« S7  超新星後の大寒冷期 | トップページ | S5  どうしてこのような天体ができた?   »

2016年1月12日 (火)

S6  ムカシ太陽・イマ太陽

《ムカシ太陽は超新星コースをたどった》

地球には周知のように、ウランが、地殻の中に存在している。

鉄より以上の、ウランまでの重い元素は、超新星コースでないと出来ないとされている。それは温度と、温度の18乗ないし20乗に比例するといわれている早い反応速度の存在が必要なためであるが、地球に現在ウランがあるのだから、もし地球がこの超新星現象の時にできたものととするなら---という前提の上での話ではあるが---ムカシ太陽はこの超新星コースを実際に経験したはずであるということができる。

そうでないとすると、イマ太陽系の一員である地球上のウランが存在することの説明が困難になる。それ故、ムカシ太陽が超新星コースを経験したということは、確かな事実であるように思われる。

さて、超新星コースの前後において、ムカシ太陽の全物質系には、いったい、どのような事が起り、どのようにしてそれがイマ太陽に移行して行ったのであろうか?

この節の冒頭に述べたように、ムカシ太陽とイマ太陽の間に大寒冷期があった---と考えている。そうして、その大寒冷期の、おそらく前後3000万年ほどの間に、いろいろなイマ太陽の惑星についての内部構造を説明できるような諸物質の集積が行われ、そして”アストロ・ケミ(天体化学)”とも呼ぶべき諸化学物質の合成過程が同時に進行したのではないか? と考えている。

また、このような考え方の中から最後に天体Mの構造と、特にそのミズの量とを推測して算出しようとしている。

《拡散と収縮》

話を戻して、ムカシ太陽が超新星コースを経験する前後のことをもう少し考えてみよう。超新星コースは、普通には、超爆発的な現象として知られており、爆発に際しては、その物質系の大半は吹き飛んでしまうといわれている。

この”吹き飛ぶ”という現象の後続現象を拡散といっているのであり、拡散の原動力はその中心部から輻射されるフォトン(光の粒子)の運動量である、ということを説明した。一般読者は”爆発”という文字からは、原子と原子の体当たりあるいは分子と分子との体当たりに相当する所の熱現象を思い浮かべられるであろう。

しかし宇宙空間は広いので、拡散現象の舞台では、原子と原子は到底体当たり出来ないほどに離れている。例えば星間物質として宇宙空間に拡散してしまっている水素原子についていえば、その空間密度は一立方センチ中に数十個のオーダーであるとされているが、それがお互いに他の原子とぶつかり合うのは、1000万年に1回の割合になる---という。

このよに原子が離れている場合、それでも拡散が行われるのは光量子の存在によるわけである。

従って、光量子の輻射が、中心部すなわちムカシ太陽の中心部において、衰えたり、消えたりすれば、拡散の原動力はなくなり、ムカシ太陽の拡散していた物質系は、こんどは太陽の重力に引かれて太陽の方向に落下する。

これを収縮と呼ぶことにすると、超新星現象で拡散した水素原子も、結局は収縮してゆくと考えられる。

収縮の速度について、一つの参考計算を述べよう。一兆キロメートルの距離まで拡散した水素原子が、太陽の位置まで、連続的に、万有引力だけに引かれて落ち込んでゆくのに要する時間は約1000万年である。この事を考慮して、後の集水計算では、大寒冷期の実効平均的な長さを3000万年とした。そのように仮定して計算してある。

これにはイマ太陽が未だ1500万度くらいの低温域にあって、いわゆるP-P反応(後述)という、反応温度の低い核反応を行っている期間をも、前述の3000万年の中に、加えてある---これは後の話である。

《吸熱反応と発熱反応》

ムカシ太陽が爆発的な核反応をしていた超新星時代の輻射が、水素原子を拡散させるよりも、むしろ、その時すでに水素原子を裸にして、原子核(この場合はプロトン。Pという記号で示される)だけとし、それを中心部に引き落としつつあった---という原理はすでに述べた。

もっと他に、超新星コースで起っていることは何であろうか? その重要な一つは、電子雲の拡散であろう。電子から引き離された電子が、水素原子よりもさらに遥かに遠くまで、拡散させられているであろう。

だが、何よりも重要なことは、超新星反応の進行中にも、鉄を造るまでの前半における発熱反応が、後半にもなお継続している---ということを記憶しておくべきである。

鉄以上の重い原子核をつくる反応は吸熱反応である。
鉄をつくるまでの核反応は、発熱反応である。
吸熱反応だけが存在しているのではなくて発熱反応が併進して、熱を供給している。

したがって”爆発”的に進行しているのは、むしろ発熱反応の方だと解釈してもよい。

発熱反応時代の後半には、すでに早くに述べたところの、C(炭素)やN(窒素)やO(酸素)など---それらはすでにそれ以前に大量に造られており、そしてまた、その一部が中心の反応領域の外側にガス状となって存在しているのだが---それらの元素が、中心部の反応で射出される光子(こうし:フォトン)によって、どんどん吹き飛ばされ、拡散していったと考えられる。

ちなみに、この時期の核反応は、C、N、O 等を造る段階と、鉄をつくる段階との中間に位置するもの、と見てよいであろう。平衡温度はかなり高い。そうして、それが最後に爆発的に進行するようになる。

温度が3億度になると、初期のCNサイクルでなら100億年もかかる核反応が、1年ともいわぬうちに進行する程の速度になる。また、この速度があるからこそ、ウランのような重い元素のできる確率にまで反応が高まってゆくのである。

なお誤解のないようにいうと、この”爆発”が1年で完成する、という意味ではない。それは速さを例示しているだけである。局部的に温度が5億度にもなると、1年どころかわずか30分くらいで超新星過程は終る---といわれている。

《ムカシ太陽の反応領域》

上述のような、超高温で超高速度の核反応が起っていた場所は、いったいぜんたいどこなのであろうか? というに、それがイマ太陽に見る所の火星の軌道までの範囲、つまり小惑星が現在ある範囲、だと考えてよいのではないか?

この小惑星の一群は、別の木星以下の大惑星と違って、根本的に構造が違っており、小惑星の居る範囲はまるで”何かの焼跡”のようにみえる”わけだ。このことは後でも述べる。

またこの小惑星群に対して、大惑星の方は、後述するように”ドカ雪構造”と私が呼んでいるところの、水素化合物をいっぱいに含んだ殻を持ち、いかにも冷寒な宇宙の中で、メタンやアンモニアのドカ雪を降り積もらせたような構造を持っているように考えられるが、これも後述するとして、とにかくこの”焼け跡”が、すなわちムカシ太陽の超新星時代での、反応領域なのだ。このように私には、思われる。

なお、つけ足しとして、一般にこのような超新星コースに入った恒星は、それ以前のCNサイクル時代の半径の100倍くらいの半径のガス球となって、温度・圧力、ならびにガス球表面の輻射強度などの平衡を保つのだといわれており、イマの我々の太陽も最終段階では、かれこれ地球の軌道のあたりまで、その半径が延びてくると考えられている。

もっとも、これは今から何十億年かの後のことであるが、これを参考にして、ムカシ太陽がかりに先刻考えた如くに、火星の軌道をまでも飲み込んでいたとすると、ムカシ太陽の反応規模はイマ太陽よりはかなり大きかった、とも考えられるところだ。

さて、ムカシ太陽の超新星反応が行われていた所が前述のような火星の軌道の外側あたりまでであると仮定すると、そこでウランまでの元素が造られると共に、一方では強烈な輻射を、その外側の、いまは木星以下の大惑星が存在している空間に向けて、放出していたことになる。

それと同時に、C、N、O等の既述の諸元素を大量に拡散させていた。その他に、もっと重い元素、例えばアルミニウムやシリカ、マグネシウムといった、後に地球と同じような「核」を形成することになった諸元素をも、拡散させていた、という考え方は、成立するところであろう。

|

« S7  超新星後の大寒冷期 | トップページ | S5  どうしてこのような天体ができた?   »

K2・灼熱の氷惑星(二章)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: S6  ムカシ太陽・イマ太陽:

« S7  超新星後の大寒冷期 | トップページ | S5  どうしてこのような天体ができた?   »