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2011年5月21日 (土)

「澪つくし」の舞台からかかって来た電話

 「・・銚子の青柳です!」と、電話の主は名乗った。優しくて明るい女性の声だった。
『?』
思い出せずにいると再度「銚子の青柳です」と繰り返してくれた。
そこではた気が付いた。昨日妻との合作で、テレホンカードを送ってくれた御礼の手紙を添え、その青柳さんに、”お菓子”をお送りしたのだった。

 4日前でした。朝チェックアウトを済ませた後は、その日の旅の全てを妻に任せることにしていた。妻は一つ先の終点「外川駅」まで、切符2枚を購入して来た。素直にそれに従った。
Photo

終着駅に降り立った時、私の目に1枚の古ぼけたポスター写真が目にはいった。それは、NHKのドラマ”澪つくし”のポスターだった。3人の娘役と男優の写真を背景にした番組案内用ポスターだった。
『ここは、その舞台なのだな。』と、私は思った。

 妻はどういう訳か、”石畳”という場所を捜していた。それが何を意味するのか妻も私も知らないのである。妻曰く「さっき、犬吠埼の駅観光案内の人が、外川なら石畳を訪ねてみたら・・と聞いた」とのことであった。一緒に捜すことにした。

 観光客はほとんど見当たらない。地元の人に、手当たり次第に尋ねてみた。どの人も皆、素朴で親切な人達であった。しかし、
「”石畳”ってどこですか?何処に行ったら見れますか?」という問いに対して、ある人は東の方を教えてくれ、ある人は西の方を、またある人は、「海岸近くにある”千畳敷岩”の事だろう」と、南の方角を指差すのです。

 付近まで行って見ても、その岩の形は、”石畳”という言葉のイメージとは異なるのです。『これも違う。』と二人は思った。
付近には南方系の雰囲気の漂う社があり、近所の子供達3人がブランコで遊んでいた。その子供達にも聞いてみた。
「石畳なんて聞いたことない。」と、異口同音の答えが返って来た。

 妻は既に”石畳”を捜すことは諦めていた。喫茶店を求めて外川港の方に歩き出した直後に、私の目は小さな路地(坂道)に留った。その坂道はレンガサイズの滑り止め加工の施されたセメント道であり、丘の上まで長く連なっていた。私は、
『これが石畳なんだ。地元の人が付けた呼び名ではなく、外から来た人(観光客)が付けた名前だったのだ』と思い、妻にそう話しかけた。
「もう、どうでもいい」と妻は答えた。

 80歳位のお年寄りがゆっくりと歩いて来た。私はしつこい性格なので妻の制止も聞かず、そのお年寄りにも話しかけてみた。
「石畳はもう無い。昔はいたる所にあった。が、みんな引っぺがしてコンクリートに作り変えてしまった。」
やはりそうであった。
先ほど見つけた小さな坂道は、コンクリートに塗り替えられた石畳の道だったのだ。

 そのお爺さんに興味を抱いた妻は「この近くに何処か面白い所はありませんか?」と問いかけた。と、そのお爺さんは更に意外な事をしゃべりだした。

「・・時々観光客が、旗(大漁旗)を染める染物屋を訪れているようだ。」
「澪つくしの撮影が行われた頃には、石畳は到る所にあった。しかし、海の見える坂道は、2本しかない。そこの縦道と、その向こう隣りの縦道だけだ。」「染物屋は、そこの縦道を上って、1本、2本、3本、4本目の筋道を左手に折れて、3軒目の家だ。その筋道の海側は屋根ばかりで入口が無いから、山側の3軒目は直ぐにわかる!」

 私達は行ってみることにした。
お爺さんの言葉通りに、その小さな大漁旗の染物屋さんはあった。その気でないと、染物屋さんとは分からない、小さな”普通のお家だった。
二人はその前をゆっくりと通り過ぎた後、その向こうの石段に腰を下ろして付近を見回した。
 なるほど、この坂からも海が見える。船が幾艘も見える!
きっとあの辺りに撮影カメラを据え、男優さん・女優さん達がこの辺りの道を、あちらこちらと演じて廻ったのだろうと、容易に推測できた。そんな会話を二人で交わした。
 その間にも、牛乳配達の軽自動車が出入りしたり、近所の人が何人か通り過ぎた。路辺に腰かけた我々も、その景色の中に溶け込んでいるような錯覚を覚えた。
 風はなく、空は澄み切っていた。

 しばらく経つと空腹を覚えた。やおら立ち上がり、再度染物屋さんの前を通って坂道を登って行った。
軽食の取れそうな喫茶店を探して歩いた。
外川駅の近くには有るであろうと思い、何となくその方向に歩き続けた。

 小さな踏切があった。その踏切の近くに駅が見えた。”ジュクラン”という喫茶店が、踏切の向こうにあった。明るいイメージのこじんまりとした喫茶店であった。

 三人の女性で切り盛りしているらしい、既に数名のグループと2、3組のカップルがテーブルを占めて賑やかにやっていた。我々夫婦も小さなテーブルを挟んで座った。
この付近もきっと、澪つくしの舞台として賑わったのであろうという気がした。

 私は思い切って歳頭のお姉さんに話しかけてみた。
(この方が5日後の今日、相模原の我が家まで電話してくれた声の主です)
『・・そうです。今から20年前でした。ちょうどこの店が開店した直後であり、忙しい時期でしたので”澪つくし”の収録・放映の時のことは良く覚えています』。とのことであった。
「やっぱりな!」と、会話は弾んだ。
私も妻も、その”澪つくし”の番組自体は数回見ただけであったが、番組の雰囲気は分かるような気がした。

 注文した”海鮮風焼きそば”を運んで来たそのお姉さんが、急にこんな事を話された。
「・・良かったらテレフォンカードを差し上げましょうか?今此処にはないのですが、当時のものを持っているのです。ほこりをかぶっているよりも、喜んで下さる方に差し上げる方が良いと思うのですが、・・」

 願ってもいない申し出だった。自分の名刺に自宅の住所を書いてお姉さんに渡したのでした。妻は私のずうずうしさにあきれ顔でした。

Photo_2

店を去る時、そのお姉さん達は「左に進むと海が開け、そこで撮影収録が盛んに行われた」こと、「是非、行って見られたらいいですよ。」と、助言して下さった。

 言われたとおりに進むと海が見えて来た。
そのまま坂道を下るのかと思ったら、『・・社はこちら』という小さな看板が目に入った。畑のあぜ道をしばらく進む内、急に妻の機嫌が悪くなった。今にも泣き出しそうであった。
その社の前は海を見下ろせる高台であった。そこにあったベンチに妻を休ませておき、私は高台の先端まで進んでみた。

 東・南・西の3方面に太平洋が拡がっていた。風は穏やかで暖かい太陽の日差しが降り注いでいた。私は立ったまま手帳を取り出し、その感動を書き始めた。
  気になることが二つあった。
一つは妻の事。 もう一つは、会社の21歳の新入社員の女性のことであった。妻の様子を伺いつつ、その女性(山名さん:仮名)にあてるつもりで、メモを取り始めた。

 山名さん、こんにちは。
山名さん見えますか?この景色が感じられますか?
私は今、小高い丘の上に立って、眼下に広がる丸い地球の水平線を見ています。20年前に撮影が行われた”澪つくし”の舞台に立っています。
本当に偶然だったのです。昨夜泊ったホテル”ぎょうけい館”を10時に出発し、終着駅(外川駅)に妻と二人で降り立った時、古びた一枚のポスターが目に留まりました。3人の女性が演じた”澪つくし”のポスターでした。・・・
 今、眼下に拡がる海と、小さな港町(千葉県長崎町)が舞台だったのです。そこであの物語が展開されたのでした。・・・

 時々、妻の方向を見ました。妻はうつむいたまま泣いていました。私も涙で目を潤ませていました。潤ませながら海に向かって祈りました。
『もうこれ以上我々を試みに遭わせないで下さい。妻を幸せに導いて下さい』と、腹の底から”声なき祈り”を捧げたのでした。

 傾きかけた太陽の光で、海一面が銀色に輝いていました。暖かく輝いていました。風も穏やかな、暖かい日差しに包まれた高台でした。
いつまでも、いつまでも、海を見つめていました。

        2006年 2月 2日 大山宏

以下はテレホンカードと一緒に送られて来た雑誌”チバギン(千葉銀行?)”のコピーです。

Photo_3

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コメント

More posts of this quality. Not the usual c***, plesae

投稿: Eel | 2011年6月 1日 (水) 03時59分

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