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2016年1月30日 (土)

S21 天体Mを見た民族 ノアの余水は全世界の海岸を襲った(高橋実著)

灼熱の氷惑星(高橋実著) 第四章より(続きです)・・・約40年前の本のコピーですので、「絵」が不鮮明なのが、残念です。原書房様、復刻版の方、御検討して頂けてますでしょうか?

《 天体Mを見た民族 》

第Ⅳ-2図は、このようにして一層真実味を増して来たノア異変の軌道分析(天体Mの行動分析)を基準にして、世界の諸民族がこの異変のとき、どのような位置にいたかを示している。

Photo_5 この図では、至近距離に接近して来た天体Mを見ることが出来ると思われる経度は、直撃地帯を除いて考えると、カラチ(パキスタン)から東京までの四半円の上にある。
この位置で私が、天体Mが見えたはずだと考える理由は、ちょっと変わっている。

 というのは、ここは白昼の地域であり、普通ならば見えない、と思われている所である。 しかし、この第Ⅳ-2図の範囲は非常な至近距離であり、反射光も充分あるので、極めてはっきりと見えるはずだ。

つまり、昼でも見える位置なのである。

しかもこの経度の範囲には現在、世界最大の人口密集地域であるインドや中国や、あるいはラングーン(ビルマ)、バンコク(タイランド)などがあり、多くの人々が住んでいる。
そうであるのに、この大人口地域においてノア異変に符号すると思われる事象の観察記録がほとんど残っていない。

ただ、異変に極めて近い場所、例えば第Ⅳ-2図でいえばカラチ(パキスタン)とかインドのボンベイ(Bombay:最近はムンバイ)のような、直撃地域をわずかに離れた附近に居れば見える事象だと思われる記録が一つだけある。

「私は仰いで天を見たが、その恐ろしいことといったら、例えようもなかった。」
例えばボンベイ(インド)の位置で、異変前80秒くらいの天体Mが頭上で見られるはずであるが、その視角は80度近くもあり、ほとんど全天の視野の大半を俺う(覆う?)大きさに見られるはずだ。

 東京の位置から第Ⅳ-2図の天体Mを見ると、正午、西方の地平線または水平線に、視角48度にも達する、巨大とも何ともいい様のない天体が、日に照らされて見えるはずなのだ。

 この天体Mは第Ⅳ-2図の位置では巨大な上弦の半円に見えるが、水平線の位置で正確な半円になり、半円になってからわずか200秒でその頂点を水平線下に没する。異様とも何ともいい様のない巨大な事象であるのに、そのような言い伝えがほとんど残っていない。

 いや、もっと別の事も起っているはずだ。

同じく東京の位置から見ているとして、もう少し前のマイナス1時間の頃には、この天体Mは、どのように見えていたのか?
 あるいはそれは、太陽を完全に隠していたのではないか?
そういうことがあったとすれば、これも巨大な事象である。
けれども、それにしては、これまた、記録が極めて乏しいのである。

4 ノアの余水

いったい、これだけの事象に対して、記録が絶無に近いのは、なぜであろうか? 人類がその時、これらの場所にいなかったのだろうか? 読者の大多数の方は、人類がいたにしても、観察する力も記録する力もなかったのではないか、と思われるであろう。そうかも知れない。
しかし、一方でヨーロッパ方面やエジプト方面に、かなりの記録が残っているに比べれば、東洋における観察記録の空白は、不気味なほどに異様である。何かが、ある!!

《 細い鎌型の天体 》

 謎を解く前に、すこし、フィルムを捲き戻してみよう。第Ⅳ-2図の説明では、異変前6時間の世界について触れている。この時、地球は四分の1回転だけ逆戻りして、東京はちょうど、6時間後に異変が発生するような位置にある。しかし天体Mはこの時、65万Kmも彼方に遠のいてしまう。

 これは少々フィルムの巻き戻し過ぎなのであるが、同じついでに、12時間前まで巻き戻した説明お付しておく。皮肉なことに12時間後に、人類最大の異変に出会う運命にある人々が、この時点での夕方、日没直後の数十分の間だけ、かすかに異様な天体を見ている---と思われる。


 それは円にすれば
月より大きいくらいの視角を持つが、極めて細い鎌型に見えている。この天体は130万Kmも彼方にいるが、バスラの経度と同じ経度附近にいた人々は、この細い鎌のような天体を垣間(かいま)見て寝た後、その翌日の暁闇に、直撃を受けて滅ぶわけである。

 天体Mの速度の速さを、思い知らされることになるが、まさか、あの細い月が---然り、誰もがそれを"月"と呼んだであろう。"月"では無い、別の天体だと知っている人もいたであろうが---12時間で自分の頭上に来るとは!

《 東洋の沈黙 》

 さて、地球の廻り方と、天体Mの行動との関係の見当が、いままでの説明から少しはついたと思われるので、もう一度、第Ⅳ-2図にかえって、前述の不気味な程に異様な”東洋の沈黙”の謎に挑戦してみよう。
 私の考え方によれば、この謎はむしろ第Ⅳ-2図から、時間を巻き戻すのではなく、逆に巻き進めてみると解けそうだ。
ノア異変の後の6時間に、あるいは12時間に、あるいはさらに進んで18時間に、問題の東洋の地域の人々は、どこにいたか?

 東京は異変後の6時間で日没を迎え、そのあとの12時間は夜の半球の上にいる。ラングーン(ビルマ)の人々は、ノア直撃のあと、9時間で日没を迎え、それからの12時間、同じく夜の半球の上で過ごす。セイロンやボンベイ(インド)の人々は、さらに少し遅れて10時間後~11時間後に日没を迎える。

 私のカンでは、どうもこの異変後の夜が怪しいのである。

というのは、この時間帯が、考えてみるに、例の大西洋に落ちた大量の水が、次第に太平洋へと流れ込み、太平洋の沿岸の諸民族を、呑み込んでしまうに至る---そういう時間帯であるという気がする。

 簡単に見過ごしがちであるが、これは恐ろしい推理である。

海面を1時間毎に数メートルづつも上げてゆき、しかもそれを十数時間にわたって続ける---。

あろうことか、この巨大な異変の最中に、太平洋の西側沿岸の諸民族、夜の中にあり、そうして、寝ていたのである。
 私は、さきに、この太平洋岸(西側)の人々は、1時間に数メートルもの割合で上昇する海に、びっくり仰天したことであろうと述べたが、この判断が間違いなのである。彼らはびっくり仰天するチャンスを与えられなかった!

 彼等は死んでから驚いたのに違いないのだ。

彼等の夜中12時間の間に、彼等の平野は数百メートルにも海底に沈んでしまった。
海が、いつの間にやら、100メートルにも200メートルにも、あるいは300メートルにも上昇してしまったのだ。
一体、これら数字のうち、何百メートルが正しい数値なのか? と読者は質問されるであろう。そのことは後で話す。

 実はこの時に増水した水位を知ることが、今後の問題なのであって、それはおそらく世界各地の海進(海が上昇して陸地の方へ進むこと)の痕跡を慎重に調べ直すことで見当がついてくるのではないか? と思っているのであるが、いまはしばらくの間、文学的な表現を続けよう。


海が上昇することは、逆にいえば陸地が海底に沈むことである。

黒強調文にした先刻の記述は、読者に、それにしても一抹の不審を懐かせないであろうか?
『なぜ、南北両大陸の諸種族達は、逃げに逃げた思い出をもっているのか?』

『なぜ、東洋の太平洋岸の諸民族は、黙然として滅んでしまった のか?』

『世界中の海は、結局のところ、一様に何十メートルか、あるいは著者のいう所を信ずるなら、何百メートルか上昇し、いずれにしても一せいにやられた のではないのか?  東洋に起きたのと同じことが他の世界でも起きたのとは違うのか?』

《 水没するアジア 》

 著者自身もようやく気がついたのは、表現の方法ということである。この書物の読者にしても、あるいは、太古の伝説を読む人にしても、おそらくその人々の頭の中では、常に、事件が同一水準面で起きているように、受け取られているに違いないのである。

書く方の側の人が、海が上昇したとは、書いていない。

地学の用語でも、海が進むと書き、その逆は海が退くと書くわけである。次にまた、陸と海の上下運動を期す時にも、陸が沈んだ、と書くわけである。

 私の天体M仮説のように、巨大な量の、数京トンもの水が、一度に地球に移されたら、これは明らかに海が上昇することになる。

読者のために復習をすれば、3.5京トン増水すると、地球の海面は100メートル上昇する。どうも、陸が沈んだとは発想し難いところである。

 そこでこの事象を私は、別の地学的用語で、水圏の突然成長といっている場合もある。第五章、第六章はこの用語でいっている。しかし、地学的事象を、人間社会の用語に直すと、どうも、東洋の太平洋西南沿岸地域の土地は、ノア異変直後、広範囲にわたて海中に沈んだ---らしいのである。
ただし、もはや読者は、この海中に沈むという表現が実は増水を意味する、とわかっていられるであろう。

《 沈む陸地 》

 ノアの余水は世界の海を一様に満たすであろう。何も東洋のある地域だけが沈むわけではない。
読者の不審点として先に三つあげた問題を解いてゆこう。
順序は前後するが、答えの第一は、垂直な海岸を持った陸地なら、沈まないはずだということである。

 垂直というのは極端な例であるとしても、少々、斜面の急な海岸なら、沈んだ気がしないであろう。してみると、沈んだのは低い平らな沿岸の土地なのである。土地は少しも動かないのだが、海の方が上昇してしまったのである。

一挙に300メートルも増水すれば、仮に読者が今住んでいる所がそのようになったとすれば、読者の家なり街なりの上空300メートルには、12時間後に海が来ているのである。
このような途方もない事態に、東洋の太平洋西側沿岸地域の広い面積が遭遇した。

 その例は後で図で示すが、インドネシア半島・マレー・スマトラ・ジャワ及びボルネオ等の陸地で囲まれた一つの広大な現在の海域が、ノア異変直前までは陸地であった---というようなケースが考えられるのである。
これに似たような広大な地域が世界に数ヵ所ある。

中国大陸西南岸沿いの大陸棚
中国大陸東岸と朝鮮半島に抱かれた海域
オーストラリアとニューギニアの間の広大な海域
北海(ノースシー:英国とヨーロッパ本土との間の海域)

 以上の四ヵ所に最初の例を加え、計五か所が非常に広いまとまった浅海域である。その他の場所にも、大陸沿いに細い幅の浅海域が取り巻いてはいるが、概していえば、上記の五地域(?)が極めて目立つ。他の大陸は、意外なほど傾斜が急だ。
 インド半島も、同様である。
なお、ここでは南北両大陸の東岸については、そこは平野の多い地帯であるけれども既に超大津波の洗礼を受けているので特に述べない。

《 余水は全世界の海岸を襲った 》

 さて、話を少し前に戻して、巨大なノア異変のスプラッシュが大西洋に入り、南北両大陸を襲った場面から、その先に進もう。
誰が考えても明らかな通り、この大西洋に入った水は、いずれ世界の海を満す。
 そして次の数字も、明白なことである。

つまり、増水したのが3.5京トンなら、世界の海は100メートル上昇する。このことは何度も何度も、どこかで述べてきた。しかし、その恐るべき増水は、どのようにして進行したのであろう?
 南北両大陸が地続きになっていて、太平洋を大西洋から別け隔てていることはすでに述べた。それが太平洋沿岸の諸民族を、超大津波からは守った---ということを述べた。読者はそこで一応、太平洋のことは念頭から外されたはずである。
 だが、巨大な異変は、なお続いていた!
大西洋に一度に注ぎ込まれた水は、大西洋に満ちあふれて、もしそれを大西洋に積んで置くとすれば、おそらくは1,000メートルもあるいは2,000メートルも、その水位を上げる程のものだった。
この状態は超大津波のあと、数時間もあるいはそれ以上も続いたに違いない。カナダ北部の低い楯状地は、その間、完全に水浸しになっていたであろう。
北米の平野も、アマゾンの広大な地域も、一時水中に沈んだ。が、しかし、
 大西洋は閉じられた海ではない。

考えられないような高い水位差に押されて、水は太平洋へと流れ込んで行った。
 では、何処から流れ込んだか?
北極海からベーリング海峡を通る通路は狭そうであった。でも、大西洋から北極海へ流れ込む方の口はかなり広かったので、水の一部はすぐに北極海に入り、狭い海に溢れて、シベリヤやカナダの北岸を水浸しにした。

 ベーリング海峡にも滝の流れが出来て、太平洋に注いだ。主力の水量は、大西洋北半分に入り、数時間後には大西洋南部(南大西洋)に溢れ、それから二手に分かれて太平洋に押し入った。

 一手は南米大陸の南端と南極大陸との間に挟まれたドレーク海峡から、南太平洋の東南隅に流れ込んだ。このドレーク海峡もしかしながら、幅1000Km余りで、あまり広い通路ではないようであった。
他の一手は、アフリカ南端喜望峰と南極大陸との間、約4000Kmの大玄関を通ってインド洋に押し入った。おそらく、それから間もなしに、先刻述べたジャワ・スマトラ・ボルネオ海域にあった陸地を、海に変えてしまった。

《 陸地の上空に海が襲う 》

 インド洋を満たした水は、最後の大海である太平洋に、その西南隅から押し入った。水は南太平洋を満し、そして北太平洋を満した。現在の中国の東方、朝鮮半島と日本列島の一部とに囲まれた所の、今は黄海になっているもとの陸地が、このとき黄海になったわけである。

至近代になってから、このような事件が起ったとは、はたして、読者は信じられるだろうか?
繰り返していうが、例えば前述の黄海は、おそらく、一夜のうちに出来た のである。それは昔風の表現にすれば、”陸が海中に沈んだ”となって、陸が沈むくらいなら、物凄い地球全体の震動があってしかるべきだ---というイメージになる。
---まさか、
「ムカシ黄海」すなわちあるいはそれが中国古文献にいう”桑田”であったかも知れぬ陸地の上空に、急に海がやって来た・・・とは思いもかけないのだから。この異変を高地から眺め あるいは、生き残って記録に止めた人は”桑田変じて蒼海となる”と書いたのかも知れないが・・・。


 このような不思議なことが、果してあった、と読者は信じられるだろうか?私がいま述べているのは、ノア異変のことなのである。

そう注意する所以は、世界の多くの大陸が、海に沈んだと表現される事象が、決して何億年も前の地質時代にあった事ではなく、何万年か前の、手の届くほどの至近の過去に起きていた事であると言いたかったのだ。

《 静かに滅んだアジア 》

---で、第Ⅳ-2図の説明に帰ろう。
この時点から6時間後に、12時間後に、あるいは18時間後に、「ムカシ黄海」や「ムカシ・ジャワ」やあるいは「ムカシ・ビルマ」の各大陸や各平地は、夜を迎え、そうして翌日の朝には海の底にいた。

 これらの土地にいた人々は、何を(後世の我々に)報告し得たろう? 彼等は前日、異様な天体を見たことを思い出しはしたであろうが、もう総ては終りであった。

彼等は寝ている間に、静かでかつ途方もない巨大な事象 に襲われていた。

 気がついた時、彼等は大海の真中にいた---という意味は、どこにも彼等の周囲に山がなかったからである。山があって、そちらへ逃げられるものは幸いであった。大抵のものは逃げられなかった。

 彼等は“天地もとどろくような音”に驚かされることもなかった。

このようにして、アジア大陸の東南沿岸にいた諸民族は、静かに滅んでいったに違いない。彼等が滅んだのは、だから、旧約聖書の日付を使えば、2月28日のことなのである。同じ表現の方法で、おそらく、次のようにいい得るであろう。

”黄海ができたのは、2月27日の夜から2月28日にかけての事であった” このようにして多くの民族が滅んだ。民族の滅び方は、決して一様ではないが---。

 転記者注:故高橋実氏の科学的分析力に驚嘆の思いが致します。
このような科学的分析の本が、後の世に”無視されるに至った”経緯を怪しんでいます。
 その経緯を作った人々の中に、プルームテクトニクス(プルーム説)を唱えた人々が居るであろうことは、最近確信致しました。大いに反省をして頂きたい、と思っています。
2016 1/30 大山宏

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