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2016年2月21日 (日)

S29  北極圏の大氷塊群 Hiro. Oyama

灼熱の氷惑星(高橋実著) 第六章  4節

4 直接衝突は本当にあったのだろうか?

新生代に入ってから哺乳類は大繁栄し、植物系においても被子植物が数々の試練に堪えて、環境の激動の後にも種子を護り、やがて芽を吹くという過程を続けて生き残り、さらに繁栄した。

この繁栄の新生代が7000万年ほど続いた頃、ついに、後に生物界のチャンピオンになった人類の祖系のようなものが生まれた。この人類の発達もまた、機を得れば爆発的に増加するという生物界の大原則に従いながら、その機を待っているように見えた。

事実、その機をつかんだのらしく見える---いまから何万年か前に。そうしてさらに繁栄しようとした。その出鼻を、人類はノア大異変にたたかれた。これは一体、どういう事なのだろうか?

異変の本質については勿論のこと、それに伴なう事象そのものの意味を知るのにも人類は永いこと苦しんだ。真相はよく判らなかった。
異様な雰囲気のようなものが、生き残った人類の周辺に残されていた。文字と言語とによって かすかに伝えられたところの、「種」としての記憶のようなものがあった。

この地球上に、かつて何かがあったという意識があり、おそらくはその記憶に挑戦しようとする不退転の深層意識に導かれて、多くの分野の科学が開発されたのかも知れない。科学はしばしばその目的以外のものを開発したようにみえたが、でも結局は、ジリジリと最後の真相を追い詰めつつあったようにみえる。

追い詰める作業は、たぶん無意識のうちに成し遂げられたのであろう。説明できる事が謎のリストから消されてゆくに従って、説明できない事が、次第にはっきりと姿を現わし始めた。最も単純で最も平凡に見える事が、結局は最後のナゾとして残ったのかもしれなかった。

《 不気味な氷河現象の群発 》

”そこにあるのが当然なのだ”とみえるものが、実は最も大きな証拠なのかも知れなかった。南極と北極の氷塊群はいったい何なのだろう? この謎は、その答えがあまりにも単純で、本当の謎ではないようにもみえた。”それは氷冠なのだ”という説明で済んでいたからである。

しかし北極圏の氷塊群には、不気味な事象が付随していた。いわゆる氷河痕跡なるものの範囲がここ100万年ほどの間に、数回にわたって、低緯度方向(赤道方向)に進出したり。また北方に退却したりしていることであった。これは一体、どうした事なのだろう?

私はすでに、この書物の最後の章の、しかも終りの部分を書いているつもりなので、私自身の答えを出しておこう。私の考え方が間違っているかも知れないが、今まで私が使って来た公式論的な考え方を使うなら、新生代の氷河現象は、それに相当する回数の、軽い直接衝突のようなものがあったのかも知れないと考えている。

 しかしこの表現は、どうも”チョンボ”のような気もするのである。二つの考え方があって、その二つがどうも辻ツマが合わない。事象の外見上の形としてはこの(新生代の)氷河痕跡群は、北極圏の氷塊群として一括されるもののように見える。
 しかし、事象の継起順序からいうと、北極圏の大氷塊群は約1億年近く前の、地球と天体Mとの間に起った直接の深い衝突を示した証跡であるかのようにみえる。
 だとすると、いわゆる新生代の氷河痕跡は今から百万年程前のもので、ほとんど現在に近い所で起っているのであるから、前述の大衝突よりは1億年近くも後になって生起した事としなければならない。

 そうだとすると、いわゆる新生代の氷河現象はむしろノア大異変の方に近い時点で群発しているように見える。この群発性というものが、我々文明人の中の先覚者たちの一群を著しく悩ませてきた、というよりは ここに異様な謎があることに気付かせたのではないかと思う。
 もし氷河痕跡が常に気象現象と関連があるという立場からするなら、この異様な現象は、そういう異常気象が群発することを警告していることになる。

 だが、私の仮説のように、氷塊痕跡はすなわち天体Mの足跡であり、衝突事象の傍証であるという仮説方程式をとってみると、俗に新生代の氷河期といっている約百万年前頃からの氷河現象は、ノア大異変を頂点としたその前後の一連の群発事象のようにも見えてくるのである。

5 北極圏の大氷塊群

《 大氷壁との衝突 》
 
地球がその北緯60度から以北の部分を天体Mの水圏の中に突っ込み、その中を相対速度 30Km/sec で走り抜けた跡が、北極圏の氷塊群として残っているのではないか? いろいろな事象と総合してみて、この直接衝突の最初の接触点はグリーンランドであると考えられ、そこに大量の氷塊が遺された。
 極点すなわち北極の頂点は、天体Mの水圏の中で855Kmの深さの所を通った。接触が始まってから、地球が完全に天体Mの水圏を出てしまうまでの時間は約400秒と計算される。天体Mの側から見ると、地球はグリーンランドを先頭に頭突きをくらわせてきた。

 巨大な衝撃が天体Mの全氷層に伝えられる。200秒後、地球の頭の頂点は855Kmの深さの所を通過する。ここの水圧は約3万気圧。ミズの温度は摂氏100度を遥かに超えていると思われる所である。
 さらに200秒後、地球は反対側から氷を撒き散らし、物凄いスプラッシュを飛ばしながら高速で飛び去っていった。

《 大熱水圏に突っ込む 》
 
地球の側から見ると、天体Mはグリーンランドにまず氷の壁をぶっつけ、すぐにスカンジナビア半島とカナダ北部およびアラスカをその水圏の中に包み、後半は現在のソ連邦の北緯60度以北の部分を全部おおってから飛び去った。
 北極海がこの異変の中心域になり、そのソ連海域には大量の砂も移されたと思われる。この異変の結果、中生代と新生代を区切るような大きな生態系異変が起った、と思われる。たぶん、地軸(地球の自転軸)がこの時に少し起こされたのではないか? と私は考えている。
 どの程度起こされたのか?
その推定の根拠は確かなものではないが、この章の終りに出てくる天体Mの軌道の、黄道面からの”浮き上り”と、そういう軌道への衝突の具合から見て、およそ45度前後の傾角を持っていたのではないか? という考え方もある。
 もしそれが本当なら、この北極海異変が起こる直前までは この地域はかなり良い気候であったばかりでなく、地球全体がまんべんなく日照を受け得るような、そういう傾き方であったように思われる。
 こういう条件は、二畳紀異変(後述)以後続いていたと思われ、それは巨大な恐竜の時代であるから、恐竜たちはかなり恵まれていたのではなかろうか?なお、この時代の陸地または平野は、イマの地形とは違った場所に広く展開されていたという推定は、既にアイソスタシーに原理で説明してある。

イマの北極海のソ連側海域も、こういう広大な平地であったと思われるので、そこには多くの植物や巨大な生物も棲んでいたであろう。恐竜がそこの王者であったとすれば、彼等はおそらく夢想だにもしなかった天体Mの高温の水圏の中にザブリと入れられたわけである。
 なお、ここに述べた恐竜の滅び方を、マンモスの滅び方と混同してはいけない。マンモス事件が起きたのは、恐竜異変が起きた時よりもずっと後であり、シベリヤは恐竜異変の直後、自転軸の起き上がりで現代のごとく寒くなっているのである。

  2016  2/21  Hiro. Oyama 

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