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2014年8月29日 (金)

H39、ノア以降ユダヤ人の前には定住民が居た。流浪の民

【 主の使いは再び天からアブラハムを呼んで、言った、「主は言われた、『わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をもおしまなかったので、わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜辺の砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福をえるであろう。 あなたがわたしの言葉に従ったからである』。】

 これは、後の人が付け加えた文章であろう。何故なら、この文章がこの場所に挿入されると途端に、ユダヤ民族の氏神様=「主:永遠の神」の図式が出来上がるからです。 繰り返しますが、カミ( G :God)は、ローカルな民族を依怙贔屓(えこひいき)するような偏狭な精神は持ち合わせておられないのです。公平な方です。 過去の古文献が発見されたなら、モーセはそんな記述をしていなかったことが、きっと証明されることでしょう。
 追加したために、返って「神をおとしめる(低める)」ことにつながってしまった模様です。これはその後のユダヤ民族の悲劇の旅(ジプシー)、再び流浪の民となる伏線となっている気がします。でもこれは、「アブラハム以降1500~2000年後から始まり、第二次世界大戦終結まで続いた」と日本の中学校社会科の教科書には載っていました(私が中学生の頃)。

【 アブラハムは若者たちの所に帰り、みな立って、共にベエルシバへ行った。そしてアブラハムはベエルシバに住んだ。】
【 これらの事の後、ある人がアブラハムに告げて言った、「ミルカもまたあなたの兄弟ナホルに子どもをを産みました。長男はウヅ、弟はブズ、次はアラムの父ケムエル、次はケセデ、ハゾ、ピルダシ、エデラフ、ベトエルです」。ベトエルの子はリベカであって、これらは地人はミルカがアブラハムの兄弟ナホルに産んだのである。 ナホルのそばめで、名をルマという女もまたテバ、ガハム、ハタシおよびマアカを産んだ。】

 創世記 第23章 一節~

 創世記 第23章 一節~
【 サラの一生は127であった。これがサラの生きながらえたである。】

案の定、【妻サラの一生は127年(ねん)。生きながらえた年(とし)。】という書き方に変わっている。 ルビ(おくり仮名)こそ、生きながらえた年(とし)としてはあるが、年(ネン)なのであって、歳(とし)ではない。
 明らかに異なるものとしての扱いが以降は続く模様です。


【 サラはカナンの地のキリアテ・アルバすなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは中にはいってサラのために悲しみ泣いた。アブラハムは死人のそばから立って、ヘテの人々に言った、「私はあなたがたのうちの旅の者で寄留者ですが、私の死人を出して葬るため、あなたがたのうちに私の所有として一つの墓地をください」。
 ヘテの人々はアブラハムに答えて言った、
「わが主よ、お聞きなさい。あなたは我々のうちにおられて、神のような主君です。我々の墓地の最も良い所にあなたのその死人を葬りなさい。その墓地を拒んで、あなたにその死人を葬らせない者は我々のうちには、ひとりもないでしょう」。
 アブラハムは立ちあがり、その地の民ヘテの人々に礼をして、彼らに言った、
「もし私の死人を葬るのに同意されるなら、私の願いをいれて、私のためにゾハルの子エフロンに頼み、彼が持っている畑の端のマクペラのほら穴を充分な代価で私に与え、あなたがたのうちに墓地を持たせて下さい」。
 時にエフロンはヘテの人々のうちにすわっていた。
 そこでヘテびとエフロンはヘテの人々、すなわちすべてその町の門にはいる人々の聞いているところで、アブラハムに答えて言った、
「いいえ、わが主よ、お聞きなさい。私はあの畑をあなたにさしあげます。またその中にあるほら穴もさしあげます。私の民の人々の前で、それをさしあげます。あなたの死人を葬りなさい」。】

 ものすごくしつこくクドクドと詳細なやり取りの記録が続いています。 アブラハムは旅の者で寄留者なのですが、周囲の人々に非常に恐れられていたようです。氏神様をかさに着て高圧的な態度で接していたのでしょう、周囲は「彼は一人間である」とは知りつつ、彼のことを「我が主よ、・・」と、何度も呼んでいます。 そのアブラハムが墓地を分けてもらうにあたり、極端なまでの低姿勢で、彼らに接しており、低姿勢で交渉している姿は、一見謙虚の現れとも見えるが、低姿勢であればあるほど、馬鹿にしつこくクドクドと書いてあればある程、その裏に、アブラハムの民の不安定さ危うさを感じてしまう。 

【 アブラハムはその地の民の前で礼をし、「その地の民の聞いているところでエフロンに言った、「あなたがそれを承諾されるなら、お聞きなさい。わたしはその畑の代価を払います。お受け取りください。わたしの死人をそこに葬りましょう」。 エフロンはアブラハムに答えて言った、「わが主よ、お聞きなさい。あの地は銀400シケルですが、これは私とあなたの間で、なにほどのことでしょう。あなたの死人を葬りなさい」。
そこでアブラハムはエフロンの言葉にしたがい、エフロンがヘテの人々の聞いているところで言った銀、すなわち商人の通用銀400シケルを量ってエフロンに与えた。
こうしてマムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、畑も、その中のほら穴も、傍目の中およびその周囲の境にあるすべての気も皆、ヘテの人々の前で、アブラハムの所有と決まった。 その後、アブラハムはその妻サラをカナンの地にあるマムレ、すなわちヘブロンの前のマクペラの畑のほら穴に葬った。 このように畑とその中にあるほら穴とはヘテの人々によってアブラハムの所有の墓地と定められた。】

 一字一句省略もしないで転記しましたが、このページを読むだけでさぞやうんざりされたことでしょう。 それだけ、後から来たよそ者は地元では受け入れられないものらしいです。 振り返って考えるに、ノアの直系子孫を周囲に認めさせることが如何に困難なことであるかが、伺い知れるということなのであろう。 この創世記は、ある調査から「モーセが書いた」ということになっていますが、エジプトを脱出した民がカナンの地に定着するのに、如何に苦労したか、という事、 更には、その定着の正当性を記録に残すために、この創世記が書かれたと言っても過言ではないのであろう。
 実際に起こったであろうことは、匂いで判るのものであり、どこかの民謡や伝説を転用/借用したであろう箇所も、おのずと分かるのが不思議です。
 文芸というのも高等技術なのですね。 芸術って素晴らしい!

2014 8/12 H.Oyama(大山宏)
最後にもう一言、
 初めて商人という言葉が登場しました。 これまでは農業・牧業と少数の道具を造る技術者ぐらいで、ほとんどすべての人々が定住民だった模様です。
 そこに、商人がよそ者として登場してきたのでした。
ユダヤ人は、元祖から商人として生計を立てる者(民族)だったのが伺えます。
 彼らははたして、カミ(神)を信じていたのか、カネ(金)を信じていただけなのか、それは「カミのみぞ知る( God Knows.)」というところですか。
 口が過ぎました、ごめんなさい。 
 

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