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2014年9月 8日 (月)

H48、ヤコブとエサウの争いは解決⇒イサク死去180歳

【 神はまた彼に言われた、「わたしは全能の神である。あなたは生めよ、またふえよ。 一つの国民、また多くの国民があなたから出て、王たちがあなたの見から出るであろう。 わたしはアブラハムとイサクとに与えた地を、あなたに与えよう。 またあなたの後の子孫にその地を与えよう」。 神は彼と語っておられたその場所から彼をはなれてのぼられた。】

【 そこでヤコブは神が自分と語られたその場所に、一本の石の柱を立て、その上に燔祭をささげ、また油を注いだ。 そしてヤコブは神が自分とかたられたその場所をベテルと名づけた。】
【 こうして彼らはベテルを立ったが、エフラタに行き着くまでに、なお隔たりのある所でラケルは産気づき、その産は重かった。 その難産に当って、サンバは彼女に言った、「心配することはありません。 今度も男の子です」。 彼女は死にのぞみ、魂の去ろうとする時、子の名をベノニと呼んだ。しかし、父はこれをベニヤミンと名づけた。 ラケルは死んでエフラタ、すなわちベツレヘムの道に葬られた。 ヤコブはその墓に柱を立てた。 これはラケルの墓のはしらであって、今日に至っている。 イスラエルはまた、いで立ってミグダル・エダルの向こうに天幕を張った。】
【 イスラエルがその地に住んでいた時、ルベンは父のそばめビルハのところへ行って、これと寝た。イスラエルはこれを聞いた。】
・・・ ヤコブという呼び方で記述があるのはここまでらしい。 虐殺略獏後の逃走過程で挿入された以上数十行の記述は、何かしら不自然なイメージがつきまとう?
【 さてヤコブの長子ルベンとシメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン。 ラケルの子らはヨセフとベニヤミン、ラケルのつかえめビルハの子らはダンとナフタリ。 レアつかえめジルパの子らはガドとアセル。 これらはヤコブの子らであって、バダンアラムで彼に生まれた者である。
ヤコブはキリアテ・アルバ、すなわちヘブロンのマクレにいる父イサクのもとへ行った。ここはアブラハムとイサクとが寄留した所である。
 イサクの年は180であった。 イサクは年老い、日満ちて息絶え、死んで、その民に加えられた。 その子エサウとヤコブとは、これを葬った。】
創世記 第36章 ~【 エサウ、すなわちエドムの系図は・・・
創世記 第36章 ~
【 エサウ、すなわちエドムの系図は次のとおりである。 エサウはカナンの娘たちのうちから妻をめとった。すなわちヘテびとエロンの娘アダと、ヒビびとデペオンの子アナの娘ネバヨテの娘アホリバマとである。
また、イシュマエルの娘ネバヨテの妹バスマテをめとった。アダはエリパズをエサウに産み、バスマテはリウエルを産み、アホリバはエウシ、ヤラム、コラを産んだ。これらはエサウの子であって、カナンの地で彼に生まれた者である。】
【 エサウは妻と子と娘と家のすべての獣、またカナンの地で獲たすべての財産を携え、兄弟ヤコブを離れてほかの地へ行った。 彼らの財産が多くて、一緒にいることができなかったからである。すなわち彼らが寄留した地は彼らの家畜のゆえに、彼らをささえることができなかったのである。 こうしてエサウはセイルの山地に住んだ。エサウはすなわちエドムである。】
【 セイルの山地におったエドムびとの先祖エサウの系図は次のとおりである。エサウの子らの名は次の子たちである。すなわちエサウの妻アダの子はエリパズ。エサウの妻バステマの子はリウエル。エリパズの子らはテマン、オマル、ゼポ、ガタムケナズである。 テナムはエサウの子エリパズのそばめで、アマレクをエリパズに産んだ。これらはエサウの妻アダの子らである。リウエルの子らは次のとおりである。すなわちナハテ、ゼラシャンマ、ミザであって、これらはエサウの妻パスマテの子らである。ヂベオンの子アナの娘で、エサウの妻アホリバマの子らは次のとおりである。すなわち彼女はエウシ、ヤラム、コラをエサウに産んだ。】
【 エサウの子らの中で、族長足るものは次のとおりである。すなわちエサウの長子エリパズの子らはテマンの族長、オマルの族長、アマレタの族長である。これらはエリパズから出た族長で、エドムの地におった。これらはアダの子らである。エサウの子リウエルの子らはつぎのとおりである。すなわちナハテの族長、ゼラの族長、シャンマの族長、ミザの族長。 これらはリウエルから出た族長で、エドムの地に負った。これらはエサウの妻バスマテの子らである。エサウの妻アホリバマの子らは次のとおりである。 すなわちエウシの族長、ヤラムの族長、コラの族長、これらはアナの娘で、エサウの妻アホリバマから出た族長である。 これらはエサウすなわちエドムの子らで、族長たるものである。】
【 この地の住民ホリびとセイルの子らは次のとおりである。すなわちロタン、ショバル、ヂベオン、アナ、デション、エゼル、デシャン。これらはセイルの子ホリびとから出た族長で、エドムの地におった。 ロタンの子らはホリ、ヘマムであり、ロタンの妹はアムナであった。 ショバルの子らは、次のとおりである。すなわちアルワン、マナハテ、エバル、シボ、オナム。 デベオンの子らは次のとおりである。すなわちアヤとアナ。 このアナは父デベオンのろばを飼っていた時、荒野で温泉を発見したものである。 アナの子らは子らは次のとおりである。すなわちデションとアホリバマ。アホリバマはアナの娘である。デションの子らは次のとおりである。すなわちヘムダン、エシバン、イテラン、ケラン。エゼルの子らは次のとおりである。すなわちビルハン、ザワン、アカン。 アシャンの子らは次のとおりである。すなわちウズとアラン。 ホリびとから出た族長は次のとおりである。すなわちロタンの族長、ショバンの族長、デベオンの族長、アナの族長、デションの族長、エゼルの族長、デシャンの族長。これらはホリびとから出た族長であって、その氏族に従ってセイルの地におった者である。】
【 イスラエルの人々を治める王がまだなかった時、エドムの地を治めた王たちは次のとおりである。 ベオルの子ベラはエドムを治め、その都の名はデナバであった。 ベラが死んで、ボズラのゼラの子ヨバブがこれに代わって王となった。 ヨバブが死んで、デマンびとの地のホシャムがこれに代わって王となった。ホシャムが死んで、ベダデの子ハダデがこれに代わって王となった。彼はモアブの野でミデアンを撃った者である。 その都の名はアビテであった。ハダデが死んで、マスレカのサムラがこれに代わって王となった。サムラが死んでユフラテ川のほとりにあるレホボテのサウルがこれに代わって王となった。サウルが死んで、アクボルの子バアル・ハナンがこれに代わって王となった。アクボルの子バアル・ハナンが死んで、ハダルがこれに代わって王となった。その都の名はパウであった。その妻の名はメヘタベルといって、メザハブの娘マテレデの娘であった。】
【 エサウから出た族長の名は、その氏族と住所と名に従って言えば次のとおりである。すなわちテムナの族長、アルワの族長、エテテの族長、テマンの族長、ミブザルの族長、マグデエルの族長、イラムの族長。 これらはエドムの族長たちであって、その領地内の住所に従っていったものである。エドムびとの先祖はエサウである。】
  ヨセフはいつ生まれたのか?
 ヨセフはいつ生まれたのか?
創世記 第37章
【 ヤコブは父の寄留の地、すなわちカナンの地に住んだ。ヤコブの子孫は次の通りである。  
ヨセフは17歳の時、兄弟たちと共に羊の群れを飼っていた。・・・】
続きは、またあした。
2,014 8/16 H.Oyama(大山宏)

  

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