「目から鱗」の語源について。参:国語審議会殿、哲学:小澤克彦先生 Hiro. Oyama
拝啓、国語や哲学/思想史/歴史学に興味をお持ちの皆さまへ。
確かに私も、語源は新約聖書のパウロが悟りを開いたのが語源であると、思っていましたし、そのように「天使とUFOを探す旅」にも書いて来ました。
しかし、ふと、『ちょっと変だな?』とも最近疑問が沸いて来たのです。
その理由をまとめると以下のようになります。
(1)、日本人は聖書を読まない国民なのです。その国民が日常会話の中で、「目から鱗」という諺を、中国の故事(諺)とは比較にならないほど頻繁に使っているのです。これが『明治の開明期に輸入し浸透した』と解釈するには、
ちょっと無理がありそうです。
(2)、聖書物語が日本に伝えられたのは、今から400~500年前のザビエル(室町時代)が最も有名です。その頃、キリスト教の信者はかなりの数に達していました。当然、目から鱗の話も日本人一般大衆に知れ渡った可能性もあります。
でも、耶蘇教は忌み嫌われ、大弾圧を受けて滅び去り、一部の信者が地下に潜っただけでした。
仏教に回心させられた一般大衆(耶蘇教という蔑視の扱いを受けた人々)の中に、果たして「目から鱗」の諺(ことわざ)だけが日常茶飯事用語として残るでしょうか?
(3)、原始キリスト教は、ローマカソリック成立時(AD325ニケーア会議)にて、異端(思想)とされ、信徒は周囲に散らされました。その散らされた教えは、インドや絹の道などを経由して中国に「景教」として伝わったそうです。
その景教は、仏教の一部経典にまで取り入れられ、日本に「仏典の一つ」として入り込んでいるそうです。
高野山の坊さんに聞いてもそれを否定しませんし、浄土真宗そのものが、イエスキリストの思想(他力本願)を旨としているのでした。
即ち、「目から鱗」というのは、仏教の中に取り込まれる形で、日本人の日常会話の中に定着していったのではないか。
もしこの推測(仮説)が正しければ、仏典の中にその「目から鱗」という言葉が発見できるでしょう。
どなたか仏典にお詳しいお方にお願いします。「目から鱗」という言葉の入手経路、設定経路を探して頂けませんか?
もし、『目から鱗の言葉は、仏典には存在しない』ということになれば、景教経由ではなくて、もっと以前(例えば、弥生時代とか縄文時代に)、その「目から鱗」は日本人の日常会話の中に存在したという可能性まで出て来ます。
大変興味深い研究テーマとなりそうな気がしますが、如何でしょうか?
早々
2016 3/21 Hiro. Oyama (大山宏)
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コメント
元々は仏教の教えであった「いろはかるた」の順番は、仮名を覚えやすくするために古くから「いろは歌」として使われてきました。そのことわざは地方ごとに異なり、その意味から文化的な違いも垣間見えてくるでしょう。・・・
ということで、いろはかるたは仏教の教えであったらしい。
江戸時代に考案されたもの、との事。地方によって異なるとのことで、「め」について、インターネット検索で拾い出しました。
め ― 目の上のこぶ ・・・いろはかるた(江戸)
め ― 盲の垣覗き ・・・ いろはかるた(京都)
め ― 目の上の瘤 ・・・いろはかるた(大阪)
という具合で、「目から鱗(うろこ)」は明治時代以降に、誰かが差し替えたらしい、と判明しました。
作者は真言宗の開祖である「空海」であるというのが定説です。真言宗は景況(インド⇒中国経由で伝わった景教(キリスト教)の影響を受けているはずですが、江戸かるたにも、京都かるたにも、大阪かるたにも、「め」は上記の如くであり、「目に鱗」ではありません。
うがった見方ですが、【1】江戸時代以前には「目から鱗」という言葉は無かった。そして今も「いろはかるた」には「目から鱗」は存在しない仮説。【2】「目から鱗」は文明開化と共に(明治時代に)日本に持ち込まれた仮説。 【3】大昔から「目から鱗」を一般大衆は常用していたが、「いろはかるた」からは宗教弾圧の対処法として意図的に外されていて、明治時代に復活した仮説。
などが考えられます。 もし【3】が正解ならば、大山宏説は大正解だったことになりますが、あなたはどれが正解だと推測しますか?
投稿: 「目から鱗」の語源調べ | 2019年7月26日 (金) 01時53分