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2012年8月10日 (金)

淀川長治:「愉快な心になる本(皆さん、こんにちは)より

 映画解説でおなじみの淀川長治氏は(明治42年)4月10日 生まれで (平成10年)11 月11日に亡くなられたそうですが、氏の著書に「愉快な心になる本」 という著書がある。
暇がてら本棚から引っ張り出して読んでいて、その明快なお話に心打たれたので転載します。
 「学ぶことがまだいっぱい」 という項目です。
 40になっても50になっても、人のいうことを聞かぬ人がある。
とくにこれが、少し自信が鼻にかかった人 に多い。鼻にかかったとはいい過ぎだが、自分は良くできたしっかり者と信じている人に思わざる”かたくなさ”がある。
 これが20歳の初めごろとなると、あきれるばかりに人のいうことを聞かぬものが多い。
学問というものは経験を粉にしてすりつぶし、そのエキスを取り出して丸薬にしたものだと思う。経験と経験の積み重ねから生まれる常識を馬鹿にしてはいけない。
これはドイツのある学者の言葉だが、学問とか常識とかいうものは ”生きもの”なのである。
 書物と頭の中だけにあるものではない。
 社会の中で学問が生きることでそれは価値が生まれる。

 40歳で人のいうことに対し[聞く耳もたぬ] では、自信もたいがいにしてもらいたいということになるし、第一それは非常に危険 でもある。 さらにこれが中年の婦人となると、それが日常の会話の中に めもくらむ壮観 となって現れることもある。
 相手の話をそれもまた道理 と受けとめる余裕もなく、矢継ぎ早に自分の意見、あるいは訴えをのみ、息つく暇も無く述べている。これは聞いていてむさくるしく、また少し下品でさえもある。

 人は他人の欠点を発見することには熱心だが、自分の欠点を探すことには不熱心である。
 このような学者の言葉を聞くにつけ、私たちは「人から学ぶ」ということにもっと謙虚でなくてはならぬと思う。

 質問しながら実は相手の返答をすこしも聞いていない人がある。それは質問ではもはやなく、自分の疑問への自信とでもいいたい不可思議な非常識 である。
 神は残酷というか、あるいはこれが人間に与えたもうた業とでも申そうか、人間が少しばかり人間がわかってくるころといえば、それは70歳をも過ぎたこととなってくる。人間が人間を知るころには、皮肉にもあの世からお迎えがくるころとなる。思えばそれが卒業とでもいうのであろうか。
 70になってそろそろ人間がわかりだすのだから、20歳くらいではまだ何もわかるわけはない。

 私(大山宏)は現在64歳であり、70には届いていないので、まだ人間を分かる歳には至っていない。大いに反省させられる文章でした。
 このような辛口の随筆ばかりではありません。淀川長治氏は別の項目では、利他主義の主張 を懇切丁寧になさっておられますし、氏自身、生涯結婚することなく、独身 を貫かれた人でした。
 あのスクリーン解説時の笑顔は、忘れることはありません。
  「さよなら、さよなら、さよなら」

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