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2014年8月21日 (木)

H33、羽が生えてない天使三人にアブラハムは食事を提供してた

 創世記17章15節~
【 神はまたアブラハムに言われた、「あなたの妻サライは、もはや名をサライといわず、名をサラと言いなさい。わたしは彼女を祝福し、また彼女によって、あなたにひとりの男の子を授けよう。 わたしは彼女を祝福し、彼女を国々の民の母としよう。彼女から、もろもろの民の王たちが出るであろう」。
 アブラハムはひれ伏して笑い、心の中で言った、「百歳の者にどうして子が生まれよう。サラはまた90歳にもなって、どうして産むことができようか」。 そしてアブラハムは神に言った、「どうかイシマエルがあなたの前に生きながらえますように」。
神は言われた、「いや、あなたのサラはあなたに男の子を産むでしょう。名をイサクと名づけなさい。 わたしは彼と契約を立てて、後の子孫のために永遠の契約としよう。 またイシマエルについてはあなたの願いを聞いた。 わたしは彼を祝福して多くの子孫を得させ、大いにそれを増すであろう。 彼は12人の君たちを生むであろう。わたしは彼を大いなる国民としよう。 しかしわたしは来年の今ごろサラがあなたに産むイサクと、わたしの契約を立てるであろう」。 神はアブラハムと語り終え、彼を離れて、のぼられた

 既に長寿に神代の時代は終わり、アブラハムも百歳のおじいさん、妻のサラも90歳のおばあちゃんとなっていました。この老夫婦に神は子供(イサク)を授けると約束したのでした。
昔は数百歳という長寿が当たり前だったのですが、ノア以降であろうか、90過ぎのおばあさんに子供なんか産める訳ないという時代に変わって来てたのですね。
 もうひとつ、注目すべき点があります。最後の行、
【 神はアブラハムと語り終え、彼を離れて、のぼられた
 という記述です。
 ここに来てはじめて、のぼられた。という神の動作の記載が出てきたのです。
「のぼる」とは「上方に登る」行動/動作のことであり、アブラハム以降、エゼキエル書でも新約聖書でも頻繁に現れる神や天使の行動記載表現として現れて来ます。
 それまでは、神は地上も歩かれるが、空も自由に登ったり、降りてきたり、突然に消えたり現れたりしておられたのでしょう、それが当たり前であった。
 しかし、このアブラハム時代になって、「目を見張るような行動として神々しく、人々の目に映るようになった」と解釈するのが自然です。

ここにも、ノアの箱舟事件以前と以降とで、時間的にも、人間の生活面に於いても、大きなギャップがあることがうかがえます。
  バベルの塔崩壊事変の記載も不自然でした。
  ノアの裸のときの呪いの言葉も不自然でした。
 この辺りで大きな時間的なギャップが生じて、歳と年の区分けが混乱変化したと判断するのが適当だと思われます。

【 神はアブラハムと語り終え、彼を離れて、のぼられた。アブラハムはカミが自分に言われたように、この日その子イシマエルと、すべて家に生まれた者およびすべて銀で買い取った者、すなわちアブラハムの家の人々のうち、すべての男子を連れてきて、前の皮に割礼をほどこした。 アブラハムが前の皮に割礼を受けた時は九十九歳、その子イシマエルが前の皮に割礼を受けた時は十三歳であった。 この日アブラハムとイシマエルは割礼を受けた。 またその家の人々は家に生まれた者も、銀で異邦人から買い取った者も皆、彼と共に割礼を受けた。】
 第18章 1節~
【 主はマムレのテレビンの木のかたわらでアブラハムに現れられた。 それは昼の熱いころで、彼は天幕の入り口にすわっていたが、目を上げて見ると、
三人のが彼に向かって立っていた。
 彼はこれを見て、天幕の入口から走って行って彼らを迎え、地に身をかがめて、言った、「
わが、もしわたしがあなたの前に恵みを得ているなら、どうぞしもべを通り過ごさないでください。水をすこし取ってこさせますから、あなたがたは足を洗って、この木の下でお休みください。 わたしは一口のパンを取ってきます。 元気をつけて、それからお出かけください。 せっかくしもべの所においでになったのですから」。
 彼らは言った、「お言葉どおりにしてください」。 そこでアブラハムは急いで天幕に入り、サラの所に行って言った、「急いで細かい麦粉三セヤをとり、こねてパンを造りなさい」。 アブラハムは牛の群れに走って行き、柔らかな良い子牛を取って若者に渡したので、急いで調理した。 そしてアブラハムは凝乳と牛乳および子牛の調理したものを取って、彼らの前に供え、木の下で、彼らのかたわらに立って給仕し、彼らは食事した。】

 驚きました、「
三人の」がアブラハムから「わがよ・・・」と呼ばれているのです。人(Hito)ですよ。 天使に羽をくっ付けたのは一体どこの誰ですか。 創世記では神の使なんか付いていたとは ちっとも言ってない ではないですか。 たとえカモフラージュの粗末な服を着ていたとしても、大きな羽(翼:つばさ)まで隠せるものではありません。
 創世記の最初に、われわれに似せて、人(Hito)を造ろうといって、アダムを造ったと書いてありました。 ここにきて、アブラハムは「
三人の」に向かって「わがよ・・・」と呼び掛けているのです。
 
オーラは出ていたかもしれません。後光が差していたのかも知れません、とにかく、人間に姿形がソックリの人(Hito)に対して「わがよ・・・」と呼びかけて食事を提供し、給仕したのです。 彼ら三人は、人間と同様にパンや子牛に肉を食べ、凝乳と牛乳を飲んだのでした。
 私達が散々教会で聞かされた
「神の御使い」は、(Hito)だったのです。これがはっきりしただけでも、旧約聖書を筆読した意味がありました。

 このあと、その三人の人(神の使い)はソドムとゴモラを滅ぼすのですが、話が一気に人間臭くなってきましたね。
   続きは また ね!
2014  8/8 H.Oyama(大山宏)

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