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2014年8月23日 (土)

H34、ソドムとゴモラを滅ぼした人(天使)

【 彼らはアブラハムに言った、「あなたの妻サラはどこにおられますか」。彼は言った、「天幕の中です」。 そのひとりが言った、「来年の春、わたしはかならずあなたの所に帰ってきましょう。その時、あなたの妻サラには男の子が生まれているでしょう」。
 サラはうしろの方の天幕の入口で聞いていた。さてアブラハムとサラとは年がすすみ、老人となり、サラは女の月のものが、すでに止まっていた。
それでサラは心の中で笑って言った、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか」。】

 これを察知した人(Hito:天使)は、厳しく注意します。
【 Shu〔天使の一人Hitori(ひとり)〕はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑ったのか。 主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたがたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生まれているでしょう。 サラは恐れたので、これを打ち消して言った、「わたしは笑いません」。主は言われた、「いや、あなたは笑いました」。】

 現代劇の一場面としても、迫真の演技、緊張のやりとりが期待される場面であり、演出家の指導が光るところです。これが数千年前に実際に起きた事実/事件であったろうことは、容易に想像できます。
【 その人々はそこを立ってソドムの方に向かったので、アブラハムは彼らを見送って共に行った。】・・・場面変わって、
ある時に、・・・
【 時に、シュ(Shu)は言われた、「わたしのしようとする事をアブラハムに隠してよいであろうか。 アブラハムは必ず大きな強い国民となって、地のすべての民(Tami)がみな、彼によって祝福を受けるのではないか。 わたしは彼が後の子らと家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公道とを行わせるために彼を知ったのである。 これは主(Shu)がかつてアブラハムについて言った事を彼の上に臨ませるためである」。
 主はまた言われた、「ソドムゴモラの叫びは大きく、またその罪は非常に重いので、わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう」。】
・・・三人の人(Hito)のことをアブラハムは「主よ」と呼びかけたが、その三人の人々(Hito-Hito-Hito)は、主の使命を帯びた人(ひと:Hito)達であって、名前を付けられない神(主なる神)そのものではなかった事が、この挿入された記述で判る。・・・
【 その人々はそこから身を巡らしてソドムの方に行ったが、アブラハムはなお、(その人々の前に)立っていた。 アブラハムは近寄って言った、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。 たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。 正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。全地をさばく者は公義をおこなうべきではありませんか」。
 主は言われた、「もしソドムで街の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。】 

 【 アブラハムは答えて言った、「わたしはちり灰に過ぎませんが、あえてわが主に申します。もし五十人の者のうち五人欠けたなら、その五人欠けたために町を全く滅ぼされますか」。 主は言われた、「もしそこに四十五人いたら、滅ぼさないであろう」。
 アブラハムはまた重ねて主に言った、「もしそこに四十人いたら」。 主は言われた、「その四十人のために、これをしないであろう」。 アブラハムは言った、「どうかお怒りにならぬよう。わたしは申します。 もしそこに三十人いたら」。 主は言われた、「そこに三十いたら、これをしないであろう」。アブラハムは言った、「いまわたしはあえてわが主に申します。もしそこに20人いたら」。 主は言われた、「わたしはその20人のために滅ぼさないであろう」。 アブラハムは言った、「アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに10人いたら」。 主はいわれた、「わたしはその10人のためにほろぼさないであろう」 】
 日本には神楽(かぐら:Kagura) という伝統舞踊(伝承舞踏)がありますが、この10行余りの文章を読んでいると、その神楽の一場面を実際に見ているかのごとくのイメージを受けるのです。 不思議です。その言葉のやり取り、繰り返される動作の交換が、実に良くにているのです。
 民話や伝説(口承伝説)は心の正確な記録として、現在にも生きているように感じます。

【 主はアブラハムと語り終わり、去って行かれた。 アブラハムは自分の所に帰った。】

創世記 第19章一節~
【 そのふたりの御使いは夕暮れにソドムに着いた。そのときロトソドムの門にすわっていた。ロトは彼らを見て、立って迎え、地に伏して、言った、「わが主よ、どうぞしもべの家に立ち寄って足を洗い、お泊まり下さい。そして朝早くに起きてお立ち下さい」。 かれらは言った、「いや、われわれは広場で夜を過ごします」。
しかしロトがしいて勧めたので、彼らはついに彼の所に寄り、家にはいった。 ロトは彼らのためにふるまいを設け、種入れぬパンを焼いて食べさせた。 ところが彼らの寝ないうちに、ソドムの町の人々は、若い者も老人も、民がみな四方からきて、その家を囲み、ロトに叫んで言った、「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知るであろう」。 ロトは入口におる彼らの所に出て行き、うしろの戸を閉じて、言った、「兄弟たちよ、どうか悪い事はしないでください。わたしにまだ男を知らない娘がふたり あります。わたしはこれをあなたがたに、さしだしますから、好きなようにしてください。ただ、わたしの屋根の下にはいったこの人たちには、何もしないでください」。
 彼らは言った、「退け」。 また言った、「この男は渡ってきたよそ者であるのに、いつも、さばきびとになろうとする。それで、われわれは彼らに加えるよりも、お前に多くの害を加えよう」。 彼らはロトの身に激しく迫り、進み寄って戸を破ろうとした。 その時、かのふたりは手を伸べてロトを家のうちに引き入れ、戸を閉じた。】

【そして家の入口におる人々を、老若の別なく打って目をくらましたので、彼らは入口を探すのに疲れた。】
【 ふたりはロトに行った、「ほかにあなたの身内のものがここにおりますか。あなたのむこ、むすこ、娘およびこの町におるあなたの身内の者を、皆ここから連れ出しなさい。われわれがこの所を滅ぼそうとしているからです。人々の叫びが主の前に大きくなり、主はこの所を滅ぼすために、われわれをつかわされたのです」。】
【 そこでロトは出て行って、その娘たちをめとるむこたちに告げて行った、「立ってこの所から出なさい。 主がこの町を滅ぼされます」。 しかしそれはむこたちには戯れごとに思えた。】

 それで、ロトたち数人だけで、ソドムを脱出していくはこびとなるのですね。
人々の叫びが主の前に大きくなり・・。という意味がようやく判りました。そこまで堕落が進んでいれば、カミ(Kami:God)が審判をくだされるのも納得できます。
 ひるがえって、広島(HIROSHIMA)と長崎(NAGASAKI)は、それほどの堕落が進んでいたとは到底思えません。 原爆を落とす悪魔は、アメリカ人のあなたがたの心の奥底に( in your Heart of Christian )に、住みついていたのでした。

以下は、ウィキペディアから引用/転写させて頂きました。感謝!

Christians_distribution1
この図「世界各国のキリスト教徒の割合」によると、東南アジア・中東地域・アフリカ北部にかけて、キリスト教徒がいかに少ないかが一目了然です。実際日本では、明治以降でも、クリスチャン2%の状態が続いています。

キリスト教徒(キリストきょうと、ラテン語: Christianus; クリスティアーヌス)あるいはクリスチャン: Christian)とは、キリスト教信徒のことである。キリスト教はいくつかの教派に分かれているが、ナザレのイエスを救世主キリスト(メシア)と信じ、旧約聖書に加えて、新約聖書に記されたイエスや使徒たちの言行を信じ従い、その教えを守る者がキリスト教徒であると言える。日本では、明治時代以前、キリスト教徒のことを「キリシタン」と呼んだ。近現代の日本のキリスト教徒はキリスト者(きりすとしゃ)と自称することが多い。日本正教会ではロシア語から「ハリスティアニンХристианин)」との転写も用いられる。
 

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