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2015年3月22日 (日)

マ⑫、「鶏が三度鳴く」予言の場面・・・四つの福音書の比較検討

マルコによる福音書 ・・・ 第14章、27節~
【 その時、イエスは弟子達に言われた、「貴方がたは皆、私に
つまずくであろう。『私は羊飼いを打つ。そして、羊は散らされる
であろう』と書いてあるからである。 しかし私は、よみがえって
から、貴方がたより先にガリラヤへ行くであろう」。
 するとペテロはイエスに言った、「たとい、みんなの者がつまずいても、私はつまずきません」。 イエスは言われた、「貴方によく言っておく。今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、そう言う貴方が、三度私を知らないと言うだろう」。
ペテロは力を込めて言った、「たとい、あなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。みんなの者もまた、同じようなことを言った。】
・・・ 興味本位で申し訳ありませんが、この場面は大変興味深い箇所なので、四つの福音書で記載文章を比較してみましょう。

 マタイによる福音書 ・・・ 第26章、31節~
【 そのとき、イエスは弟子達に言われた、「
今夜、貴方がた
は皆、私につまずくであろう。『私は羊飼いを打つ。そして
、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。
しかし私は、よみがえって
       から、貴方がたより先に、ガリラヤに行くであろう」。
するとペテロは
答えて言った、「たとい、みんなの者があなたに
       つまずいても、私は決してつまづきません」。
 イエスは言われた、「よく貴方に言っておく。今夜、鶏がなく前
に、あなたは三度私を知らないと言うだろう」。
ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっ
ても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。】
・・・ なあんだ、「
二度鳴く前に」が、マタイ書で(うっかり)省略
  され、自明の言葉3つ が、追加されてるだけの違いですね。
 この箇所の比較だけでも、マタイは、
マルコ書を参照しながら
    「マタイによる福音書」を、作成したことが判ります。

ルカによる福音書 
・・・ 第22章 39節辺りにあるはずですが、
  過越しの祭「最後の晩餐」の場面は詳細に1ページ以上に
  渡って、実に詳細に記されているにもかかわらず、該当する
  記述が
無視〔省略?〕されているのです。 知らなかった訳で
  はない証拠に、イエスに罪がきせられた後の箇所には、
  『「きょう、鶏が鳴く前に、
三度私を知らないというであろう」
  と言われた主のお言葉を思い出した。そして外へ出て激しく
  泣いた。』と、ルカは記述しています。やはり転記を
割愛した
  のでした。

ヨハネ
による福音書 ・・・ 第13章 39節~
【 シモン・ペテロがイエスに言った、「主よ、どこへおいでになる
のですか」。イエスは答えられた、「あなたは私の行くところに、
今はついて来ることは出来ない。しかし、あとになってから、
ついて来ることになろう」。
 ペテロはイエスに言った、「主よ、なぜ、今あなたについて行く
ことが出来ないのですか。あなたのためには、命も捨てます」。
 イエスは答えられた、「私のために命を捨てると言うのか。
よくよくあなたに言っておく。鶏(にわとり)が鳴く前に、貴方は
私を三度知らないと言うであろう」。】
・・・  文学的にも、大変素晴らしい文章に仕上がっています。
 やはり、最後の最後に、それまでの福音書をあれこれと調べ
 あげながら、
最後に仕上げられた書であることが、
                       改めて確認できました。
マルコによる福音書の研究に戻りましょう。

マルコ
による福音書、第14章、32節から、
【  さて、一同はゲッセマネという所に来た。そしてイエスは、弟子達に言われた、
「私が祈っている間、ここにすわっていなさい」。
そしてペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれたが、
恐れおののき、また悩みはじめて、彼らに言われた、
「私は悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、
目を覚ましていなさい」。 そして少し進んで行き、
 地にひれ伏し、もし出来ることなら、この時を過ぎ去らせて
        くださるようにと祈り続け、そして言われた、
「アバ、父よ、あなたには、出来ないことはありません。どうか
 、この杯を私から取りのけてください。しかし、
  私の思いではなく、御こころのままになさってください」。】
・・・ この最後の一文は、全キリスト者の祈りの基本です。
  実は、仏教徒である日本人の我々も、この最後の祈りの
  言葉
は、一緒なのです。 驚かれましたか?
   ブッダを開祖とする仏教の祈りも、イエスと同じ神を信じ
   、信頼しているのです。 
   ただし、唯一神という呼び方はしないで、敢えて言えば、
  「大自然なる神」という抽象的で、統括的な概念で、捕え
 ています。この神様には、名前も付けられない事も、
 旧約聖書の認識と共通しているのでした。(詳しくは後日)。
【 それから、来てご覧になると、弟子達が眠っていたので、
ペテロに言われた、
「シモンよ、眠っているのか、
 ひと時も目を覚ましていることができなかったのか。
  誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。
    心は熱しているが、肉体が弱いのである」。
        また離れて行って、同じ言葉で祈られた。
また来てご覧になると、彼らはまだ眠っていた。
  その目が重くなっていたのである。
   そして、彼らはどうお答えしてよいか、分からなかった。
三度目に来て言われた、
 「まだ眠っているのか、休んでいるのか。もうそれでよかろう。
  時が来た。見よ、人の子は罪人らの手に渡されるのだ。
   立て、さあ行こう。見よ、私を裏切る者が近づいて来た」。】
・・・ 実に簡潔・明瞭に、マルコは書き綴っています。
【 そしてすぐ、イエスがまだ話しておられるうちに、12弟子の
ひとりのユダが進み寄ってきた。 また祭司長、律法学者、長老
達から送られた群衆も、剣と棒とを持って彼らについて来た。
 イエスを裏切る者は、あらかじめ彼らに合図をしておいた。
「私の接吻する者が、その人だ。その人をつかまえて、間違い
なく引っ張って行け」。彼は来るとすぐ、イエスに近寄り、「先生」
と言って接吻した。 人々はイエスに手をかけてつかまえた。
 すると、イエスのそばに立っていた者のひとりが、剣を抜いて
大祭司の僕に切りかかり、その片耳を切り落した。
イエスは彼らに向かって言われた、「貴方がたは強盗に向かう
ように、剣や棒を持って私を捕えに来たのか。私は毎日、貴方
がたと一緒に宮にいて教えていたのに、私を捕まえはしなかっ
た。しかし聖書の言葉は成就されねばならない」。
         弟子達は皆、イエスを見捨てて逃げ去った。】
・・・ この辺りに関して、詳しい話しが知りたくなった方は、
   「マタイ書」「ルカ書」「ヨハネ書」を参照ください。
  事件の概要は、このマルコ書で「必要十分」です。
 余計な付け足しがあると、かえって事件がぼやけてきます。
【 ときに、ある若者が身に亜麻布をまとって、イエスのあとに
ついて行ったが、人々が彼を捕まえようとしたので、その亜麻
布を捨てて、裸で逃げて行った。
 それから、イエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、
長老、律法学者達がみな集まってきた。
ペテロは遠くからイエスについて行って、大祭司の中庭まで入
り込み、その下役どもにまじってすわり、火にあたっていた。
 さて、祭司長達と全議会とは、イエスを死刑にするために、
イエスに不利な証拠を見つけようとしたが、得られなかった。
多くの者がイエスに対して偽証を立てたが、その証言が合わな
かったからである。 ついに、
ある人々が立ち上がり、イエスに対して偽証を立てて言った、
「私達はこの人が、『私は手で造ったこの神殿を打ち壊し、
三日の後に(手で造られない)別の神殿を建てるのだ。』と言う
 のを聞きました」。
 しかし、このような証言も互いに合わなかった。
 そこで大祭司が立ち上がって、真ん中に進み、イエスに聞き
ただして言った、
「何も答えないのか。これらの人々が貴方に対して不利な証言
を、申し立てているが、どうなのか」。
 しかし、イエスは黙っていて、何もお答えにならなかった。
大祭司は再び聞きただして言った、
   「貴方は、ほむべき者の子、キリストであるか」。
イエスは言われた、
「私がそれである。貴方がたは人の子が力ある者の右に座し、
天の雲に乗って来るのを見るであろう」。
 すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、
 「どうして、これ以上、証人の必要があろう。 貴方がたは、
 このけがし言を聞いた。 貴方がたの意見はどうか」。
すると、彼らは皆、イエスを死にあたるものと断定した。
そして、ある者はイエスにつばきをかけ、目隠しをし、こぶし
で叩いて、「言い当ててみよ」と言いはじめた。また下役ども
はイエスを引き取って、手のひらで叩いた。】
・・・ 大祭司も〔名誉と生活がかかってますから〕必死です。
  周りで(近所で)取り巻いている全てのひとが、神がしるし
  を現される期待を内心持ちつつ、侮辱と暴行をイエスに
   加えているのが、行間に見え隠れしています。
【 ペテロは下で中庭にいたが、大祭司の女中のひとりが来て
、ペテロが火にあたっているのを見ると、彼を見つめて、
「貴方もあのナザレ人イエスと一緒だった」と言った。
するとペテロはそれを打ち消して、
「私は知らない。貴方の言うことが何の事か、分からない」と
 言って、庭口の方に出て行った。
 ところが、先の女中が彼を見て、そばに立っていた人々に、
  またもや「この人はあの仲間のひとりです」と言い出した。
ペテロは再びそれを打ち消した。
 しばらくして、そばに立っていた人達がまたペテロに言った、
「確かにあなたは彼らの仲間だ。あなたもガリラヤ人だから」。
 しかし、彼は、
「貴方がたの話しているその人のことは何も知らない」と言い
張って、激しく誓いはじめた。
      するとすぐ、にわとりが二度鳴いた
 ペテロは、「にわとりが二度鳴く前に、三度私を知らないと
いうであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、そして、
思い返して泣きつづけた。】
・・・ 短い文章ですが、その場で起こっていたこと、とりわけ、
   ペテロの心情が、ダイレクトに伝わってくる名場面であり、
   ジーンと来ます。
   この部分に関して、他の書、「マタイ」「ルカ」「ヨハネ」は、
  詳細に書かれていますので、興味をお持ちの方は、
 書き写しての比較検討を行ってみて下さい。
どれが〔オリジナル〕であり、どれがどういう風に参照されて、
新約聖書が まとめられた のか、よりはっきりするでしょう。
同時に、マルコが、科学的見地から、イエス事件を記録した
 のだな、ということにも、同意頂けることと確信しています。

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コメント

丸3年ぶりに、この「聖書を科学的な立場で筆読・解説」した、マルコ書⑫、『「鶏が2度鳴く前にペテロが3度イエスを否定」予言の場面・・・四つの福音書の比較検討』、を読みました。
 驚いたことに、ちっとも違和感がなく、新鮮な読後感が得られたのでした。感激の涙さえ出て来て早速、占い師:板金勝美女史に電話を掛けたのでした。すぐに電話に出てくれて、11時30分から12時15分までの45分間、携帯電話でお話しを聞くことが出来ました。
 これってすごい事なんですよ。日本人の占師が「キリスト教会」を紹介するのですからね。これだけでもすごい事ですが、、、。
通常、占い師に相談を持ち掛けると、30分で3000円が相場です。それを45分間も携帯電話で対応してくれたのです。➡45分間、丁寧に対応して適切な指導をしてもらったのですから、4,500円払うべきところです。
 まあ、費用の方は兎も角として、この占い師:板金勝美さんの霊能力は抜群で、この3年間で外れたことは1つもないのです。
 ちなみに、3年前の3月に東広島市のフジグランで偶然出会って以降、ズーっと絶えることなく付き合いが続いているのです。
 その占い師が、私に庄原市にあるアライアンス教会へ行くことを勧めてくれたのがきっかけで「聖書の筆読・解説」をブログ『光世界の冒険』で展開する事になったのです。
『きっと誰も読んではくれないだろうな、辛気臭くて。』と、思いつつ、新約聖書/旧約聖書のポイント文章を皆さんに紹介したのです。[UFOと宇宙人探し〕という引き付ける言葉は添えましたが期待はしませんでした。しかし、
 結構アクセスが全国からあり、毎日数時間かけて数週間アクセスする人が毎月3人ぐらいいました。この3年間、ズーっと続いているのですよ。有り難いことです。
そして、本日(2017年6月4日)、アインシュタイン思想に関する一連のブログ記事を書き終えた本日、「『宇宙は逆さ富士イメージで捕らえるのが適切です』との、まとめのブログが書けました」との結果を占い師:勝美女史に携帯電話で報告したのでした。
 有意義な45分間でした。次の努力目標も示唆してくれました。
「大自然という神様は真に人使いが荒いですね。」と言って電話の向こうとこちらで笑い合ったのでした。
 このブログにアクセスし熱心に読んで下さったあなたに申し上げます。
 読んでくれて有難う。イエスキリストもブッダも人間ですが、人知を超えた大自然の神様は確かにいらっしゃいます。あなたも「その神の分身の一人」なのです。自信を持って、あなたに与えられた天命を果たされるよう、陰ながら祈ってます。
 焦らず、悲観せず、ご努力下さい。
最近、「置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子)」を読みました。実に良い本で、3冊注文して周囲の人達に回覧してます。あなたが信じている良い夢はきっと実現しますよ。
「逆に悪い夢をイメージするとその悪い夢が実現します」。兎に角、交通事故を起こしても、『良かった、この程度で済んで感謝ですと思うことです!
 Good Lack! 大山宏
 当ブログにコメント下されば丁寧に対応させて頂きます。遠慮なくコメント欄にご記入下さい。待ってます!

投稿: 大山宏より皆様へ | 2017年6月 4日 (日) 13時26分

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