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2015年3月19日 (木)

マ9、信頼度の低い記述と高い記述の見分け方

マルコによる福音書を、読み続けています。
【第九章】
【 また、彼らに言われた「よく聞いておくがよい。神の国が力を持って来るのを見るまでは、決して死を味わわない者が、ここに立っている」。
 六日の後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。 ところが、彼らの目の前で、イエスの姿が変わり、その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、
それほどに白くすることは出来ないくらいになった。すると、エリヤがモーセと共に彼らに現れて、イエスと語り合っていた。・・・

 ペテロはイエスに向かって言った、「先生、私達がここに居る
のは、素晴らしいことです。それで、私達は小屋を三つ建てま
しょう。一つはあなたの為に、一つはモーセの為に、一つは
エリヤの為に」。 そう言ったのは、みんなの者が非常に恐れ
ていたので、ペテロは何を言って良いのか分からなかったから
である。 すると、雲がわき起こって彼らをおおった。
         そして、その雲の中から声があった、
「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。
彼らは急いで見まわしたが、もはや誰も見えず、ただイエス
だけが、自分達と一緒におられた。】
・・・ 『ペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて』という箇所は気に
 なりますが、『その雲の中から声があった、「これはわたしの
  愛する子である。これに聞け」。』と声がして、直ぐにイエス
   だけになった、というくだりは信頼性のある記述です。
 はっきり言うと、「エリヤがモーセと共に彼らに現れて、」という
記述の信頼度が低い
という事です。 幻覚であった可能性が
非常に高いと、マルコは暗に示唆しているのでした。

【一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中から
よみがえるまでは、いま見たことを誰にも話してはならない」と、
彼らに命じられた。 彼らはこの言葉を心にとめ、死人の中から
よみがえるとはどういうことかと、互いに論じ合った。 そして
イエスに尋ねた、「なぜ、律法学者達は、エリヤが先に来るはず
だと言っているのですか」。
 イエスは言われた、
「確かに、エリヤが先に来て、万事を元通りに改める。 しかし
人の子について、彼が多くの苦しみを受け、かつはずかしめら
れると、書いてあるのは何故か。しかし、貴方がたに言っておく、
エリヤは既に来たのだ。 そして、彼について書いてあるように、
人々は自分かってに彼をあしらった」。】
・・・ このエリヤというのが、律法学者達が言ってるエリヤであ
  り、〔バプテスマのヨハネ〕がこれに該当しています。 一方、
 イエスが言ってるエリヤは、イエス自身のことを指していると、
読み取るのが自然の様にも見えます。 
人の子」とはイエス自身を自分で指して呼んでいるらしいです。
  この辺りは、「ペテロ&ヤコブ&ヨハネ」の記憶の中にも、
   混乱があるのではないでしょうか。

【 さて、彼らが他の弟子達の所にきて見ると、大勢の群集が
弟子達を取り囲み、そして、律法学者達が彼らと論じ合っていた。
群集はみな、すぐイエスを見つけて、非常に驚き、駆け寄って来て
、挨拶をした。イエスが彼らに、「貴方がたは彼らと何を論じている
のか」と尋ねられると、群衆のひとりが答えた、「先生、おしの霊に
憑かれている私の息子を、こちらに連れて参りました。 霊がこの
息子に取り付きますと、何処ででも彼を引き倒し、それから彼は
あわを吹き、歯を食い縛り、身体をこわばらせてしまいます。
それで、お弟子達に、この霊を追い出して下さるように願いました
が、出来ませんでした」。
 イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な時代で
あろう。 いつまで、私は貴方がたと一緒におられようか。
いつまで、貴方がたに我慢ができようか。その子を私の所に
連れてきなさい」。
 そこで人々は、その子をみもとに連れてきた。
霊がイエスを見るや否や、その子を引き付けさせたので、子は倒
れ、あわを吹きながら転げまわった。
そこで、イエスが父親に「いつ頃から、こんなになったのか」と尋ね
られると、父親は答えた、「幼い時からです。霊はたびたび、この子
火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。 しかし出来
ますれば、私どもを哀れんでお助けください」。 
イエスは彼に言われた、
「もし出来れば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でも出来る」。
  その子の父親は、直ぐ叫んで言った、
「信じます。不信仰な私を、お助けください」。
 イエスは群集が駆け寄って来るのをご覧になって、けがれた霊
をしかって言われた、「オシとつんぼの霊よ、私がお前に命じる。
この子から出て行け。二度と、はいってくるな」。
すると霊は叫び声をあげ、激しく引き付けさせて出て行った。
 その子は死人のようになったので、多くの人は、死んだのだと言
った。しかし、
イエスが手を取って起こされると、その子は立ち上がった
 家に入られたとき、弟子達は密かにお尋ねした、
「私達は、どうして霊を追い出せなかったのですか」。するとイエス
は言われた、「このたぐいは、祈りによらなければ、
             どうしても追い出すことは出来ない」。】
・・・ ペテロ&ヤコブ&ヨハネとイエスの四人が山から下って来た
  以降のこの記述は、元のマルコ文章に戻っています。
  マルコは、時系列関係を明確にするため、少々信頼度に欠け
  ることは覚悟の上で、四人が山の中で”あった”という記述を
  挿入したものと、推察できます。
 さて、最後の文章、『このたぐいは、祈りによらなければ、
    どうしても追い出すことは出来ない』は、医学上ももっとも
     であろうと、思われます。
 
【 それから彼らはそこを立ち去り、ガリラヤを通って行ったが、
イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。それは、イエスが
弟子達に教えて、「人の子は人々の手に渡され、彼らに殺され、
殺されてから三日の後に蘇るであろう」と言っておられたから
である。 しかし、彼らはイエスの言われた事を悟らず、また、
尋ねるのを恐れていた。】
・・・ この文章にも、乱れがありますが、大目に見てあげましょう。

【 それから彼らはカペナウムに来た。そして家に居られる時、
イエスは弟子達に尋ねられた、「貴方がたは途中で何を論じていた
のか」。 彼らは黙っていた。それは途中で、だれが一番偉いかと、
互いに論じ合っていたからである。
そこで、イエスはすわって12弟子を呼び、そして言われた、
「だれでも一番先になろうと思うならば、一番あとになり、みんなに
仕える者とならなければならない」。
そして、ひとりの幼な子をとりあげて、彼らの真ん中に立たせ、
それを抱いて言われた、
「だれでも、このような幼な子のひとりを、私の名のゆえに受け入れ
る者は、わたしを受け入れるのである。そして、私を受け入れるので
はなく、私をお遣わしになった方を受け入れるのである」。】
・・・ これも、キリスト教以外の人々であっても、『さもありなん』と、
   うなずかされる言葉ですね。

【 ヨハネがイエスに言った、「先生、私達に付いて来ない者が、
あなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人
は私達に付いて来なかったので止めさせました」。
イエスは言われた、「止めさせないがよい。誰でも私の名で力ある
わざを行いながら、すぐそのあとで、私をそしることは出来ない。
私達に反対しない者は、私達の味方である。
 誰でも、キリストについている者だというので、あなた方に水一杯
でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いから
もれることはないであろう。 また、私を信じるこれらの小さい者の
ひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に
投げこまれた方が、はるかによい。】
・・・ ここまでは、御無理御もっとも、です。だいたい、質問が低級
   過ぎますよね。 イエスの昇華した返答も、納得です。
   しかし、以下は少々、極論ではないでしょうか。
  イエスがそこまで言われたかどうかも疑ってしまいますが。
【 もし、あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。
両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、
かたわになって命にはいる方が良い。
〔地獄では、うじがつきず、火も消えることがない〕
 もし、あなたの片足が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。
両足がそろったままで地獄に投げ入れられるよりは、片足で命に
入る方が良い。〔地獄では、うじがつきず、火も消えることがない〕
 もし、あなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出しなさい。
両目がそろったままで地獄に投げ入れられるよりは、片目になっ
て神の国に入る方が良い。
     地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。】
・・・ はっきり言って、この文章は誰かが後で付け加えたとしか、
   思えません。 特に、〔地獄では、うじがつきず、・・・〕は、
   イエスも言うはずも無いし、マルコも『変だな』と思いつつ、
   これを書いているように、感じられます。そこまで言っては、
   狂信者がその言葉を鵜呑みにして、やった時に、責任の
   取り様が無いからです。こんな極端な発言はイエスがもし
   言ったとしたならば、うっかりの失言でしょう。
【塩は良いものである。しかし、もし、その塩の味が抜けたら、何に
よってその味が取り戻されようか。貴方がた自身の内に塩を持ち
なさい。そして、互いに和らぎなさい」。】
・・・ これは、実に響きの良い言葉です。
「あなたがたは地の塩であれ」を、大きく掲げた教会もあります。

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