持ち主が一緒かどうか不明ですが)一緒に持って来ました」
「現金は無いようだが・・」と上目使いに盗み見る。
「無かった。私が抜いたのなら、わざわざ此処に届けに来ませんよ」
穏やかな顔に戻って、住所氏名など書いた後、震災の話になる。
「4月1日に広島を立ち、福島県相馬市で10日間、宮城県気仙沼本吉町で5日、北上して八戸⇒宮古⇒で海岸線沿いに南下し山田町ボラセンで9日間活動後、海岸線を南下して来た者です。宮古市の野田町辺りから女川原発のある女川港までのリアス式海岸は何処も同程度にひどい被害ですね」

「我々も炊き出しや遺体捜索に加わった・・」
 大降りの雨はまだ続いている。

「この雨、今夜まで続くのだろうか?」
「天気予報では一時的な雨とのことだが・・」
「先ほど、米だけは道路ッ傍でといだのだけど、雨がぱらぱらして来て、未だ炊けていない。ここで(ポリボックス内で)炊かせてくれませんか」
「だめ。十数キロ先にキャンプ場がある。そこで炊きなさい。」
『こりゃだめだ。』と思った。
「・・ボランティア者と事務局とはなかなか上手くはいかないものらしいですね。被災者が主人でボランティアも事務局も脇役のはずなのに・・」
「事務局員の多くは社協(社会福祉協議会)らしいけど」
「御役人仕事だからね」
「(そういう)貴方も御役人のはずですよね。先を急ぎますので失礼!」

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