« ダーウインも見間違えたサンゴ礁成因の原動力 | トップページ | 平頂海山の分布と成因・・氷惑星からの氷群が頭をチョン切った »

2015年9月13日 (日)

頭をチョン切られた平頂海山・・大増水(海水面上昇)の証拠2

 平頂海山(ギョー) ・・・ 氷惑星(天体M)の謎(故高橋実著)より転載させて頂いてます。復刻版が待ち遠しいです!
 海山 》 
 海洋の底に山がある--ということについては、人々はあまり驚かなかったようである。しかし、海山のいくつかは、頂部が削られたように平らである--ということが判ったときは、いささか驚いた。 更にその頂面(それは海面下にあるわけだが)と、イマの海水面との間隔--つまり頂面が沈んでいる水深--が1000メートル前後もあることのほかに、後述のような細部事情があることが分かったときには、(専門家は)”また自分たちが何とか説明を加えなければならない(そうすることを一般の人々から暗に要求される)新しい事象が見付かった--つまり、仕事が増えた!”という感じがあったようである。
 その事実というのは(あまり、一般には知らされていないが)次のようなことであった。
(A)、ある海域の平頂海山の(頂面の)水深は、高さが揃っているように見える。
(B)、海域によって高さが違っている。
 具体的に言うと、アラスカ湾海域にある平頂海山の(頂面の)水深は、ほぼ750mである由であり、これに対して西部太平洋にある一群の平頂海山の(頂面の)水深は、ほぼ1500m前後で、やはり高さが揃っている--ということである。
 これは、さすがに、何かかすかながらも、不気味な感じを与えることであった。 海に山がある。というそのことには(一般の人は)あまり驚かなかったと始めに書いたが、専門家には、これもなかなかに難しいことなのであった。
 次項で、このことからまず説明をするつもりであるが、そういう専門家にはかなり難しいこと(その割には一般の人には至極当たり前のことと思われていること)を一応調べた上でないと、平頂海山なるものの不思議さも、実は正しくは理解されないかと私は思う。 どのよううな山岳構造の、どこの部分が”むずかしい”と言われる理論になるのか?
そのことを実をいうと、我々(著書を含めて)門外漢には知らされていないわけである。 まあ、ボツボツと、この禁断の城域に近寄ってみることに致しましょうか。
《 ハワイ観光案内書の一節 》
 日本の読者も、そして世界中の観光旅行を楽しんでいる人々も、ハワイ群島に関する観光知識は豊富に持っておられることと思う。
1970年頃に私も数日間を妻と一緒にハワイに遊び、その中の一日を観光用の飛行機で、多くの人々と、一緒にハワイ群島を見てまわったことがある。
 世界的に有名な活火山であるキラウエア火山の溶岩が、ゆっくりと河をつくって流れ下っている状況も、私達の眼下にあった。
私に取っては、もうとっくの昔に冷え固まったはずの岩石なる物質が、こうして、いま眼の下で、本当に流れ動いているのを見るのは、ちょうど動物学者にとっての化石的生物の生き残りのような、たとえばコモド・ドラゴンなどが、眼の前でノッシノッシと動いているのを見た時に受ける感動と同じような感動を、私は受けたものである。
 さて、そういう観光旅行者のための案内用のパンフレットの中に、私としては溶岩よりも、もっと強烈な印象を受けた一節があったものである。
このハワイ群島が、どうしてできたのか? は、未だにわかっておりません。”という一節であった。 当時は、いまから5年以上前のことであるので、私は山の成因に類することなどは、ほとんど念頭になかった。山なんてものは、在るのが当然であった。それに、ハワイ群島の成因説(それがあるとして)の、どの部分がわからないのであろうか? 当時の私には、見当もつかないことであった。
 しかし、今の私の立場から考えると、ハワイ群島の成因も、それから、ここでの話題である海山の成因も、どうやら同じものであるらしく見えてきている(第Ⅲ部参照)。
 そのように見えて来た理由は何であろう?
読者にも分かりやすく一言でその理由を説明してみると、それは「大洋島」と「海山」という2つの地理学的な概念が、いまや(私の頭の中では)一つのものになりかかっているからなのであった。
 海水面というものが、地理学の上では、不動の一線を「島」と「海山」との間に画していた。しかし”海を干し上げてみる”というような作業によって、概念の上で海水面というものを取り払ってみると、海山と島との間に、さほど本質的な差はないもののように見えてくる。 しかしながら、やはり「海山」と「ハワイ群島」とは違うところもある。

 ハワイ群島は海山との比較において、同じく太平洋海盆(深さ約5000m以上)からの直接(註:この語の意味は後述)の隆起地形ではあるにしても、その規模は(海山よりもハワイ群島のほうが)かなり大きい。
 ところが、もう一度しかしながら、ハワイ群島の隆起の規模を海嶺と呼ばれている超大型の隆起(?)と比べてみると、これはもう一見してわかることは、(ハワイ群島の方が)海嶺よりも遥かに海山のほうに規模としての縁が近いものである。
 ハワイ群島は、やはり海山と同じように、深さ約5000mの太平洋海盆から、直接に隆起しているのであった。
この隆起の仕方が、謎なのである。
それは平らな皮膚の表面にできたニキビのような吹き出物らしく見えるのである。
そう、我々は海山の話をしていたのであった。ハワイ群島は寄り道なのである。海山のほうに帰ろう。つまり海水面から下に潜んでいる山--すなわちシー・マウンツ--の話をするのである。
海山は、太平洋の広い海盆の底面から直接に(あるいは単独で--という意味は、中間的な台丘の上などにあるのではなく)隆起しているところの、ほぼ円錐形の山である。
 海底5000mの所を仮の基盤と考えて、そこで測った数値で言うと、裾の直径は数10Kmから100Km、そうして高さは3000mから4000mくらい、中には5000mくらいのものもある。
 つまり、日本の陸上で富士山を海面から測った場合と比較すると、富士山くらいのものが小さい部類に属し、多くは富士山よりもだいぶ大きい。高さもいろいろとあって、大部分は富士山より高いが、低くて小さいのも、もちろんある。 高いほうで5000m近い山というのは、これを逆に言うと、海面すれすれの所まできているものもある--ということである。
 日本人にナジミの深い名をかぶせた海山群として「天皇海山群」(エムペラー・シー・マウンツ)というのが、カムチャッカ半島の付け根に近いあたりから南の方向へ、北緯30度のあたりまで並んでいるのが、その中の一つは海面下僅かに11メートルのところに頂上がある。
 海面近くにまで来たものよりも更に高いものが、海面上に頭を出すと、大洋島といって大海原の中に栗粒をまいたように散らばった島々になる。
 大洋島と海山とを一緒にした分布状況を述べれば、太平洋のほとんど全域に数百個という数が分布している。その中でも海山の数が多い。海山の中に平頂海山がある。この平頂海山の分布は、しかし、限られている。
 平頂海山は、そうでない海山が平面的に群れているのに比べると、やや線状に列をなして分布しているように観察される山である。
そういう線が3つほどあり、一つは既述した天皇海山群で、
他の二つはハワイ群島西方から南鳥島へと続くネッカー海膨の上に並ぶものと、
 マリアナ諸島からマーシャル群島へと並ぶ線とであるという。
その他に、目立つものとして、アラスカ湾に10個の平頂海山があり、
更に、カリフォルニア沖の海域に2個の平頂海山があるという。
《 平頂海山の成因 》
 海山そのものの成因も、平頂海山の成因も、ともに私には興味深いものがある。海山の成因については、後で第Ⅲ部あたりで考えてみることにして、ここでは平頂海山がまず海山から頂部を削りとられものと解釈して話を進めてみよう。
 削りとられたとすると、いつ、いかなる力によって削りとられたのか? を考える事になる。
今までの考え方では、かつて海面上に顔をだしていた火山島が、波によって削られ、削られた後に沈下した--とするのである。
 ここに2つの、説明の上での難関がある。
第一は島(の頂部)を削る力、第二は沈下である。
沈下を説明しなければならない理由は、要するに平頂海山の頂面が、平均して1500mくらい水面下にある--という事実があるからであった。そして、その頂面の水深も、かなりまちまちなものであった。西太平洋の平頂海山は前述のように1500m前後に沈座しているようであるが、アラスカ湾の10個の海山の平頂面は、もう少し浅く約700m前後の所に頭を揃えて、沈座しているようなのである。
 このように、偏差があることとか、また削られた平頂海山が、削られなかった海山の間に混じっていること(但し、かなり広い範囲の中で混じっているのであるが)などは、たとえば海面のなみによる削り取りを考えるときのように、世界全域に同一水準で起るような性質の事象を原因とすると、説明しにくいことになるのである。
 やわらかい海山だけが削られた--とするにしては、海山の多くが玄武岩でできていることが確かめられているし、何よりも削った後の沈下を説明するのが大変な難関であると考えられるようになった。
《 平頂海山の頂面の化石 
 私が私の流儀によって増水の証拠であるとみなしている平頂海山の頂面の化石は、実をいうと、前項に述べた沈下がいつから始まったかを説明する資料(あるいは、沈下事象があったと説明するにしては、その説明が難しくなるという事を示す反証資料)として扱われて来たものであった。
 たとえば、サンゴ礁が沈下したとする摂などに対して実際の平頂海山の頂面からサンゴが発見された例は2例しかない--ということが言われている。
もっとも、このサンゴ礁沈水説が成立しがたいことは、別称で述べたサンゴ礁の成長可能海域(南北緯30度以下)の考え方に対して、アラスカ沖のギョー群も天皇海山群のビョーも、ともにこのサンゴ礁の限界よりも北方にあるものである--という点からも、言い得るのである。
 平頂海山(ギョー)の頂面がかつて浅海面にあったと推察される決定的な証拠となる化石は、サンゴではなく、浅海性有孔虫の化石であるようである。
この化石は水温の低い海にも発見される。各種各様の有孔虫が、浅海性のものやそうでないものに分けることができ、おまけに(その種類によって)水温まで見分けられるのである。
 これまでに加えて生物炭素の年代を測定する方法を併用することから、平頂海山の頂面が海水面近くにあった時点が、決定されるようになってきた。
 ハワイ群島の西方で群を成しているギョーの一つから得られたサンゴは、白亜紀のものだとされている由である。ところが、カリフォルニア西方海域にあるギョーから取れた浅海性有孔虫の化石は第三期中新世のものと決められている由である。
 これらの何げなく語られている資料は、既述のように、ギョーの沈下を説明するのが大変だ(註:ごく最近まで海面近くにあったが、その短い間に、ギヨーの基盤が沈下したと考えることを指す)という資料なのであるが、私の立場からすると、これはまた貴重な大増水の資料なのである。
そのことを、ちょっと述べて、平頂海山の話を一旦打ち切ることにしたい。その成因等については再び第Ⅲ部で触れることにする。
《 大増水の資料としての平頂海山 》
 前項に述べた化石資料は、もう一度仔細に点検してみると、大増水の証拠であるばかりでなく、もう少し具体的な、大増水の過程をさらに細部にわたって示したもののように思える。もっとも、資料数が少なくて、軽々には断定できないが、他の資料(註:第Ⅰ部の「海封」の考え方も参照)と考え合わせると、相当に具体的な過程を示すもののように見える。
 というのは、
白亜紀のものと決定されたハワイ群島西方の海山群は、おおむね1450m~1470mの海面下(註:そこで頭をチョン切られている)にあり、一方、カリフォルニア沖にあって第三紀中新世のものと決定されたギョーは、海面下640mの所に沈んでいる(その位置で頭をチョン切られている)。
 つまりこれは、古いもの(白亜紀)は約1500mの海面下にあり、新しいもの(第三紀中新世)は約640mの海面下にある--ということである--そのように、私には見える。それが大増水のテンポを示している如くであり、「海封」の考察結果から、おぼろげに得たテンポとも、何となく合致しそうな気がする。

|

« ダーウインも見間違えたサンゴ礁成因の原動力 | トップページ | 平頂海山の分布と成因・・氷惑星からの氷群が頭をチョン切った »

KⅡ氷河・海水準・海進・海退」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 頭をチョン切られた平頂海山・・大増水(海水面上昇)の証拠2:

« ダーウインも見間違えたサンゴ礁成因の原動力 | トップページ | 平頂海山の分布と成因・・氷惑星からの氷群が頭をチョン切った »