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2015年4月 5日 (日)

ル⑩、仏教の悟りに近いイエスの「神の国」観を発見!

「ルカによる福音書」の第17章を、通読中です。
【 イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤ
との間を通られた。 そして、ある村に入られると、10人の
らい病人
に出会われたが、彼らは遠くの方で立ち留まり、声
を張りあげて「イエス様、私達をあわれんでください」と言った。
イエスは彼らをご覧になって、「 祭司達のところに行って、
身体を見せなさい。」と言われた。 ・・・

 そして、行く途中で彼らは清められた。 その内のひとりは、
自分が癒されたことを知り、大声で神をほめたたえながら
帰ってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。
これはサマリヤ人であった。
イエスは彼に向かって言われた、「清められたのは10人では
なかったか。他の九人は、どこにいるのか。神を誉め讃える
為に帰ってきたものは、この他国人の他にはいないのか」。
 それから、その人に言われた、
「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。】
・・・ ありうる話ではありますが、
   ちょっと出来過ぎの話の匂いも、感じられます。
   何せ、その前の挿入(創作)話が余りにひどかったので
   ついつい、そんな気持ちになってしまいます。
 神の国はいつ来るのかとパリサイ人が尋ねたので、
イエスは答えて言われた、
神の国は、見られるかたちで来るものではないまた、
『 見よ、ここにある。』、『あそこにある。』などとも言えない。
 神の国は、実に、貴方がたのただ中に あるのだ」。】
・・・ これは、”凄いもの”を発見!しました。
  この悟りの境地仏教徒の悟りの境地なんですよ。
 それを、新約聖書の中に、イエスの言葉として発見できた
 とは感激です。
 もっとも、旧約聖書の中には、「伝道の書」とか「箴言」いう
 書などで、この手の哲学的な話しは沢山見受けられる
                         みたいですが。
【 それから弟子達に言われた、
「貴方がたは、人の子の日を、1日でも見たいと願っても
        見ることが出来ない時が来るであろう。
 人々は貴方がたに、『見よ、あそこに。』『見よ、ここに。』と
言うだろう。 しかし、そちらへ行くな、彼らの後を追うな。
稲妻が天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡る
ように、人の子もその日には同じようであるだろう。
 しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、
  またこの時代の人々に捨てられねばならない。
そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様な事
が起るであろう。
 ノア箱船に はいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、
とつぎ などしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、
                彼らをことごとく、滅ぼした。
 ロトの時にも同じようなことが起った。
人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、
ロトソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降っ
て来て、彼らをことごとく滅ぼした。
    人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。】
・・・ これも付け足し臭いです。何故なら、こんな話しなら、
  ちょっと旧約聖書の初めの章を読めば、得られる知識
   なのですから。 しかも、文章の迫力がなさ過ぎる。
ルカの集めた情報の中には、こんなものも多々あった
のでしょう。
【 その日には、屋上にいる者は、自分の持ち物が家の中に
あっても、取りにおりるな。 畑にいる者も同じように、あとへ
戻るな。 ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を救お
うとするものは、それを失い、それを失うものは、保つので
ある。
貴方がたに言っておく。 その夜、ふたりの男が一つ寝床に
いるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるで
あろう。 ふたりの女が一緒にうすをひいているならば、
ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。
ふたりの男が畑におれば、ひとりは取り去られ、
            他のひとりは残されるであろう
。〕】
・・・ この〔 〕書きは、ルカ書のコメント文の印 らしい。

【 弟子達は「主よ、それはどこであるのですか」と尋ねた。
するとイエスは言われた、
「死体のある所には、またハゲタカが集まるのである」。】
・・・ イエスは、あやふやに誤魔化して(すり抜けて
  おられる様子が伝わって来ます。是もにせ作かな?
《 変な説法話が続いて行きます。》
【第18章】
【 また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に
譬(たとえ)で教えられた。「ある町に、神を恐れず人を人とも
思わぬ裁判官がいた。
 ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとに
たびたび来て、
『どうぞ、私を訴える者を裁いて、私を守ってください』と願い
続けた。 彼はしばらくの間、聞き入れないでいたが、
そののち、心の内で考えた、
「私は神をも恐れず、人を人とも思わないが、このやもめが私
に面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。
そうしたら、絶えずやって来て、
           私を悩ますことがなくなるだろう』」。
 そこで主は言われた、
「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。
まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきを
して下さらずに長い間、そのままにしておかれるだろうか。
貴方がたに言っておくが、神はすみやかに裁いてくださるで
あろう。 しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られる
であろうか」。】
  (=== 変、変 変だ。===  論理になっていない。)
 イチャモンを付けるなら、救い主が現れるという預言はイエス
 の誕生前:五百年になされたが、その後、四倍の2000年が
 既に、経過
している。
 『速やかなる神の裁きが行われて来るはず』、という言葉の
 信憑性は地に落ちた、と、結論付けない訳にはいかない。

【 自分を義人だと自任して他人を見下げている人達に対して、
イエスはまた、この譬をお話になった。
「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりは
パリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は
立って、ひとりでこう祈った、
『神よ、私はほかの人達のような貪欲な者、不正な者、姦淫を
する者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを
感謝します。私は1週間に2度断食しており、全収入の十分の
一を捧げています』。
 ところが、取税人は遠く離れて立ち、
目を天に向けようともしないで、胸を打ちながら言った、
『 神様、罪人の私をお許し下さい 』と。貴方がたに言っておく。
神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、
あのパリサイ人ではなかった。
おおよそ、自分を高くする者は低くされ、
       自分を低くする者は高くされるであろう」。】

以上、第17章の近辺は、信頼度の低い雑多な情報片があっ
  たのを捨てるのも如何なものかと思いつつ、役人である
  ルカが編集したものと、思われます。
  ここから以降は、「マルコによる福音書」のコピー転記
                        戻っている模様です。
【 イエスに触って頂く為に、人々が幼な子らをみもとに連れ
てきた。ところが、弟子達はそれを見て、彼らをたしなめた。
 すると、イエスは幼な子らを呼び寄せて言われた、
「幼な子らを私のところに来るままにしておきなさい。止めて
はならない。 神の国はこのような者の国である。よく聞いて
おくがよい。 だれでも幼な子のように神の国を受け入れる
   者でなければ、そこに入ることは決してできない」。】
・・・ 「マルコ書」と同一内容ですね。簡素化もなされている。
【 また、ある役人がイエスに尋ねた、
「良き師よ、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
イエスは言われた、
「なぜ私を良き者と言うのか。神ひとりのほかに良い者は
いない。 いましめは貴方の知っている通りである。
『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証を立てるな、父と母を
敬え』」。 すると彼は言った、
「それらの事はみな、小さい時から守っております」。
 イエスはこれを聞いて言われた、
「貴方のする事がまだ一つ残っている。持っているものを
みな売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。
そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、私に従って
来なさい」。
 彼はこの言葉を聞いて非常に悲しんだ。大金持であった
からである。 イエスは彼の様子を見て言われた、
「財産のある者が神の国に入るのはなんと難しいことで
あろう。富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴
を通る方が、もっとやさしい」。
 これを聞いた人々が、
「それでは、だれが救われることが出来るのですか」
と尋ねると、イエスは言われた、
「人には出来ない事も、神にはできる」。
ペテロが言った、「御覧なさい、私達は自分のものを捨てて、
あなたに従いました」。 イエスは言われた、「よく聞いておく
がよい。誰でも神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子を
捨てた者は、必ずこの時代ではその幾倍も受け、また、
     きたるべき世では永遠の生命を受けるのである」。】
・・・ どこが違っているのでしょうか。間違い探しをやってみて
    ください。簡素化が計られているのが分かりますよ。
【 イエスは12弟子を呼び寄せて言われた、
「見よ、私達はエルサレムへ上って行くが、人の子について、
預言者達がしるしたことは、すべて成就するであろう。
 人の子は異邦人に引き渡され、あざけられ、はずかしめを
受け、つばきをかけられまた、むち打たれてから、ついに殺
され、そして3日目によみがえるであろう」。
 弟子達には、これらのことが何一つ分からなかった。
この言葉が彼らに隠されていたので、イエスの言われた事が
                       理解できなかった。】
・・・ これは、何ページか前に、書かれていた内容ですね。
   改めて、此処に書く必要性を感じないのですが、
   何か、意図があるのでしょうか?
【イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って
物乞いをしていた。 群集が通り過ぎる音を耳にして、彼は
何事があるのかと尋ねた。
ところが、ナザレのイエスがお通りなのだと聞かされたので、
声をあげて「ダビデの子:イエスよ、私を憐れんでください。」
と言った。先頭に立つ人々が彼を叱って黙らせようとしたが、
彼はますます激しく叫び続けた。
「ダビデの子よ、私を憐れんで下さい」。
 そこでイエスは立ちどまって、その者を連れて来るように、
とお命じになった。
 彼が近づいたとき、「私に何をして欲しいのか」とおたずねに
なると、「主よ、見えるようになる事です」、と答えた。そこで、
イエスは言われた、
「見えるようになれ。 貴方の信仰が貴方を救った」。
 すると彼は、たちまち見えるようになった。そして神をあがめ
ながら、イエスに従って行った。
          これを見て、人々はみな神を賛美した。】
・・・ 随分と簡略化が、計られていて、味気ない事務報告
   内容に、なっているように思います。 暇な人は、
   「マルコ書」と見比べて、ご覧になってください。

   明日は、第19章を、読んで分析してみましょう。
   「ルカによる福音書も、24章までなので、もう一息です。
   お休みなさい。 なに?眠れなくなった? ゴメンね。

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