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2016年6月13日 (月)

天使とUFOを探す旅-2  『超能力も使い過ぎてはいけません』の巻 Hiro. Oyama

【 夕暮れになり日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのところに連れてきた。こうして、町中の者が戸口に集まった。
 イエスは、様々の病を患っている多くの人々を癒(いや)し、また多くの悪霊を追い出された。 また、悪霊どもに、物言うことを、お許しにならなかった。彼らがイエスを知っていたからである。】

宏〔・・ こういう噂(うわさ)は、あっという間に広がり、病人が、次々と運び込まれる状況になるのは、昔も今も変わりません。それを、次々に治されるのですから、大変な騒ぎになって行きます。〕

ギ兄「ガリラヤでの布教活動の初っ端から、大変な騒ぎが起ったのだね。悪い噂は千里の道を走り、良い噂は戸口を出て行かないはずじゃあ、なかったのか」
バ婆「何事にも、例外ってもんがあるんだよ。それにしても困ったな。折角、通しナンバーを打とうと思ったのに、行き成り多くの癒し、多くの悪霊退散では、整理ナンバーも打てないね。」

 

 

【 朝早く、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。すると、シモンとその仲間とが、あとを追ってきた。そしてイエスを見つけて、「みんなが、あなたを探しています」と言った。イエスは彼らに言われた、
「他の、附近の町々にみんなで行って、そこでも教えを宣べ伝えよう。私はこのために出て来たのだから」。そして、ガリラヤ全地を巡り歩いて、諸会堂で教えを宣べ伝え、また悪霊を追い出された。】

宏〔・・・ イエスが宣教活動をなさったのは、足掛け三年です。ブッダ(お釈迦様)も病気治療の奇跡を幾つかなさっていますが、ブッダは長生きでして、80歳までの数10年間で、十数人の治療でしょう。
イエスの霊能力の方が、数段~数10段上であることは明白です。〕

バ婆「ブッタに較べて、イエスの霊能力は、数10段上と言うのは、言い過ぎとも思えるが、古今東西で、イエスが最も優れた超能力者であったのは明らかだよ。
たったの3年足らずで、弟子達にまで、その超能力の秘伝を伝授されたんだ。これは追々分かってくる話だ。」

【 ひとりのらい病人がイエスのところに願いに来て、ひざまずいて言った、「みこころでしたら、清めていただけるのですが」。
イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、清くなれ」と言われた。すると、らい病が直ちに去って、その人は清くなった。
 イエスは彼を厳しく戒めて、すぐにそこを去らせ、こう言い聞かせられた、「何も人に話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分の身体を祭司に見せ、それから、モーセが命じた物をあなたの清めのために捧げて、人々に証明しなさい」。
 しかし、彼は出て行って、自分の身に起こったことを盛んに語り、また言い広め始めたので、イエスはもはや、表立っては町に入ることが出来なくなり、外の寂しい所に留まっておられた。しかし、人々は方々から、イエスのところに続々と集まってきた。】

宏〔・・ 奇跡が自分の身の上に起こったら、その喜びは、「他言無用」と言われても、他の人に(貴方でも)喋ってしまいますよね。 これによっても、イエスはどんどん苦しい立場に追い込まれて行きます。
 イエスは最後は、十字架に磔となって死ぬ訳ですが、神の愛を伝えるための宗教改革の難しさはともかくとして、病気に苦しんでいる人を助ける医者の仕事を、ただ(無料)で実行していては、藪医者ではあっても、その職業を奪ってしまうという危険もはらんでいて、『逆恨みに逢った』とも言えるのかも知れません。でも、魅力的な人です。
 明日は第2章を読みましょう。〕

バ婆「私がコメントすることなんか必要ないほど、丁寧なコメント(解説文)を付けているじゃあないか。ちょっと寂しい気もするが、我々も、続きはまた明日にすることとしよう。
おっと、忘れるところだった。
  この奇蹟の名前は、[らい病人の癒し1]
皆さん、おやすみ・・・」

 次の日、暖かな春の朝日が駄屋二階のお昼ね会場に差し込んで来ました。
歳を重ねているバ婆さんは、とっくの昔に目が覚めて、うずうずしています。堪りかねて、バイオリン婆さんがふたりを、叩き起こします。

「 起きろ~! 何時まで寝てるんだ。もう昼近いぞ。」
ギ姉「 もうお昼~? なあんだ、まだ9時じゃあないの。」
ギ兄「春眠、暁(あかつき)を覚えず。ではないか、『寝る子は育つ』って誉めてくれよ。」
バ婆「何、寝ぼけたこと言ってるんだね。さあ、昨日の続きをやるよ。」
 ギ姉が眼をこすりながら、読み始めます。

【 マルコによる福音書 【第二章】
 幾日か経って、イエスがまたカペナウムにお帰りになった時、家におられるという噂が立ったので、多くの人々が集まって来て、もはや戸口の辺りまでも、隙間が無いほどになった。そして、イエスは御言(みことば)を彼らに語っておられた。
 すると、人々がひとりの中風の者を四人の人に運ばせて、イエスのところに連れてきた。
ところが、群集のために近寄ることが出来ないので、イエスのおられるあたりの屋根をはぎ、穴をあけて、中風の者を寝かせたまま、床に吊りおろした。

 イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、貴方の罪は許された」と言われた。 ところがそこに幾人かの律法学者が座っていて、心の中で論じた、「この人は何故あんなことを言うのか。誰が罪を許すことをが出来るのか」。
イエスは、彼らが内心このように論じているのを、自分の心ですぐ見抜いて、
「何故貴方がたは心の中でそんなことを論じているのか。中風の者に、貴方の罪は許された、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。 しかし、人の子は地上で罪を許す権威を持っていることが貴方がたにわかるために」と彼らに言い、中風の者に向かって、「貴方に命じる。起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
 すると彼は起き上がり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行ったので、一同は大いに驚き、神をあがめて、「こんな事は、まだ一度も見たことが無い」と言った。】
宏〔・・・ そろそろ、律法学者など神社関係の仕事をしている人々が、迷惑そうにしてきました。難癖を付け始めて来た様子が、手に取るように、伝わってきます。〕

バ婆「この奇蹟の名は、[屋根からの中風癒し1]とする。」と言いながら、横を見ると、二人は、また眠っています。
バ婆は、一人ごと。
『性もないやつらだね。大勢が見ている中で、二階から中風の者を吊り降ろすなんて、劇的で面白い場面なんだけどね。まあ無理もしれないね。宏は夢中になって読んでいるが、若いもん(病気は医者が治すものだと信じ切って育った世代)に、いきなり、『病気は心で治せるものだ』なんて事例を語っても、興味が湧いてこないわな。自分が不治の病にでもかからない限りね。しばらく寝かせててやるか。」

【イエスはまた海辺に出て行かれると、多くの人々がみもとに集まってきたので、彼らを教えられた。また途中で、アルパヨの子レビが収税所に座っているのをご覧になって、「私に従って来なさい」と言われた。
 すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
それから彼の家で、食事の席についておられた時のことである。多くの収税人や罪人達も、イエスや弟子達と共にしておられるのを見て、弟子達に言った、
「なぜ、彼は収税人や罪人などと食事を共にするのか」。

イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。
 私が来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。】

宏〔・・・ 名言ですね。でも、義人も招いて欲しいというのは『ささやかなる義人の欲』ではあるのですが。確かに我々人間は全て、大なり小なり偽善者であることには違いない。しかし、全ての人を罪人扱いにしての論法には、いささか抵抗感も湧いてきます。でも、これは後で議論しましょう。〕

バ婆「そんなに真剣に読まなくてもいいよ。宏は真面目だからねえ。」

【 ヨハネの弟子とパリサイ人とは、断食をしていた。そこで人々が来てイエスに言った、「ヨハネの弟子達とパリサイ人とが、断食をしているのに、あなたの弟子達は、なぜ断食をしないのですか」。
 するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいるのに、断食ができるであろうか。花婿と一緒にいる間は断食はできない。 しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その日には断食をするであろう。
 だれも、真新しい布ぎれを、古い着物に縫いつけはしない。もしそうすれば、新しいつぎは古い着物を引き破り、そして、破れがもっと酷くなる。まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそうすれば、ぶどう酒は、皮袋をはり裂き、そして、ぶどう酒も皮袋も無駄になってしまう。
〔だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。〕」。】

宏〔・・ 断食とは絶食のこと。健康のためにも、時々絶食するのもいいものです。あっという間に病が治ることもあります。それは兎も角、ここでは、「中途半端は反ってダメだ」と仰っているのでしょうか。
新興宗教の人たちは皆、新しい組織〔仲良しクラブ〕を作り、社殿をお建てになりますが、あれと一緒の論理でしょうね。それが、『新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れるべき・・』ということなのでしょう。

【 ある安息日に、イエスは麦畑の中を通って行かれた。そのとき弟子たちが歩きながら穂を摘み始めた。するとパリサイ人たちが、イエスに言った、
「いったい、彼らは何故、安息日にしてはならないことをするのですか」。
 そこで彼らに言われた、
「貴方がたは、ダビデとその友の者たちとが食物がなくて飢えたとき、ダビデが何をしたか、まだ読んだことがないのか。即ち、大祭司アビアタルの時、神の家に入って、祭司たちのほか食べてはならない供えのパンを自分も食べ、また供の者達にも与えたではないか。」 
 また彼らに言われた、
「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。
それだから、人の子は、安息日にもまた主、なのである」。】

宏〔・・ 安息日とは、1週間に一度休みなさい、という休日の事。現代では日曜日の事です。〕

 ギ姉が聞いていたらしくて、「ユダヤでは金曜日の夕方から安息日が始まるんだとか、
聞いたことあるわ。」と口を挟んできました。 日曜日という言葉が耳に入って来た途端に、ギ兄が目を覚まして、「宏は真面目過ぎるんだよ。昔、宏がU電機に入社したての頃にね、『日曜日は、明日からの仕事のために身体と心を休ませる日だよ』と発言したら、みんなから、大笑いを食らったらしいよ。」
「なんだ、ギ兄も起きて聞いてたのかね。」

「何やら昨日から、懐かしい話をしているが、俺も話しに加えてくれよ」と、バイオリン爺さん(バ爺)が話しに加わって来ました。
「ほう、久々に、バ爺も話しに加わるかね。新約聖書の『マルコによる福音書』を、昨日から解読中だよ。今、イエスに対するねたみから、ユダヤ人の爺さん連中がイエスに難癖を付け始めたところさ。」
ギ姉「でも、さすがね。イエスは当意即妙に、かわしていってるじゃない。あの位の、臨機応変性があれば、殺されなくても済むんじゃないの。」
ギ婆「今後のお楽しみさ。次に進むよ。」
【第三章】 
【 イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人を癒(いや)されるかどうかを、うかがっていた。
 すると、イエスは片手のなえたその人に、「立って、中へ出てきなさい」と言い、人々に向かって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらが良いか」と言われた。
 彼らは黙っていた。イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。
 パリサイ人達は出て行って、すぐにヘロデ党の者達と、なんとかしてイエスを殺そうと相談しはじめた。】

宏〔・・・ あっと言う間に、第三章に入ってしまいました。マルコによる福音書は、本当に読み易いですね。 ストーリーとしては、もう、『イエスを殺そうと相談しはじめた』展開です。〕

ギ婆「宏も言ってるように、このマルコ書は本当に読み易いじゃろう。変に神様や精霊を持ち出さないから、現代劇を見ているような気楽さで、ストーリーを追うことが出来る。
 これが『マタイ書』とか『ヨハネ書』では、最初から『神とはこういうもんだ。』という前提で話し、それを押し付けて来るから、聖書を持ってても、開かなくなってほこりが積もる事になる。なんて、またまた横道にそれてしまった。」
「次を読むよ。」と、ギター姉さんがみんなをうながします。
「ちょっと待った。事件の名前を付けておく。この奇蹟名はそうだな、[片手なえ者治癒1]とでもしておこうか。」

【 それから、イエスは弟子達と共に海辺に退かれたが、ガリラヤから来たおびただしい群集がついて行った。またユダヤから、エルサレムから、イドマヤから、さらに、ヨルダンの向こうから、ツロ、シドンの辺りからも、おびただしい群集が、そのなさっていることを聞いて、みもとに来た。
 イエスは群集が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子達に命じられた。それは、多くの人を癒されたので、病苦に悩む者は皆イエスに触ろうとして、押し寄せてきたからである。 また、けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで、「あなたこそ神の子です」と言った。イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らを厳しく戒められた。】

バ爺が口を挟み込んできました、「けがれた霊達は直感ですぐに(敏感に)聖なる人とか、慈愛深い人が分かるんだよ。早々とイエスが救い主だと知れ渡ってしまうと、宗教改革が非常にやり難くなってしまうだろう。
 だからイエスは、『悪霊どもに、静かにしておれ。』と、厳しく戒めたんだよ。
懐かしい話だねえ、ヨーロッパで暮らしてい
たころ、度々聞いた話の一つさ。」

【 さてイエスは山に登り、みこころにかなった者達を呼び寄せられたので、皆はみもとに集まってきた。そこで 12人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、更に宣教に遣わし、また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
 こうして、この12人をお立てになった。
そして、シモンにペテロという名をつけた。ゼベダイの子ヤコブ、ヤコブの 兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、即ち、雷の子という名をつけられた。次にアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、 トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、 それからイスカリオテのユダ。・・・】

バイオリン爺さんが、またまた口を挟みます、「イスカリオテのユダか。このユダがイエスを裏切るんだよ。彼は出来るやつでね、彼らイエス集団の会計係を任されていた。財布を預けられていた人物なんだよ。」
「ちょっとバ爺、先走った話をしないでおくれよ。まずは、宏のコメントを読んでやろうじゃないか。」とバ婆。

宏〔・・・ 悪霊を追い出したり、病気を治したりするのは、テクニックを要することなのです。自分の身体を治すのは、私(大山宏)にだって出来るのですが、他人の病気を治すためには、レベル(ラベル)が違うのです。
物凄いエネルギーが必要なのです。 大抵は、相手の業(悪業)を自分が背負い込むことになるので、いずれの新興宗教に於いても、「やるな。やるべきではない」と、教え、指導がなされています。
 実は私の父方のお婆さんは、霊媒師みたいな事が出来て、近所の方々を度々救ってあげていたのですが、そのうちに、身体が動かなくなって、13年間寝たきりの生活を続けた後、そのまま亡くなりました。 悪霊を追い出す権威を与えるのは、非常に難しい業(わざ)なのですよ。〕

バ婆「なあ、宏は真っ当で冷静なコメントを書いているだろう。これが真実というものさ。我々だって、時空間を飛んで旅行だって出来るんだから、治癒力という超能力をイエスが持ってたって不思議でもなんでもない。
 但し、難しいのは、その能力〔ノウハウ、秘術〕を他の人に伝授する事なんだよ。イエスは山に登って、愛な弟子として12弟子を選定され、その宇宙真理の捕え方・考え方・宣教方向に関して指導・伝授されたんだな。」

【 イエスが家に入られると、群集がまた集まってきたので、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の者達はこの事を聞いて、イエスを取り押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。また、エルサレムから下ってきた律法学者達も、「彼はベルゼレブに取り付かれている」と言い、「悪霊どもの頭(かしら)によって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。
 そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬(たとえ)をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことが出来ようか。もし、国が内部で分かれ争うなら、その国は立ち行かない。
また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。
 もし、サタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。誰でもまず、強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることは出来ない。強い人を縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。
 よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯す、すべての罪も神をけがす言葉も、許される。しかし、精霊をけがす者は、いつまでも許されず、永遠に罪に定められる」。
 そう言われたのは、彼らが「イエスは汚れ(けがれ)穢れた霊に取り付かれている」と言っていたからである。】

宏〔・・ 精霊をけがすものは、いつまでも許されない。←これは、私自身への警告と、受け取らせて頂きました。でも、これも私の使命なのかも知れないと思いつつ、この小説を書いてます。〕

ギ兄「宏は本当に真っ正直なやつなんだな。『清き水には魚棲まず』って中国の諺(ことわざ)だって知っているだろうにな。」
ギ姉「38年間、一緒に住んだ元家内に振られてから、余計に必死になって模索しているの
よ、『人間、如何に生きるべきか』ってね。
それがこの小説でもあるのよ。応援してあげようよ。」
バ爺「そうだな。涙ぐましい努力だよな。」

【 さて、イエスの母と兄弟たちとが来て、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
ときに、群集はイエスを囲んですわっていたが、「御覧なさい。あなたの母上と兄弟姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。
すると、イエスは彼らに答えて言われた、「私の母、私の兄弟とは、誰のことか」。
そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ご覧なさい。ここに私の母、私の兄弟がいる。神の御心を行う者は誰でも、私の兄弟、また姉妹、また母なのである」。】

宏〔・・ 誤解を生み易い話ですが、自分を生んでくれた親・兄弟・姉妹も大切だけれど
も、貴方がた(求道者)の方が、もっと大切に思っていますよ、というお話です。誤解の
ないように。〕

バ爺「宏も中々、味のあるコメントをしてるじゃないか、感心感心。」
バ婆「非常な困難(試練)にぶち当たると、人間は成長するもんなのだよ。山中鹿之助とかいう日本人が『我に七難八苦を与えよ』って言ってたけど、宏の場合には〔生れ落ちて以来ずーと〕困難と苦しみが、望まないのに与えられているのさね。」
ギ兄「でもまあ、結構、楽しんでやっている見たいにも見えるけどね。」
バ爺「趣味って、そんなもんだよ。もっとも、趣味で政治をやり、核兵器のボタンを押されたんじゃあ、たまらいけどね。」
バ婆「脱線はその位にして、次行くよ。次は「マルコによる福音書」【第四章】からだ。」

【 イエスはまたも、海辺で教え始められた。おびただしい群集がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわったまま海上におられ、群集はみな海に沿って陸地にいた。
イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教えの中で彼らにこう言われた、
「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。 まいているうちに、道端に落ちた種があった。すると、鳥が来て食べてしまった。
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、直ぐ目を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、茨(いばら)が伸びて、塞いでしまったので、実を結ばなかった。
 ほかの種は良い地に落ちた。そして生えて、育って、ますます実を結び、30倍、60倍、百倍にもなった」。 そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。】
宏〔・・ 実に分かり易い譬ですね。この数行先に、イエスの解説があります。・・・

【 イエスがひとりになられたとき、そばに居た者たちが、12弟子と共に、これらの譬について尋ねた。そこでイエスは言われた、「貴方がたには神の国の奥義が、授けられているが、他の者達には、全てが譬で語られる。
それは、『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて許されることがない』ためである」。
また彼らに言われた、「貴方がたはこの譬が分らないのか。それでは、どうして全ての譬がわかるだろうか。
 種まきは御言をまくのである。道端に御言がまかれたとは、こういう人達のことである。
即ち、御言を聞くと、すぐにサタンが来て、彼らの中にまかれた御言を、奪っていくのである。
同じように、石地にまかれたものとは、こういう人達の事である。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、自分の中に根が無いので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起こってくると、すぐ、つまずいてしまう。
また、茨(いばら)の中にまかれたものとは、こういう人達のことである。御言を聞くが、世の心使いと、富の惑わしと、その他色々な欲とが入ってきて、御言をふさぐので実を結ばなくなる。また、良い地にまかれたものとは、こういう人達のことである。御言を聞いて、受け入れ、30倍、60倍、百倍の実を結ぶのである」。

宏〔・・ ここまでの丁寧な解説を、イエスは弟子達になさっておられるのです。それを、
一言一句正確に、筆者(マルコ)は記録しているのです。
これだけでも凄いことです。 あなたはどのたぐいに属していますか?
私は茨の中に落ちた種なんでしょうね。〕】

ギ姉「ギ兄。あんたは差し詰め、石地に落ちた種タイプよね、信じるのも早いけど、直ぐにつまずいて、忘れるタイプよね。」
ギ兄「自分で言うのもなんだけど、宏と同じ茨(いばら)の中に落ちた種タイプだよ。」
ギ姉「宏に失礼よ。あんたは忘れの専門家なだけよ。御主人様宏の執念深さには遠く及ばない。」
「じゃあ、ギ姉は、何のタイプなんだよ。」
「私は当然、良い地にまかれた種タイプよ。もの凄く素直に成長していってるでしょ。」

「二人ともよしなよ、どんぐりの背比べは。」
「どっちでもいいよ。さあ、次に進むよ。どんどん進まないと、宏に置いてきぼり食っちゃうぞ」とはバ爺。

【 また彼らに言われた「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあるだろうか。燭台の上に置くためではないか。
 何でも隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。聞く耳のある者は聞くがよい」。
 また彼らに言われた、
「聞くことがらに注意しなさい。貴方がたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。 誰でも、持っている人は、更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも、取り上げられるであろう」。】

バ婆「ほれほれ、2千年の昔に、お前達の事が、書いてあるぞよ。相手のことはよく見えるけど、自分のことは見えない。相手を計る秤で、おのれ自身が評価されるってよ。」

【 また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。夜昼、寝起きしている間に、種は目を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
地はおのずから実を結ばせるもので、初めは芽、次に穂、次に穂の中に豊かな実が出来る。実がいると、すぐに鎌を入れる。刈り入れ時が来たからである」。
 また言われた、
「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。
 イエスはこのような多くの譬で、人々の聞く力に従って、御言を語られた。
譬によらないでは語られなかったが、自分の弟子達には、密かにすべてのことを解き明かされた。】

バ婆「UFOや宇宙人には直接関係がない、”神の国”の譬え話だけど、なんとなく、イエスが示唆してることは伝わって来るね。」
バ爺「なんだ、お前達は、UFOや宇宙人探しをやってたのか。それなら旧約聖書の方が、ずーっと頻繁に出て来るぞ。
特に、エゼキエル書なんかには”空飛ぶ円盤”の詳細観測記録にもなっている。」
バ婆「それは分っているんだけど、いきなり宇宙人の乗り物の話したって、議論が紛糾するばかりだろう。
 だからまず、宇宙人がどうして地球人類に干渉してくるのかを過去の歴史書である聖書、特に西洋人の必読書である新約聖書の中で、明らかにして見せようとしてるのさ。
旧約聖書の詳しい分析は、そのあとでもいいのさ。エホバの証人さん達を含めて全世界のクリスチャンに対して、説教をするのが先決なんだよ。 さあ、先を読むよ。」

【 さてその日、夕方になると、イエスは、「向こう岸へ渡ろう」と弟子達に言われた。
そこで、彼らは群集をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。すると、激しい突風が起こり、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。ところがイエス自身は、ともの方で枕をして、眠っておられた。
そこで、弟子達はイエスを起こして、「先生、私どもが溺れ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。
 イエスは起きあがって風をしかり、海に向かって「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。イエスは彼らに言われた、
「なぜ、そんなに怖がるのか。どうして信仰がないのか」。彼らは恐れおののいて、互い
に言った、「いったい、この方は誰だろう。風も海も従わせるとは」。】

ギ兄「思ってもみなかった奇蹟が出て来たな。これまでの、病気の治癒という奇蹟とは別種の奇蹟だが、風や海を制御したという実例だろう。
 我々は霊の存在だから理解できるけど、頭の固い現世人類には、信じれる訳ないだろう。しかも、それが過去2千年前に起きてたなんて話だよ。」

バ婆「だいぶ頭の回転が速くなって来たね。教育効果があったというもんだ。宏は大学で物理学を修めているが、小さい頃からの経験学上、霊(人や生き物の心)が、物質をある程度コントロール出来ることを悟っているんだよ。
『病気の治癒と同様に天変地異だって、人の心である程度変わったり、変えたり出来るんだ。』ってことを、科学的に、証明しようともくろんでいるのだよ。」
ギ姉「イエスも仏陀も、他の過去全て預言者たちが失敗した不可能に近い試みを、御主人様宏が、挑戦してるんだってこと?」

バ婆「その通りさ。まあ、科学が長足の進歩を成し遂げつつある現代では、そろそろそれも不可能な事ではなくなって来ているのも、事実だけどね。
聖書の議論に戻れば、四福音書のうち、今、読んでいる「マルコ書」以外の書(マタイ・ルカ・ヨハネの福音書)には、イエスが海の上を歩いたという実話の話が語られているんだ。本当にそうだったかどうかの検証は、後日、機会を改めてやることとして、
マルコ書を、最後まで読み通そう。次の話は、豚の群れに悪霊が入り、崖から転がり落ちる話だよ。
 少々長い引用だけど、区切りの良いところまで、一気に行くよ。」

 「マルコによる福音書」【第五章】
【 こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。 それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。
この人は墓場をすみかとしており、もはや誰も、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、誰も彼を押さえつける事が出来なかったからである。
 そして、夜昼、たえまなく墓場や山で叫び続けて、石で自分の身体を傷つけていた。
 ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたは私と何の係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうか、私を苦しめないで下さい」。
 それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大勢なのですから」と答えた。そして、自分達をこの土地から追い出さないようにと、しきりに願い続けた。

 さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。霊はイエスに願って言った、「私どもを、豚に入らせて下さい。その中へ送って下さい」。イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へ入り込んだ。
 すると、その群れは2千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれて死んでしまった。 豚を飼う者たちが逃げ出して、町や村に、ふれまわったので、人々は何事が起こったのかと、見に来た。そして、イエスのところに来て、悪霊につかれた人が着物を着て、正気になってすわっており、それがレギオンを宿していた者であるのを見て、恐れた。 また、それを見た人達は、悪霊につかれた人の身に起こった事と豚のこととを、彼らに話して聞かせた。
 そこで人々はイエスに『この地方から出て行って頂きたい』と、頼みはじめた。イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供をしたいと願い出た。
 しかし、イエスはお許しにならないで、彼に言われた、
「貴方の家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをして下さったか、それを知らせなさい」。 そこで彼は立ち去り、そして自分にイエスがして下さった事を、ことごとくデカポリスの地方に言いひろめ出したので、人々はみな驚き怪しんだ。】

 バイオリン爺さんが論評の口火を切ります、「所有者に事前のことわりも無く、豚2千匹
を海の中になだれを打って駆け込ませ、溺死させた、とは、イエスも少々、『やり過ぎだった』と思われたのではないかな。
ブッダなら、別の方法や解決策を取られたんじゃあないかな。」
バ婆「まあ、それ位、悪霊レギオンが物凄い精霊であったのだけど、バ爺が指摘したよう
に、『この地方から出て行ってくれ』と豚の所有者たちが頼んだのも、人間的には解かる
気がする。 何事もやり過ぎちゃあいかんわな。」

 大山宏です。どうです、面白い話が満載でしょ。どこかの下手な小説よりも、ずっと面白い、興味深いとは思いませんか。まだまだ、次々と出て来ますよ。続きをお楽しみに!

 --天使とUFOを探す旅-2
2016  6/17   Hiro. Oyama

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