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2011年5月

2011年5月24日 (火)

2019/01/01 謹賀新年:Merry Christmas & a Happy NEW Year ! Rumi Oyama 武子様 智雄様 中山保健師様、美味しいお話でしょ スパコン占

 沢山の 人に会えたよ クリスマス
帽子付け 昼寝の私を 観る民委
注釈:丸坊主頭で寒いので、防寒帽子をかぶったまま昼寝していたら、民生委員の土屋さんが澄子の様子を見るために、フイ訪問して下さったのを思い出して作った句です。俳句としての出来は今一ですが、懐かしくあの時の事を思い出します。澄子(当時澄子は84才:2019/02/27/に満95才の誕生日を迎えます)母さんも、きっと覚えていると思います。
 
昨日来た 医者がまた来る 村の里
 
クリスマス こんなに起こる 奇跡の数々
 
 古寺に 感謝を伝えた クリスマス
古寺とは蓮教寺のことです。我が家からは目と鼻の先の距離にあり、除夜の鐘は毎年のように突きに出掛けます。
 
 神の愛 仏の慈悲も 同じもの
 
 思い出す 家族五人の クリスマス
 私には姉と弟がいます。親子五人で子供の頃クリスマスを祝ったことを思い出しました。今日のクリスマス会は、母と私だけです。

 母と子の 二人だけでの クリスマス
 
 楽しくて あちこちTELする クリスマス
 
 クリスマス こんなに楽しい ものだった?
 
 小悪魔の 行動怪し 川源村(かわもとそん)
 
 キリストは ほんとにいたのね クリスマス
 雪舞う夜 坊主頭で クリスマス

       丸頭(がんとう) 2010/12/25
以上の13句は(離婚騒動の真っ最中に)母澄子と私だけで迎え祝ったクリスマスの夜に作った俳句です。以下3つは、短歌のつもりでしたが、季語が入っているのかな?
 丸めても 丸めても伸ぶ この頭、
         
仏の道の 遠きこと知る
 こだわるな こだわるなにも こだわるな
    そうは言っても こだわる我が空(くう)
 空海も イエスも 釈迦も 通りきし
         この苦行道 何と遠きや
        丸頭(がんとう) 2011/5/24
 この当時、私は丸坊主にしていました。それ故、俳句/短歌の作家名を,丸頭(がんとう)としたのでした。東北大震災(2011/ 3 /)直後(/ 24~)のボランティア活動中も、五厘(五リン:五輪?)カットの丸坊主頭でした。ボラセン(ボランティア・センター)のみんなからは『爺(じい)≒ G(ジイ)』と呼ばれていました。私は『ゴルゴ13のGだ』と勝手に解釈して気に入ってました。
PS,・・・でもね、2018/12現在、私の実年齢は70才であるにもかかわらず、スパコン(スーパー・コンピュータ)は、『あなたの精神年齢は、28才です!この1年間は、34才から24才までの間で変動していましたよ』と、占ってくれているのでした
『来年以降は?』という質問ですか。それはあなたの心がけ次第なんだそうです。
あなたもブログを3か月も書き続ければ、グーグル(Google)のスパコンが無料(ただ)で常時あなたの精神年齢を占ってくれるのです。美味しい話でしょ。
  2018/ 12 / 28 追記 ひろ.おおやま(大山宏)
来る新年があなたにとっても素晴らしい1年であることを心から祈り願っております!
From Hiroshima TOYOSAKA-CHO(豊栄町)
〒739-2313 東広島市 豊栄町 清武 2463
 携帯電話番号:080-6559-6060 (大山宏)

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2011年5月21日 (土)

「澪つくし」の舞台からかかって来た電話

 「・・銚子の青柳です!」と、電話の主は名乗った。優しくて明るい女性の声だった。
『?』
思い出せずにいると再度「銚子の青柳です」と繰り返してくれた。
そこではた気が付いた。昨日妻との合作で、テレホンカードを送ってくれた御礼の手紙を添え、その青柳さんに、”お菓子”をお送りしたのだった。

 4日前でした。朝チェックアウトを済ませた後は、その日の旅の全てを妻に任せることにしていた。妻は一つ先の終点「外川駅」まで、切符2枚を購入して来た。素直にそれに従った。
Photo

終着駅に降り立った時、私の目に1枚の古ぼけたポスター写真が目にはいった。それは、NHKのドラマ”澪つくし”のポスターだった。3人の娘役と男優の写真を背景にした番組案内用ポスターだった。
『ここは、その舞台なのだな。』と、私は思った。

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2011年5月20日 (金)

ヤビツ峠・噛ませ犬・展示会 常務 チャージ休暇 示唆 枕と相談

 宏はヤビツ峠越えの山道を、猛スピードで引き返していた。川沿いの細い蛇行道。何度か対向車と鉢合わせになった。真昼間だが、ヘッドライトを点けたまま走った。・・・
 5日前の水曜日、宏はS重役・T重役に、メール報告をした。S重役からは、直ぐに返事が来た。『・・秦野に来てくれ・・』とのこと。しかし、T重役からの返事が来ないのであった。『何時も即御返事が頂けるお二人なのに、直属の上司であるT重役からの返事が届かない???』
『 何かご機嫌を損ねるような文章でもあったかな?』
読み返してみると、丁寧さに欠けるようにも思われた。段々と焦りが出て来た。・・
 翌日は技研に出社した。展示会資料にお詫び状を添えて階段を登って行った。 「重役居られます?」
秘書:「・・、長期のチャージ休暇中です。15日まで出社されません。」
宏は途方に暮れた。14日が、社内向けの展示会。
『・・展示会に出品出来ない。どうしよう?』
「今常務が来ておられますので、聞いてあげましょうか?」
「そうして。そうして。お願い!」
 3時間後、「とりあえず、社内展示会の出品OK。」の伝言があった。ほっとした。 伝えに来た秘書嬢に、立ち上がって深々と頭を下げた。

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2011年5月19日 (木)

社長と専務(続々)

 それから何ヵ月か経ったある日、数人しかいない社員の内の,やりて課長が社長室に怒鳴り込んで来た。

『社長は独断が過ぎる!突然に全ての預金通帳や印鑑を持ったまま出張するなんて言語道断こんなのは会社じゃない。発展的に解散すべきだ!
 この会社は専務と社長の二人で築いて来た会社でしょう?
専務には会社財産の半分を貰う権利がある!
手始めに,10万円を毎月,専務の個人通帳に振り込みなさい。話はそれからだ。社長の顔なんか見たくもない。早くいなくなってくれ!』

『・・、専務には会社収益の内から少なくとも毎月15万円位を支払っていることになるんだが、』
『?』
『専務は昨年末からこの会社には出社しないで、別の関連会社に出向出勤してるだろう?、住み込みで働いてもらっているんだが、その毎月の謝礼は筋から言えば、出向元のこの会社に支払われる性格のものでしょう?
 当世、人一人、住み込みで働かせれば、少なくとも、月15万円位は必要だ。その金が(小さな会社同士の間柄なので)この会社を経由しないで直接出向者の専務に手渡されているという訳だ。』
『そんなのは屁理屈だ。専務は支度金も一切持たされず、肩身の狭い思いでやっている!!!.』
『支度金は渡したよ。貯金通帳にその証拠が残っている。』
やりて課長は『その件か』という顔で、
『年末に社長が預金通帳や印鑑などを全て持って出かけそうなので、専務は社長のカバンから(こっそり)郵便貯金通帳を抜き取っておいた、と言っていた。私達はそれを聞いて、良くやった!と拍手喝采したんだ!』

 なんだ、私が最重要の郵便通帳をウッカリ入れ忘れた(落とした)んじゃなかったのか。
これでは益々、会社を解散する訳にはいかないぞ』っと、社長は思った。

         (おしまい)

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社長と専務(続)

 不思議だった。『印鑑は確かに持ち出していたのに何故?』

明くる日、社長は少し遠くにある郵便局に足を運び、事情を話して調べてもらった。
12/27 の2回の引き出しは、会社から数10km離れた場所にある西条市であった。ご丁寧にも,30万円と20万円は、数百メートル離れた端末から引き落とされていた。
 1/7 に引き出されていた取扱店は会社の近所の店であった!

 社長は知らなかった。カードの暗証番号が推定できれば、預金通帳だけで数百万円でも数千万円でも引き出し可能であったのだ!
それが出来る人物は専務以外には考えられなかった。

社長は思った。
『専務は問い詰めれた時の答えを準備しているらしい。問い詰めたら会社が危ない。これは、私が引き出して専務にブレゼントしたのだと解釈しておこう』。

瞬く間に1ヶ月が過ぎ去ったある日、専務は社長に向かって『 話がある。』と切り出した。文句たらたらの後、
『急な出張時に運営資金も生活資金も、これまでにもらったことはない。』
『・・?、確か、現金で手渡したはずだけど、』
『?』
『年末の出張時には50万円、年明けの仕事初めには20万円手渡したじゃないか・・』
『・・??、』
『通帳にちゃんと記録も残っているよ、12/27,30万円、12/27,20万円、1/7,20万円とね!』

 専務はニヤリと笑ってから、
『わかってたのか?それなら、その気が付いた時に言ってくれればいいじゃないか。何故,1ヶ月も黙っていたのか?』
『君は答を用意してただろう?、その議論になったら会社はつぶれるんだ。だから私は、私が自ら引き出して専務にブレゼントしたんだと解釈したんだ』。
『・・もっともっと沢山の金額が引き出せたんだけど、70万円で止めといたんだ』。
『冗談じゃない、数百万も数千万も引き出されていたら、即,警察署に届けなきゃならなくなる。そうしたら君は監獄に入ることになっちゃう。会社を潰す訳にはいかないヨ』。

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2011年5月18日 (水)

社長と専務(大人のイソップ物語)

 昔ある所に社長と専務数人の社員がいるだけの、小さな会社がありました。
社長は優しさだけが取り得の性格で、人にだまされることがしばしばありましたが、なんとかこれまでその会社はつぶれることなく、運営されて来ました。

 ある日急用があって社長は出張して、何日か会社を留守にする事になりました。その時何を思ったか、その社長は幾つかあった貯金通帳や生命保険証書と実印など全てを旅行かばんに詰め込んで、出掛けたのでした。

 出張は長引いて、社長は中々帰って来ません。
専務は気が気ではありません。そこで専務は、『郵便貯金通帳と爪切りを預かり申しそうろう。』という文章のメールを社長の出張先に打ちました。
妙な不安を感じはしましたが、社長は取引に忙しくて、そのメールに対しては返信しませんでした。

 その内に出張先での仕事も済み、社長は帰って来ましたが、貯金通帳のことをすっかり忘れていて、別口の出張に度々出掛けて行きました。

 1ヶ月が過ぎ、確定申告の時期がやって来ました。
『書類作成上、郵便貯金通帳の打ち出しが必要だ。確か爪切りと一緒に専務が預かってくれているのだったね。返してくれるかな』っと、社長は言った。
専務は『はい、どうぞ!』っと、それらを差し出す。
 受け取りはしたが忙しい最中だったので、ポケットに詰め込んだ。

 後で通帳を開いてみてビックリ!
70万円という金が数回に分けて、通帳から引き出されていたのだった。
???
        ( 続く )

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2011年5月17日 (火)

尾道の養老温泉にて『ぼけたらあかん、長生きしなはれ』

 雲行きが怪しいので引き返したら大正解!こちらも朝から吹雪が続いています。寒い寒い!そこで尾道の奥の『養老温泉』に行って来ました。一週間ぶりの風呂です。満足満足!その養老温泉に掲げてある文章が気に入ったので紹介します。

  ぼけたらあかん長生きしなはれ!

 年を取ったら出しゃばらず、
            憎まれ口に泣き言に、
人の陰口愚痴いわず、
           他人のことは褒めなはれ、
聞かれりゃ教えてあげてでも、
          知ってることでも知らんぷり
何時でも『アホ』でいるこっちゃ、
           勝ったらあかん負けなはれ。
いづれお世話になる身なり、
             若いもんには花持たせ、
一歩さがってゆずるのが、
            円満に行くコツですわ。
何時も感謝を忘れずに、
           どんな時でもヘエおおきに、
お金の欲を捨てなはれ。
           なんぼゼニカネあったとて
死んだら持っていけまへん。
            あの人はええ人やった、
そないに人から云われるよう、
           生きてるうちにバラまいて、
山ほど徳を積みなはれ、

 と云うのはそれは表向き、
         ほんまに『ゼニ』を離さずに、
死ぬまでしっかり持ってなはれ、
        人に『ケチ』やといわれても、
お金があるから大事にし、
       皆んな『ベンチャラ』いうてくれる。
内証やけどほんまだっせ。
           昔のことはみな忘れ、
自慢話はしなさんな、
          わしらの時代はもう過ぎた、
なんぼ頑張り力んでも、
          体がいうことききません。
あんたはえらいわしゃあかん、
          そんな気持ちでおりなはれ。
我が子に孫に世間さま、
          どなたからでも慕われる、
      ええ年寄りになりなはれ
ボケたらあかんその為に、
           頭の洗濯生きがいに、
何か一つ趣味持って、
         せいぜい長生しなはれや。
現役を引いた全ての男女に当てはまる名文だと、思いませんか?

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2011年5月16日 (月)

阿修羅が勝利する日

阿修羅は正義の神様だそうです。
昔インドでのお話しらしいですが、そこには力の神様も住んでいたとのことでした。力の神様の名前は忘れました。確か、帝釈天とか呼ばれていたようです。

阿修羅には一人の娘がいました。力の神様(帝釈天)は力づくでその美しい一人娘を奪ったのだそうです。父親の阿修羅は怒りました。そして、帝釈天に戦いを挑みました。しかし帝釈天は力の神様ですから、正義の神様である阿修羅には勝てる訳ありません!
何度も何度も戦いをしつこくしつこく挑むのですが、帝釈天に勝利することが出来ません。
終いには阿修羅は天空から追い出されてしまったのだそうです。

 数千年経った現代に於ても、突然思い出したように正義の神様である阿修羅は復活して、帝釈天に挑戦するのだそうですよ、あの形相で!

平成の月光仮面も、マンハッタンを駆け巡るスーパーマンも、阿修羅の生まれ変わりらしいですよ。月光仮面が時折見せるあの怒りの表情は、阿修羅の現れだった?

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2011年5月15日 (日)

噛ませ犬 ドカベン 火傷 自殺も発狂も出来ない技師長 

今晩は!大山宏です。
ふと目が覚めて、真夜中に『ドカベン』を読みました。
プロ野球編8の45ページ、土佐の犬飼小次郎が『・・[噛ませ犬]のおまえから比べりゃな・・』とマウンド上でつぶやきます。
突如私は15年前の2000名宛メール発信事件を思い出しました。
当時私は技師長でしたが、事件以降は噛ませ犬に落ちたのでしたね。
会社での噛ませ犬生活は12年間でお仕舞いでしたが、人生劇としては還暦過ぎた今も続いていることに、愕然となりました。
改めて思うに、二歳の時に炬燵で大火傷を受けて以降、耐える習慣,我慢する習性が身に付いてしまった模様です。

噛ませ犬は勝ってはいけない!頭ではわかっていても[がむしゃら]に努力するうちに、周囲を傷つけてしまう。だからよけいにイジメられる。
これが私の人生であり宿命らしいですね。自分自身に対して自殺も発狂も禁じているだけに苦しいです。
愚痴になってしまいました。ごめんなさい!
夜が明け白んで来ましたが、寝ます。お休みなさい!

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2011年5月 8日 (日)

ジイ(G)です。皆さん元気にご活躍のことと思います。

 ライフセービングの皆さん今晩は!広島県に帰って来て既に1週間になります。その節は皆さんに大変お世話になりました。挨拶に田舎に帰った時、パソコンで『チームSOS』を検索したらいくつかの記事がキックできました。
 写真をキックしてみたら、何と、岩手県山田町災害ボランティアセンター玄関前での写真じゃあないですか!びっくりしましたし、懐かしくもありました。あの時刻、私は数十メートル奥で寝ていたのでした!
 朝方、豊田さんから電話をもらい、『山田町ボラセンにいます』と答えた直後に向こうから豊田さんが歩いて来ておられたのには、自分自身の目を疑いました!
 その折りに、『大使』さんの紹介を受けましたが,昨夜手塚治虫の漫画を読んでいて、『マグマ大使』から付けられた愛称だ、と確信できました。なんと身体の大きさも顔の表情も、ぴったり一致してるじゃないですか!宜しくお伝えください。
 久々に私のブログ『光世界の冒険、大山宏』に三件の記事を追記しておきました。東北に持ち込んだ手塚治虫の漫画や、川口カイジの漫画「沈黙の艦隊」は、ピスタチオ安田さんの指導の下、学校体育館の避難所に寄付させていただきました。これも良い思い出になりました。感謝です!皆さん元気で活躍ください!
 岩子島(いわしじま)の大山宏より。

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2011年5月 6日 (金)

災ボラ記-3、電気NG水道破壊、気仙沼本吉町ボラセンにて

 河口近くの橋が破壊されており、大きく迂回しつつ海岸線沿いに北上を続けた。途中何度か山道に紛れ込みつつ、15時頃に気仙沼本吉町ボランティアセンターにたどり着いた。
 型どおりの登録を済ませ、一応説明を聞いた。作業は明日からとの事だった。「弁当持参で8時30分に集合」との事。「弁当や食糧調達などは、目の前のスーパーで」とも言われた。トイレは仮設トイレ。宿泊は車中泊。・・
 覚悟の上とは言え、個人ボランティアに取ってはかなり厳しい条件だ。
 日が暮れるまでにはまだ時間があったので、陸前高田まで足を伸ばし、引き返して来て車中泊。その日はそれで済んだ。
 あくる日から汚泥除去作業が始まった肉体労働としてもかなりハードなものだった。台所にも風呂にもトイレにも汚泥は満ちていた。津波が襲って既に一ヶ月近く経過していた。床板も腐りつつある。一輪車で重い汚泥を運びつつ一瞬身体が空に浮く感触後、軽いショックがあった。足が床にめり込んでいた。幸い怪我はなかった。
 雨交じりの中での作業であった。津波は川をさかのぼって来たそうだ。一階の天井近くに浸水痕があった。部屋の中は何処もゴミだらけであり、鼻の穴は黒い鼻糞でつまった。
 何とか作業を終えて、ボラセンに帰り着いた。16時頃である。水は供給されていないので、汚れた手も洗うことが出来ない。作業報告を終えて、『さあ今夜は何を食べようかな?』と思って見ると、目の前のスーパーが閉まっている様子だ。
『これじゃあ明日の昼食弁当は?・・・』 それ以前に今夜は何を食べようか?米を炊くにはまずとがなければならないが・・、何処でとぐか?、車に積み込んで来た貴重な水でとぐのか?
地図を調べた。20㌔ぐらい離れた所に道の駅があった。雨の中をそこまで食糧調達に出かける。
 その道の駅のトイレで米をといだ。雨に濡れつつご飯を炊くのは難しい。店長と交渉してみた。
「気仙沼でボランティアをしています。ご飯を炊くのに軒先を貸して欲しい」
「今日一日ならOKです。ボランティア御苦労さまです。広島からですか・・」
という訳で、軒先を借りて炊飯作業を行えた。
 雨は降り止みそうにない。積み込んで来た自転車などを出さないと車の中では寝れない。雨に濡らしたくはなかった。『自転車などを濡らさないで済む野宿場所は・・?」と付近を捜し廻った。
 空家らしき農家の軒先を借りることにした。
夜中の8時頃だったか、寝ている車の周りがヘッドライトで照らされた。かなり意識的に照らし出されていて自分の車の周囲を人が動く気配がする!
『仕方ない。正直に謝ろう。早い方が良い。』
「済みません。気仙沼でボランティアしているものです。空家と思って(雨が降るので)ここで一晩車中泊させて頂こうと勝手をさせていただいてます」
「・・我々も炊き出しだとかなにやかやとやって来た。泊まるだけならいい」と、許可が下りた。
 あくる朝、車の窓が全て凍っていた。東北地方の山の中である。寒かった。

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2011年5月 5日 (木)

災ボラ記-2、港を守る堤防が消えていた!(女川港)

 水爆攻撃を受けた如くの女川港を通り過ぎて、見晴らし台に降り立った。観光案内地図には白い堤防が両側から百メートルづつ明確に描いてある。その港を守る堤防が忽然と消えて無くなっている!?!(両方で200mの長さか)
 眼を疑って何度も案内図と地形とを見比べてみた。よく見ると対岸近くにその痕跡らしきコンクリーガレキの残骸があるから見間違いではない。
その長くて大きい堤防をぶち壊して、津波はリアス式海岸深部(奥に入るに従って狭まくなる典型的なリアス式海岸)で30~40メートル近い大津波となって、港を襲ったらしい。
 先ほど苦労して通って来た海岸道路で見た光景は悲惨だった。4階建てのビルの窓ガラスは4階部分まで壊れているものもあり、鉄骨がむき出しになって、45度に傾いている建物もざらにあった。
 その上に、巨大な鉄製の船が乗り上げ、道路を塞いでいて(私の車は車高の低いスポーツタイプだが)通過出来そうにない。かろうじて海岸道路を迂回して抜けた所だった。
 ショックだった。
三陸海岸に入った最初のこの光景はショックだった。
辺りは暗くなりかけていた。その見晴らし台で野営(野宿)することにした。食糧が乏しい。ガソリン残量も半分以下であった。この先予備タンクのガソリンを使うことになるかも知れない。米をとぐ水も積み込んできた水となる模様。
懐中電灯の電池節訳を考えつつ、寝袋に潜り込んだ。
 2~3週間後に再度、女川海岸を走る機会があった
 自衛隊は大したものだと正直に思った。あの巨大な鉄製タンカーは跡かたも無く(?)取り除かれていた。代わりにちっとも倒れた形跡のない3階建位のビルの横壁が目についた。
 『あの大きな津波でも倒れないビルもあるんだ。』
そう思いつつ妙な横壁に目が停まった。壁面がごつごつしているのだ。近づいて良く見ると、それは津波に襲われる以前は地面に接していた面であった!
ちっとも倒れたようには思えなかったビルが、実は90度横倒しにされたビルだった!
 片づけはかなり進行して最初のショッキングな映像は薄れつつも、それでも新たなショックが襲ってきた。

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2011年5月 4日 (水)

宏の災害ボランティア記-1(海岸に打ち上げられた免許証)

 東北震災の45日後、宏は岩手県の海岸で免許証を拾った。確か28歳でその若い男性の写真は明確だった。一ノ関の現住所。大型の財布の中にそれはあった。中にはJAのバンクカードやカラオケカードなどが数枚。現金は無し(?)。
 付近には真新しい船外機も打ち上げられていた。まだ行方不明者が1万人以上いる時期だ。この人もその一人なのであろう。付近を見渡してみた。近くの切り立った海岸に船板残骸も打ち寄せられている。
『ひょっとして遺体も?』と思って、足場の悪い狭い浜辺を歩いて見た。
付近に夏祭りの浴衣姿数名が歩いている写真があった。免許証の主のものかどうか不明だが一緒に拾った。
 穏やかだが太平洋の大波がダイナミックに打ち寄せていた。

 村里への帰り道で土砂降りの雨になった。その狭い道脇に派出所の看板があった。数メートル引き返して玄関ブザーを押す。若い奥さんが顔を出す。
「海岸で免許証入りの財布が落ちていました。届けに来たのですが、、」
「ちょっと待って下さい。今、表を開けますので。(主人は)出かけていますが、帰って来るように連絡しますのでお待ち下さい」。
 熱いお茶を出してくれた。この数十日、お湯を沸かしてお茶を入れることも稀だったので、有難かった。

まもなく警察官が帰って来て話になった。
「何処で拾われたのか?」
「三つの穴が開いている大岩のある海岸と、椿が大量に植え込まれている海岸との中間付近の波打ち際で見つけました」
「この辺りだな」と、大きな地図で確かめている。
「他にキャッシュカードやカラオケカードが入っていました。その写真は付近に落ちていたものですが(持ち主が一緒かどうか不明ですが)一緒に持って来ました」
「現金は無いようだが・・」と上目使いに盗み見る。
「無かった。私が抜いたのなら、わざわざ此処に届けに来ませんよ」
穏やかな顔に戻って、住所氏名など書いた後、震災の話になる。
「4月1日に広島を立ち、福島県相馬市で10日間、宮城県気仙沼本吉町で5日、北上して八戸⇒宮古⇒で海岸線沿いに南下し山田町ボラセンで9日間活動後、海岸線を南下して来た者です。宮古市の野田町辺りから女川原発のある女川港までのリアス式海岸は何処も同程度にひどい被害ですね」

「我々も炊き出しや遺体捜索に加わった・・」
 大降りの雨はまだ続いている。

「この雨、今夜まで続くのだろうか?」
「天気予報では一時的な雨とのことだが・・」
「先ほど、米だけは道路ッ傍でといだのだけど、雨がぱらぱらして来て、未だ炊けていない。ここで(ポリボックス内で)炊かせてくれませんか」
「だめ。十数キロ先にキャンプ場がある。そこで炊きなさい。」
『こりゃだめだ。』と思った。
「・・ボランティア者と事務局とはなかなか上手くはいかないものらしいですね。被災者が主人でボランティアも事務局も脇役のはずなのに・・」
「事務局員の多くは社協(社会福祉協議会)らしいけど」
「御役人仕事だからね」
「(そういう)貴方も御役人のはずですよね。先を急ぎますので失礼!」

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2011年5月 3日 (火)

私が東北にボランティアに行った意味

 お早うございます。坊主頭の大山宏です。
無事広島県の岩子島(いわしじま)に帰り着きました!
短いお付き合いでしたが有難い出会いでした!
尾道に着いて図書館に立ち寄り、手塚治虫の図書を数册借り寝床の中で読んでやっと気が付きました!
私が東北にボランティアに行った意味が!
 どうやら『自分が生きていること、人間である事を確かめたくて』、被災地に飛び込んで行ったようでした。
ちなみにそれを気付かせてくれた漫画は『火の鳥(復活編)』あなたなら読まれたことがあるでしょうが、ロビタという人間の記憶を持ったロボットでした。
 瀬戸内海でのんびりやっています。元気にご活躍ください!

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