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2023年10月

2023年10月27日 (金)

仕返しをエスカレートしていっては切りがない!イスラエルも西欧諸国も狂ってますね。

『目には目を、歯には歯を!』って言葉を知っていますか?
Do you know the saying, 'An eye for an eye, a tooth for a tooth!'
イスラム教のコーランの中にある、というか、旧約聖書の中にあるらしき戒め(いましめ)です。その意味は、

目をつぶされたのなら復讐(ふくしゅう)は、目をつぶす程度にしておきなさい、
歯をやられたのならば、相手の歯をつぶす程度にしておきなさい」という意味です。

このコーランや旧約聖書の教えに照らすと、イスラエルが今、ガザ地区で行っている殺戮(さつりく)常軌(じょうき)を逸しています。
 何故ならば、
1400人が殺害された仕返しに既に数千人のガザ地区の人々を殺害した上に(更にその上に)軍事侵攻を行って、数万人の殺害を行うという暴挙を実行しようとしているのですよ。

西欧諸国はその後押しをしているのですから、アメリカもイギリスもフランスも、、、自分達が信奉している教義に照らしても、大失態をやらかしている様子ですね。
彼らはいつ、この事に気が付くのでしょうか?
 不思議でしょう?
  Strange, right?
Do you know the saying, 'An eye for an eye, a tooth for a tooth!'
It is a commandment that is found in the Islamic Quran, or rather, in the Old Testament. It means, "If you have been blinded, leave your revenge to the extent that you close your eyes, and if you have been hit with your teeth, leave it to the extent that you crush the other person's teeth."

In light of the teachings of the Quran and the Old Testament, the slaughter that Israel is now carrying out in the Gaza Strip is insane.
 Because in retaliation for the murder of 1,400 people, they have already killed thousands of people in the Gaza Strip and are going to carry out an outrageous act of military invasion and killing tens of thousands.

Since the West is pushing back, the United States, the United Kingdom, and France seem to be making a major blunder in light of the doctrines they espouse、、、
When will they realize this?
 Strange, right?

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2023年10月24日 (火)

科学者も時々再々ウソを言う。地球の気温の方が先に上がった後追いで 炭酸ガス(CO2)が海から大量に放出!After the global temperature rises first, a large amount of CO2 is being released from the ocean. In recent years, 近年はそれに近代文明の炭酸ガスの増加カーブが重なっているだけ!

金曜日のグレタさん、貴女の著書4冊を二度読み返しました。感動しました。ご苦労様です。私(小山宏)もアスペルガーだと人々から烙印を捺され、今も数々のいじめと妨害を受ける日々を送っています。それは兎も角として、貴女の観点で少しご注意申し上げます。On Friday, Greta, I re-read your four books twice. I was impressed. Thank you for your hard work. I (Hiroshi Koyama) was also branded as Asperger's by people, and I still face a lot of bullying and interference every day. As a rabbit and a horn, I would like to be a little careful from your point of view.
それは科学者も時々再々、ウソを言う」という事実です。
貴女は科学者の言うことのほとんどは正しいという観点に立っておられますが、そんなことはありません。あなたが最も力点を置いておられる地球温暖化に関して申し上げましょう「地球の気温の方が先に上がった後追いで、炭酸ガス(CO2)が海から大量に放出されている」のです。
It is the fact that "scientists sometimes tell lies again."You are of the view that most of what scientists say is correct, but this is not the case. Regarding global warming, which you place the most emphasis on, "the global temperature rises first, and carbon dioxide (CO2) is being released in large quantities from the oceans."

Photo 気温変化とCO2濃度変化の観測データをグラフ化したものです。両者を、ちょっと見較べて見て下さい。
問題です、「気温とCO2、どっちが先に変化したものでしょうか?」
 矢印が根元順吉氏によって書かれているので、分かり易いですね。「気温の変化」の方が先で、それを追うように、「CO2濃度変化」が起きていのが分かりますね。こんな間違い発見問題は、小中学生だって指摘しますよ。授業中にその指摘を受けたら、学校の先生は生徒の前で立ち往生されるのは明白です!
 This graph shows observed data of temperature changes and CO2 concentration changes. Take a look at the two.The question is, "Which changed first, temperature or CO2?" The arrows are written by Junkichi Nemoto, so it's easy to understand. You can see that "changes in temperature" come first, and "changes in CO2 concentration" are occurring as if following them. Even elementary and junior high school students point out this kind of mistake finding problem. It is obvious that if you receive that point in class, the school teacher will be stuck in front of the students!

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2023年10月 9日 (月)

韓信の最後。平和になると不要になり消される運命とは。横山光輝著まんが「史記」は読むべし。

 国士無双とまで言われた韓信は、項羽とは違ったあわれな最後であった。自分の人生劇場と重なるようなものが感じられて、考えさせられます。

 前202年、劉邦は諸侯の要請で皇帝の地位につき「高祖」と称し、洛陽を都とした。

劉邦「のう、これから論功行賞を決めねばならぬが、わしが悩んでいるのは韓信だ。」
韓信の斎王になにか異存がござりまするか?
「韓信は自分で斉王の地位を求め、項羽との戦いに参加しなくなった。韓信が出陣したのは陳以東、海岸にいたるまでの楚領を与えると約束したからだ。
これでは領土が大きすぎるし、斉は七十余城をもつ要害の地だ。ここで変な野心を持たれたら、項羽以上のやっかいな存在となる。
といって韓信を変な土地に国替えさせれば韓信は納得すまい…」

陛下は韓信を恐れておられる…』
陛下のお気持ちはよくわかりました。それならば楚王になされては いかがにございます。斉に分け与えた分、楚領は狭くなっております。
「楚王にのう。」
項羽の後の国王になるということは名誉であることでございます。それに韓信は楚の生まれ故郷に錦を飾ることにもなりまする。」
「なるほど、それならば栄転ということになるのう、韓信も納得しよう。」
「韓信を尊敬する諸侯も納得いたしましょう。」
「よし、すぐに韓信を呼べ。」
  ・・・
「韓信よ、天下統一のためのそなたの功績の大きさに どう報いようかと考えた。
そこで項羽亡き後の楚王に封じる。」
「楚王!!」
「楚は由緒ある地、そなたも故郷の王になれるのじゃ。・・・」
「ご配慮、感謝いたします。」
 だが韓信は不満だった。
『確かに項羽の後の王にされるのは名誉なことである。しかし今の楚なら、わしが手に入れた斉の方がはるかに大きい… …
主を震わしたる者、身危うく、 功、天 蓋うもの者 賞されず」とカイ通が申したが、その通りかもしれん。』

 だが、勅命である。
  韓信は楚王となった。
「これ、わしはワイ陰の三人の住人に礼を言わなくてはならぬ、探し出して連れて来てくれ。
「一人は、ワイ陰の城の外を流れる川のそばで綿打ちをしている老婆だ。
もう一人は野犬狩りを商いとして、わしに股をくぐらせた男
 もう一人は南昌の亭長だ。」
「はっ。」
兵士達はただちに ワイ陰 に行き、三人を見つけ出し連れてきた。

「婆さん、わしをおぼえているか?!」
「わ、わたしゃ王様などと 知り合いはございませぬ」
「おれだよ、おれが浮浪者の時、いつも飯を与えてくれたであろう。」
「えっ!
 あ、あ、あの時の!」
「そうだ、あの時の韓信だ。あの時の恩をいま返させてもらうよ」。
「ひえーっ、と、とんでもない」
「これ、この老婆に千金(一万両)を与えよ。」
「ひえーっ、わ、わ、わたしやそんな大金の使い方もしらねえだ。」
「もう働かず、老後をのんびりと暮らすがよい。」

「さて、そこの家畜商 もうわしのことを思い出したであろう。」
「は、はいー。」
「おまえに股くぐりをせよと言われた時は、おまえを殺そうと思えばできた。」
「も、申し訳ねえ。お許しを……」
「あの時、殺そうと思えば殺せた。だが、手柄になるわけでもなく、罪人になるだけである。
わしは、おまえから我慢というものを学んだ。そのおかげで今の地位にのぼれた。そって、おまえを中尉(警察長官)にとりたてる。」
「ええっ。あっしが中尉に…?」
「都の治安を守り、しっかり盗賊を捕らえてくれ。」
「へへーっ。」

「さて、南昌の亭長よ。」
「は、はい。」
「亭長の身分で居候を一人おくのは大変であることはわかる。だが、最後は食事までださなくなった。
人のめんどうを見る時は最後までみるものだ。安易な引き受け方をするものではない。」
「は、ははーー」
「この亭長には百銭を与えよ。」
・・・
 この頃が韓信の絶頂期であった。

「楚王さま、同郷で親しくしていたと申す者が謁見を求めておりますが……」
「同郷で親しくしていた者!?
      名は・・!?」
「それが、会えばわかると申して名乗りませぬ。」
「ふーん、誰であろう?
  よし、通せ。」
お久しぶりでございます。
「ウッ、鐘・・・おう、このお方は よく知っている、そち達は下がっていよ。」
「鐘離バツ将軍。」
韓信どの、いや楚王さま、お久しぶりでございます。」
韓信と鐘離バツとは同郷で、秦の政治に不満を持って語りあった仲であった。
 こんな時に、項梁、項羽が江東で蜂起した。
韓信も…鐘離バツも、すぐに楚軍に はせ参じた。
だが、韓信は秦が滅亡しても雑兵のままであり、それが嫌で、漢王のもとに走ったのである。
一方、鐘離バツはその勇猛さで大活躍し、項羽の将では三本の指に数えられるほどの存在となっていた。
だが、陳平の「離間の策」で范増や鐘離バツは謀反を企んでいると項羽に疑われ、遠ざけられてしまった。
垓下の合戦で、漢は四方から楚の歌を聞かせ、望郷の念をかりたてる作戦をとった。兵士達は戦意を喪失し、続々と脱走したのであった。
だが、劉邦は自分を散々痛めつけた鐘離バツを探し出すよう諸侯に命令を出したのである。
ご存じのように、それがしは この大地で身を隠す場所もございませぬ。それ故、同郷のよしみで頼って参ったのでございます。」
「さようでございますか。」
『これほどの人物、殺すには惜しい。それに天下は統一されたと言えども、まだ各地で反乱が起こっている。この男をそばにおいておく方が良いかもしれぬ』
「鐘離バツ将軍よくわかりました、食客としてこの地におとどまりなされませ。」
おお、かくもうてくださりますか。
 こうして韓信は鐘離バツに屋敷を与えてかくまった。

それから韓信は視察と称して、四、五千の兵をひきつれ国内を巡回した。
韓信は戦う時に常に地形をよく調べてから合戦した。これも国内の地形を熟知するためのものであった。
だが、貧しい農民から楚王になったのである。尊敬する者も多かったが、ねたむ者も多かったのである。

洛陽の劉邦「な、なにっ。」
陛下、どうなされました?
「陳平、この上申書を読んでみよ。」
拝見いたします
  ・・・
韓信が謀反を企んでいると…
「そうじゃ、視察と称して四、五千の兵をひきつれ国境を脅かしている。そればかりか、わしが捕らえよと命じた楚の将軍:
鐘離バツをかくまっているという。
韓信と鐘離バツに組まれたら わが天下も危ういぞ、すぐ兵を出して韓信を捕らえるべきじゃ。」
陛下、あわててはなりませぬ。
陛下の精鋭と 韓信の兵と、どちらが強いと思いますか?
「それは韓信の兵じゃ」と脂汗!
陛下の諸侯と韓信では、どちらが用兵が達者でしょう?
「それも韓信じゃ」としょんぼり。
戦って勝ち目のない戦さはやるべきではありませぬ。
「では、どうすればよいのじゃ?」
この上申書のことは、韓信は知っておりましょうか?
「いや、おそらく知るまい。」
ならば、手はございます。
「おおっ、どうするのじゃ?」
昔、天子は天下を巡行し、諸侯と会見いたしました。陛下もそうなさるのです。
南方に雲夢湖がありまする。この際、陛下はここを巡行すると偽って諸侯と陳で会見なされませ。
陳は楚の西境、韓信は出向いて来ぬわけにはまいりますまい。
 その時、捕らえるのです。」
「なるほど。さっそく諸侯に通達を出せ。」
はっ。

 ただちに諸侯に、使者が出向いた。
 韓信のもとにも通達が届いた。

「おかしいのう、陛下が突然、楚に来られるという。これをどう思う?
わしは何か変な予感がするのだが… …
ひょっとしたら鐘離バツ将軍をかくまっていることが露見したのでは… …
しかし、勅命を無視してかくまったとわかれば、罪に問われましょう。」
「そうじゃのう、陛下も鐘離バツにはずい分と痛めつけられたからのう。」
こうなれば、鐘離バツどのを斬ったうえで陛下に謁見なされませ。陛下はお喜びましょう。
 それしか方法はありませぬ。」
「しかたがない、鐘離バツどのに話してみる。」
 ・・・
なに、わたしに自害せよと。
「どうやら貴公をかくまっていることが露見したようじゃ。」
あなたとわたしが手を組めば、はせ参じる諸侯も多かろう。漢朝を倒すのもわけはない。
  兵を挙げましょう。
「いや、貧乏農民のわたしを王にまでして下さった陛下を裏切れぬ。」
そうか、劉邦を裏切れぬというのでは、わしがお役に立てるのは、この首を差し出すだけじゃのう。
武将たる者、常に死は覚悟している。今さら死は恐れぬ、だがひとつ言っておきたい
劉邦が、わしを血眼になって捜すのは わしが恐ろしいからじゃ。だが、
あなたも恐れられていることを忘れなさるな、明日はあなたの番ですぞ。」
そう言って鐘離バツはその場で自決した。

韓信は、その首を持って陳へ向かった。

「陛下にはご健勝うるわしく喜びにたえませぬ。」
「おう、楚王も元気そうでなによりだ。」
「今日、持参いたしましたのは鐘離バツの首でございます。」
「ほう。
   これ、首を持って参れ。」
「あっ、何をする?」
「陛下、これはどういうことでございます?『狡兔(うさぎ)死して良狗(猟犬)煮られる』ということですか、天下が平定されれば、わたしはもう、ご用済みということですか!?」
「そうではない。おまえの謀反を知らせてきた者がいるのじゃ。」
「それがしに謀反の気があるなら、鐘離バツの首をとどけたりいたしませぬ。」
 しかし、劉邦は韓信の言葉に耳をかさず、囚人車に乗せて洛陽へつれ帰った。
  ・・・ ・・・
「のう、韓信は捕らえたが、この処分 どうしたものであろう?」
「陛下に申し上げます。
韓信の漢朝誕生に尽くした功績はあまりにも大きく、また韓信を尊敬する諸侯も多くございます。ここで韓信を処刑するには問題が大きすぎます。」
「蕭何、そちも韓信の尊敬者の一人であったな。」
「えっ、いや、それは……」
「陛下、これだけ漢朝の功績のあった韓信を殺せば、他国の王は次は自分がと警戒し、陛下の命に従わなくなる者も現れましょう。寛大な態度で臨むべきです。」
「ふむっ。」
「問題は韓信から兵を取り上げてしまえばよいのです。
 侯に格下げいたしますれば……」
「確かに兵を持たさなければ心配ないな。」

・・劉邦が牢内の韓信に話しかける。・・
韓信。
「あっ、陛下。」
どうじゃ、牢暮らしは?
「快適と申す者はおりますまい。」
ところで、そなたの目から見て わしはどのくらいの兵をひきいる力があると思う?
「陛下は十万くらいでしょう。」
「ならば、おまえは?」
「百万を動かせます。」
「それなら どうしてわたしに捕らえられた?」
「わたしは 兵を使うのが上手い”兵の将”です。だが陛下は、
将を使うのが上手い”将の将”なのです。
陛下のこの才能は天性のもので、誰もが持っているものではありませぬ。」
「なるほど、わしは”将の将”か。」
「ところで おまえの今までの功績を考え、処刑はいたさぬ。
 だが、王ではなく侯にいたす。」
「ご恩情、感謝いたします。」
「だが、疑いは晴れたわけではないぞ、それを忘れるな。」

 間もなく韓信は牢から出された。
肩書きは、ワイ陰侯であった。
侯とは一つの国に五十人ほどいて、現代の知事のような役目であった。

 翌年、劉邦は都を関中の長安に移した。
天下を統一した後も、あちこちで反乱が起こり、洛陽では安全とはいえなかったからである。
一方、
韓信は病気と称して屋敷に閉じこもり、反乱平定の出陣には参加しなくなった。
その韓信が ある日ふらりと劉邦の義弟の樊噲(はんかい)のもとに立ち寄った。
樊噲(はんかい)は韓信 尊敬者の一人であったので、大喜びしてひざまずいて韓信を迎えた。
そして いまは同格の韓信に対して「臣下」の礼をとったのである。
 この時、韓信は心の中で やり切れぬ寂しさに襲われた。
『項羽が天下を三つに分けて統治しようと言ってきた話を断り、漢王に天下を取らせたその報いが、この男と同格とは……』
それ以降、
韓信はますます家に閉じこもり、うつうつとして暮らしていた。
そういう生活をしているうちに、自分が天下を取りたいという野望が芽生えていった。しかし、
兵がいなくては何も出来なかった。
 そして時が流れていったーー

長安にて劉邦:
「陳キ将軍、そなたをキョ鹿(きょろく)の太守に任命いたす。
 しっかり務めをはたせ。」
「ははーっ、光栄に存じます。」
陳キ は韓信 尊敬者の一人であった。

陳キ は分れの挨拶(あいさつ)を述べに韓信の屋敷を訪れた。
「おお、陳キ どの、突然どうなされた?」
はい、こんどキョ鹿(きょろく) の太守に任命されました。それでご挨拶に伺いました。
「キョ鹿(きょろく) に!!」
はい。
「ふうむ。」
「陳キ どのわしも肚(はら)を決めましたぞ。」
はっ?
「漢朝が今日あるのも わたしの働きのおかげだ。」
それは誰もが承知いたしておりまする。」
「だが、その功に対して この報われかただ。」
同情いたしておりまする。
「そこで決心した。
陛下が天下を統一したといっても、まだ反乱はあいついでいる。わしが反乱の罪で捕らえられた翌年には韓王が、その翌年には趙の大臣が陛下の暗殺をはかった。
いま、わたくしが立ち上がれば不平分子はわたしにつく。わたしが天下を取る。」
えっ!
「どうじゃ、わたしに力を貸してくださらぬか?」
韓信さまのためならば。でも、
   どうすればよいのです?
「キョ鹿(きょろく)は精鋭の集まっているところじゃ。貴公は陛下の信頼が厚い。謀反を告げる者がいても、陛下は本気にすまい。
その報が二度 続いても、せいぜい疑う程度であろう。だが三度目だと陛下は激怒し、必ず自ら出陣いたすであろう。
そうなると都は空になる。この機会を逃さずわたしが都を制圧し、不満を持っている諸侯に声をかける。
そうなれば天下は思いのままだ。」
『このお方ならそれくらいのことが出来るお方だ』
「どうじゃ、協力してくださるか?」
わかりました、仰せの通りにいたします。
 陳キ将軍は打ち合わせ通り、キョ鹿(きょろく) に着くと兵を挙げた。
劉邦は最初はその報を信じなかった。
だが、陳キ将軍がまわりの城を侵略しはじめたのでがくぜんとした。
信頼を裏切られた劉邦は激怒し、自ら出陣していった。

韓信の館にて
「みなの者、陳キが約束通り兵を挙げた。思った通り高祖は激怒して自ら出陣し、都は空となった。
だがキョ鹿(きょろく)は精鋭ぞろい、おそらく一年では制圧できまい。
その間に、われわれは長安を制圧し、諸侯に声をかける。かならずや天下はわがものとなる。」
しかし、われらの兵はわずかにございます。どうやって都を制圧いたします!?
「まず、勅命といつわって全ての囚人を釈放し、都を騒乱状態に陥れるのだ。
そのどさくさに呂后と後退しを捕らえ、留守居の兵は降伏させる。
あとはそち達が定めた部署に付き、陳キの連絡を待つ。決行日はおって伝える。
 準備だけはしておけ。」

 ところが、この打ち合わせを召使の一人が聞いていた。
この召使の兄は韓信の召使いであったが、不正を働き死刑を宣告されていたのである。
この男は、手柄を立てて兄の命を救おうと呂后のもとに走った。

これ以降は、横山光輝著の漫画「史記」を借りて来て読まれることをお勧めします。
結末は、韓信が『ああ、カイ通の申した天下三分の計を用いなかったばかりに……』といいつつ、斬り殺されるのでした。
国士無双とまで言われた韓信の最後でした。
 司馬遷が竹簡にどこまで書いていたのか調べてはいませんが、歴史的事実を忠実に漫画として横山光輝先生は「史記」に表現されておられると信じます。是非、図書館から借りて来て読んでみて下さい。

著作権法違反とのお叱りを覚悟の上で「史記」の中から韓信を中心に抜き書きさせて頂きました。
漫画「史記」を借りて来て(あなたが)読むきっかけとなれば幸いです。

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2023年10月 7日 (土)

小山和智様、母澄子の葬儀収支報告の件。相続放棄をされないと 逆に清子姉さんと和智さんが計2百万円を兄貴に払うことになります。

 追伸:和智さん、澄子母さんは清子姉夫妻に だまされるようにしてドエルに入居したのですよ、哲雄の貯金通帳と印鑑も清子姉夫妻が持ち出したのです。(清子姉夫婦は、澄子を12年間拉致監禁したまま母の最期の願いさえも、叶えてやらなかった、のです)。
澄子母さんが豊栄町清武の自宅に居れば と赤字で示した仮定法過去完了形が理解できないならば、和智さんは中学校の英語の授業内容も理解できていない似非(えせ:にせ)教育家ということになります。
その内に東南アジアや中東の日本人学校の方から「小山和智先生、お引き取り下さい」と言われかねない失態だと、…。

和智様、昨日は久々の電話 有難うございました。隆彦兄さんからお聞きのように、澄子母さんの納骨を一昨日(2023年10月5日)に行いました。私は物理学者の端くれですので『
てこの原理』を駆使して(一人で)合同墓のふた開け閉めできました。丁度 正国の初子ちゃん夫婦が通りがかりで見てくれました。
 さて、澄子葬儀に関する会計処理が後四か月くらいかかるとのことですが、無駄な努力でしょう。何故なら、負の資産を相続することになるからです。
相続放棄をされないないことには 逆に清子姉さんと和智さんが合計:数百万円を兄貴に払うことになります。

 理由を箇条書きで列記します。
【1】一昨年、かやぶきの茶室の雨漏りがひどく、210万円を掛けてステンレススレートで吹き替えました。母澄子が清武の自宅【澄子の部屋】に居れば、当然のごとくにその全額を澄子の保持する貯金通帳から出資したはずです。
【2】4年前でしたか、墓に登る道の大型ブロック4つが倒れていたのを谷浦千鳥が見つけてビックリ仰天し知らせてくれました。小山家の合同墓を造る時、竹藪を取り払って大型ブロックを垂直に組み上げた事が原因でした。この修理費用も当然、亡父哲雄の貯金から払われるべきものでした。
【3】数年前の西日本集中豪雨の時、本宅台所の天井板が数枚落下三畳の間が水浸しの被害が出ました。屋根瓦が割れたり、新宅さんの工事不備(屋根の傾斜角度が15°程度と、ゆるかった)が原因でした。ステンレスの板を買い込み、私が修理しました。被害額は数十万円と見積もれます。
【4】和智さんが「クーリング オフすべき」と主張された「太陽光パネル設置」費用には340万円かかっています。これも小山家の設備投資として組み込まれるべきだったと考えられます(澄子母さんが豊栄町清武の自宅に居れば少なくとも半分くらいは出資されたはず)
【5】小山家の墓誌に澄子母さんの法名・命日を彫り込んだ費用は五万円でした。(墓守の大山宏が立て替えて払っています)
 その他、こまごまとしたことを除いても、210万+340万+数十万=約600万円の出費が母さんの保持する貯金通帳の負債と解釈できます。

 今回『葬儀後に澄子母さんの貯金通帳に+300万円が残りそう』とのことですが、300万ー600万=ー300万円となり、和智さんは「負の資産を三人で共同相続するべき」との主張をなさっている!と解釈できます。
もし、この相続をしたくないとお考えならば、相続放棄の書面を大山宏あてに、ご送付ください。
 以上です。 2023年10月7日 大山宏

追伸:和智さん、澄子母さんは清子姉夫妻に だまされるようにしてドエルに入居したのですよ、哲雄の貯金通帳と印鑑も清子姉夫妻が持ち出したのです。(清子姉夫婦は、澄子を12年間拉致監禁したまま、母の最期の願いさえも叶えてやらなかった、のです)。
澄子母さんが豊栄町清武の自宅に居れば と赤字で示した仮定法過去完了形が理解できないならば、和智さんは中学校の英語の授業内容も理解できていない似非教育家ということになります。
その内に、東南アジアや中東の日本人学校の方から、「小山和智先生、お引き取り下さい」と言われかねない失態だと、大反省される必要がありますよ。

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2023年10月 6日 (金)

四面楚歌「史記 42話」第8巻 くそ真面目の韓信は異邦人?世界平和にはこれしか無いのか?項羽の最後。

 項羽に榮陽城成コウを取られた劉邦だが、関中で軍を立て直し、再び東信を開始し 成コウ の奪回に成功した。
その頃、項羽は彭越を追っていた。彭越の前身は野党だが、秦打倒の蜂起軍に千人をひきつれ、そして夜襲奇襲で秦軍を撹乱した。部下の数もいつしか一万余人となっていた。
ところが秦滅亡のあとの論功行賞で、彭越はなんの地位も与えられなかった。彭越は部下を養うのに困っていた。

 劉邦はこれに目を付け、楚側の領土は「切り取り勝手」と約束を与え、楚軍の兵糧庫や輸送部隊を襲わせた。
項羽は兵糧確保のためにも彭越を討伐しておく必要があった。ところが榮陽成コウが劉邦に奪回されたと聞き、急いで広武に進軍してきた

その頃、北伐の韓信は斉王を討ち、斉の首都臨シに入っていた。
「韓信上将軍、漢王の勅命にございます。」
「ははーっ。」
「項羽は榮陽成コウが漢王に奪回されたと知るや、大軍を引き連れ広武まで進軍して参りました。韓信上将軍はすぐに軍勢を引き連れ、楚軍を討てとのお言葉にございます。」
「わかりました。すぐに出陣の準備をいたします。」
「大きな功績を立てられることを期待しております」
 韓信はただちに出陣の準備を命じた。

韓信上将軍、この出陣準備は何事でございます?
おお、カイ通先生。
漢王より、すぐ出陣せよと勅使が参った。項羽が大軍をひきいて榮陽に迫っているそうだ。
ほう、項羽は短期決戦を選んで参りましたな。でも上将軍、斉王になってから救援に向かいなされ。」
「な、なに?」
今なら上将軍は王になれまする。
魏、代、趙、燕、斉の平定は、王になってもおかしくないほどの功績です。漢王にそう申し上げれば、漢王もお認めになるでしょう
。」
しかし、時期が時期だ。
何ごとにも、『機』というものが、ございます。このを外しては王にはなれませんぞ。」
しかし、人の弱みにつけ込んでいるようでのう… …
仮の王ということで表文を送ってみなされ。かならず認められます
仮の王のう。
  わかった。表文を送ってみよう。
そうなされませ。

榮陽城にて劉邦:
「なにっ、韓信からの使者が参ったと。
  すぐ、ここへ通せ。」
周叔(しゅうしゅく)にございます。韓信上将軍の使者として参りました。
「おう、韓信の軍は もう発進いたしたか?」
いえ、まだでございます。
なにっ、漢の一大事という時に、何をぐずぐずいたしておるのだ。」
わたしは この表文漢王さまにお届けするよう命じられただけでございます。
「見せよ。」
・・・「うん?」
 臣:韓信は斉を平定してまだ日も浅く、民の心もまだつかんでおりませぬ。古きより斉はいつわり多き国といわれており、安定いたさねば乱が起きること必定… …国に王がいなければ、民を教化し治めるのは至難です。願わくば斉王の印をいただき、しばらく仮の王となりて、これを鎮め、民心を掌握してから出陣いたしたいと考えまする。
な、なんじゃ、これは
わしが楚軍相手に苦戦している最中に、
 斉の仮の王にせよだと!
      なんたるやつだ。」
と、隣に立っていた張良が劉邦の足を踏んで諫めた。
漢王さま、韓信なくして項羽とは戦えませぬぞ。敵にまわすことはお止めください
その通りです。それより韓信に恩義を感じさせておくべきです。
この愚か者!
わしがそれほどケチな王と思っていたのか。
 仮の王とはなんだ、仮の王とは!
  それが気にくわん。」
は、はい。
わしは項羽と違うぞ。あれだけの功績をあげていながら、なんで斉王にしてくれと申してこぬ。
・・・。 張良。
  「はい。」
「そなた、韓信に斉王の印を届けてくれ。」
 「はっ。」
張良はただちに斉王の印を持って臨シへ向かった。
一国一城の主になることが夢であった韓信の喜びようは大変なものであった。

 それを聞いた広武の項王
「なにっ、韓信が斉王に封じられたと。斉は平定されたのか。」
「はい。」
『…斉は七十余城を持つ要害の地だ。それを韓信が平定してしまったのか… …まずいのう……』
項羽は斉救援のために龍且(りゅうしょ)二十万の兵を与えて向かわせた。
その龍且(りゅうしょ)は韓信の「砂嚢(さのう)の計」で敗れ、龍且(りゅうしょ)は討死。かろうじて生き残った楚軍も全員、捕虜となった。
 一瞬にして二十万の兵を失った項羽にとってショックだった。
「のう、韓信を味方につけられぬか?」
えっ。?
「楚と斉とは国境を接している。出来ることなら味方にしておきたい。誰か説得できる者はおらぬかのう。」
「それならば、大夫の武渉(ぶしょう)が ようございましょう。なかなかの知恵者で能弁家でもございます。」
「よし、武渉(ぶしょう)を呼べ。」
  「はっ。」
「それから贈り物をの用意もいたせ。」
   「はっ。」

韓信のいる臨シ城内にて、
「斉王さま、楚の使者が参っております。」
楚の使者が?… …。よし通せ
「はっ。」

これは項王さまからの贈り物にございます。
はてさて、これはどういうことでござるかな。
項王と わしは敵同士、このような贈り物をいただく理由がござらぬが……」
これは斉王、即位のお祝いにございます。」
それはそれは……。しかしお祝いだけに参られたのではござるまい。
はい、項王さまは斉王の勇名を耳にされ、昔の罪を謝し、両国の友好を結びたい、と申されているのです。
ほう。楚に降れということですかな?
とんでもない。斉をいとも簡単に平定なさったお方に、項王がそのような失礼な態度を取られるわけがございませぬ。
項王は漢王、斉王と、天下を三分して統治し、対等にお付き合いしたいと申されております。
その方が斉王さまのためになることは間違いございませぬ。
ほう、どうしてだ?
漢王は信用できぬ人物だからです。
今まで項王がその気になれば、漢王を殺す機会は何度もありました。だが、あわれんで助けました。その恩を忘れ、漢王は平気で約束に背き、項王を攻撃いたしました。もし、
漢王が勝てば、次に邪魔になるのは実力のある斉王さまです。漢王はかならずや自分を守るために斉王さまを裏切りましょう。それ故、天下を三分して友好を保っておいた方がよい、とお思いなのです。
わしが楚にいた時は、無視されていた。それが今になって対等の付き合いとは信じられん。
漢王はわたしを上将軍にして三軍をまかされ、今は斉王にしてくだされた。わたしは漢王の方を信頼いたす。
ともかく、この贈り物は受け取るわけにはいきませぬ。お持ち帰り下され。
  「ははっ。
 武渉の説得は失敗し、すごすごと引き返した

斉王さま、楚の使者が参ったそうにございますな。
ほう、耳が早いですな。
何を言って参ったのです?
天下を三分して統治しようと言って参った。
それでご返事は…?
もちろん断わった。わしは漢王に天下を取らせるために戦っているのだ。
斉王さま、別室で少しお話 しとうございます
人前で話せぬ話か。」
斉王さまは自分の立場をよく理解しておられませぬ。
 ・・・(別室へ)・・・
ここで、よかろう。ここならば、
   誰にも聞かれぬ。」
斉王さま、項王の話を蹴ったのは間違いでございます。
なぜだ。?
韓信さまは、いまや強国:斉の王なのですぞ。…
 斉は南に泰山の自然が国を守り、西に黄河があり、東にはロウ邪(ろうや)の肥沃な土地があり、北には渤海の天然の利があり、国は富み、自然が斉を守る要害の地である
…、今 あなた様は、この要害の地の王なのですぞ。わたくしが王になることを薦めたのは、ここの王ならば天下をうかがう足がかりの地となると思ったからです。
なにっ。?
「今、漢王・項王の運命はあなたにかかっているのです。あなたが漢に味方すれば漢が天下を取り、
楚に味方すれば、楚が天下を取りましょう。」
わしは漢王に天下を取らせるために働いている。
「では、その後は、どうなります?」
なにっ?
「『主を震わしたる者 身を危うく、功 天下を覆う者、賞されずと申します。
今、あなたは主君を畏れさすほどのと、恩賞を与えきれぬほどの功績をお持ちです。
今さら楚王に仕えても楚王は心を許されず、漢王も恐れおののくだけです。身動きならぬ立場に、お気付きにならぬのですか。
ならば、どうせよと申す。?
あなたが天下を取るのです。
な、なにっ。?
まず、項王のいう天下を三分して統治するという話に乗るのです。そして、
漢・楚の戦いを、睨み(にらみ)をきかして うまくまとめるのです。
漢・楚が戦いだして、はや三年天下は二人のために疲弊(ひへい)しております。
これを上手くまと天下の諸侯はあなたについてまいりましょう。
ふむう、天下三分してのう……
 その言葉は韓信の心を少し動かした
それにお気付きならば、すぐに行動を起こすべきです。
いや、それは出来ぬ。漢王の恩に背くことになる。
あなたは漢王を信じすぎておられる。それは危険です。趙の張耳と陳余とは昔は「刎頸(ふんけい)の交わり」として有名でした。だが、一つ疑いが生まれると、一族を殺し合う仲となったのは、その目でご覧になられたでしょう。
あなたは戦いの天才です。合戦があるからその名はとどろきます。しかし平和になったらどうなります?

狡兔(こうと:うさぎ)死して良狗(りょうく:猟犬)煮られ
高鳥(こうちょう)尽きて良弓(りょうきゅう)(しま)われると申します。天下が治まればあなたは必要なくなり、かえって恐れられて危険な立場になりましょう。
ムムム、
「『功は成り難くして敗れやすく、時は得難くして失いやすしです。
斉王さま、真の知とは決断することなのです。
わかっている、わかっている。…
確かにそなたの言うことは よくわかる。だが わしを王にまでして下さった漢王を裏切れぬ

さようでございますか。『天の与うるを取らざればその咎(とが)を受け、時いたって行わざれば反ってそのわざわいを受ける』と申しますのに、……」

『惜しいものだ、天下が目の前にあるというのに……』

カイ通(かいとう)は狂人のふりをしていずこかへ去って行った。謀反をすすめたことが劉邦の耳に入った時の報復を恐れたのである

榮陽城にて、
「漢王さま、」と張良。
「おう、張良、戦況はどうじゃ。」
一進一退でございます。
「韓信が来てくれればすぐに勝負が付くのに、何をしているのだ。」
それより面白い情報が入りました。
「なんだ?」
彭越が糧道を断っているため、楚軍の兵糧は底をついたそうでございます。
「ほう、」
天下を二分して鴻溝(榮陽の東)から西を漢領、東を楚領という条件で和睦を申し出てはいかがです?
今なら項王は応じると思います。そうすれば捕らえられているご両親や奥方様も無事、取り戻せます。
「なるほど、よし すぐに使者を送れ。」
っ。
 ただちに使者が出向き、和睦の話はまとまった。
 項羽と劉邦は和睦の調印をした
  父母や妻は無事 返された。
 項羽は早々に彭城へ引き揚げた

「さ、これで戦いは終わった。帰国するぞ。」
とんでもない。
「えっ?」
これからが決戦なのです。
「どういうことだ!?」
項羽が油断している時に追撃をするのです
「張良、和睦の協定を破れ、と言うのか?」
漢王さまは、項王がこのままおとなしくしているとお考えですか?
楚は兵力を消耗し食糧も底をついております。この機を逃しては討ち取れませぬ。
項王とて兵を充実させ体制を整えれば、協定を破って西進して参りますぞ
このままでは『虎を育てて禍の種をまく』ようなものです。
わたしもそのように考えます。
「陳平、おまえもか。」
両雄ならび立たずと申します。
「ムムム、ふうむ、張良、最初からそう考えて和睦をすすめたのか?」
「はい。」
『ふうむ… …「よし、わかった。韓信や彭越にも出兵するよう伝えい。陽夏合流だ。
「はっ。」
 劉邦は雌雄を決すべく、項王追撃を開始した

劉邦は陽夏の南で進軍を中止し、韓信・彭越軍の到着を待った。
だが、韓信・彭越軍は現れなかった。
仕方なく漢軍だけが固陵まで進んだ
ところがそこで楚軍の反撃を受け…
 大敗して逃げ帰った

「のう、張良、韓信も彭越も約束を守らん。どういうことだ。」
今、楚の旗色の悪さは天下が認めていることです。それがかえって韓信・彭越に不安を抱かせているのです。
「何故だ?、わしが天下をとると、何が不安なのだ?
今、漢王と項王が戦っているから、二人の存在価値は高いのです。しかし、
漢王は、韓信が斉の王を求めてきたことにも激怒なされました。その後、とりつくろっても、使者の目からみれば、いやいや認めたことは明白です。また、
彭越も、楚の兵糧庫や糧道を襲って奪った兵糧をどんどん漢軍に届けました。しかし漢王さまは彭越にそれなりの地位を与えておりませぬ。それ故、漢王さまが天下を取れば、自分達はどうなるのだろうと、不安なのです。
「ふうむ。…では、どうすればよいのだ?」
漢王さまが天下を取れば、陳以東~海岸に至るまでの地を韓信に与え、
スイ陽以北~穀城までの地域を彭越に与え、王になることを許すのです。今度は大義名分で戦うのではなく、自分の利につながる戦いです、二人は必ず動きます。
「よし、韓信・彭越にはそう伝えい。
また、諸将にも項羽を討ち取った者は楚の領土をさいて万戸侯とし千金を与えると伝えい。」
はっ。」
 漢陣営は恩賞の大きさにがぜん騒がしくなった。
韓信も…彭越も動き出した。そればかりか、
楚の大司馬の周殷までが楚に反旗をひるがえし、糾江の兵を動員して彭城を目指した。
 漢軍の総勢は百万にもなった

彭城の項羽:
よいか、漢軍は四方から押し寄せて来る。その総兵は百万という。わが軍の三倍だ
だが戦いは数ではない。スイ水の合戦では、われらは三万の兵で五十六万の漢軍を蹴散らしたことを思い出せ。
報告では、劉邦の本陣は三十万ということだ。
ならば兵力は互角、劉邦の首さえとれば、漢軍は大混乱になる。目指すは劉邦の本陣だけである。

 項羽は漢と決戦すべく彭城を出た。
まわりに見える漢軍の旗など見向きもしなかった。ただひたすら劉邦の本陣を目指したのである。
この中に虞美人もいた。
項羽はこの女を愛し、いつも側からはなさなかったのである。
「后」「貴妃」「美人」は、女性の身分の官名である。
項羽は劉邦の本陣を目指して突入した。
だが、スイ水の合戦の時と違って、今度は韓信が万全の布陣をしていた。
さらに、項羽の首を取れば、万戸侯の地位と千金が約束されている。
 諸将の目の色も違っていた
漢軍は次から次へと新手の兵をくりだして、楚軍を攻めたてた。
さすがの楚軍もだんだん旗色が悪くなってきた。
 大きな被害が出はじめた

「項王さま、彭城が落とされたそうにございます。」
なにっ。」『ぬうう。』
よし、垓下に引けっ。」
 垓下は四方を山に囲まれた土地であった。
 楚軍はこの中に逃げ込んだ。
ところが、どういうわけか、愛馬のウスイがここで足をつっぱり、動かなくなった
項羽は仕方なく ここに陣を築かせた
「なにっ、わが軍は五万になったと。」
「はい、被害の程度を調べましたところ、無事なのは五万だけでございました。」
「むむむ。」
「それに兵糧もそう長くは持ちませぬ。」
「わかった。ここを脱出し軍を立て直そう」
だが、四方の山々には漢軍の赤い旗がひるがえっていた

 それから連日、漢軍の猛攻が始まった。
だが項羽は強かった。一度に八人の将を相手にして倒したり、一日で60余人の将を相手にしたこともあった。
 これを見て楚軍は奮い立った。
  項王に続け、と暴れ回った。

漢軍韓信
張良どの、さすがに楚軍は強い。わが軍の被害は日増しに大きくなっております。ここは兵糧攻めにしようと思うのですが。」
それがようございましょう。
それともう一つ、楚兵を望郷の念にかりたてるのです。戦意をそぐことが出来ると思います。」
「ほう、どうやって… …?」
楚の歌を聞かせ、故郷の家族を思い出させるのです。」
「そういえば、項羽が秦で蜂起してから もう八年…、兵士も故郷が恋しいでしょう。効果があるかもしれませぬな。」
では、兵士に楚の歌を習わせ、やってみますか。」

 漢軍は垓下へ通じる道を完全に封鎖した。
どこからも兵糧を持ち込めぬようにした。楚軍の兵糧は底をつき、兵士は飢えはじめた。
「こう腹がへっては、戦もできぬぞ」
「このままでは、ここで飢え死にだ」
「うん?」
「おい、(しょう)の音だぞ。?」
「耳をすませ、歌声が聞こえる。」
ああ誰がために遠く故郷を離れる
 ああ老母は朝な夕なに
  わが子帰りを待ちわびる
ああ糧(かて)尽き 援軍 途絶える
なのにどうして我ら故郷に帰らざる
 ああ九月 秋深く
  雁(かり)は空を飛んでいく
それはもの悲しく胸をゆさぶるような調べであった。故郷を思い、涙する兵士もあらわれた。
「考えてみれば長い間 戦い続けてきたのう。おれの子はいくつになったのかな」
「おっ母はまだ生きているのかのう」
「それにしても漢の陣営から何故、楚の歌が聞こえるのだ?」
「楚語もうまい。これは楚の人間がうたっているのだ。」
「漢はすでに楚を平定し、降伏した楚兵に歌わせているのではないか。」
「これはそれを我らに知らせるためにうたわせているのではないのか?」
「そうかもしれんぞ。」
「これから冬だ。食糧もなしに、どうやって越冬する?」
「ここで飢え死にしたら、わしの家族の面倒は誰がみるのだ。」
「楚が滅んだのなら、もうここで頑張る必要はないではないか」
「その通りだ。ここでおれ達だけが頑張って、何になる」
「よし、おれは降伏する。」
「おれもだ。」
「まてまて、項王さまには何か策があるはずだ。はやまるな。」
「なにっ、策があるならなぜ実行せん。近ごろは姫と酒ばかり飲んでいるだけじゃないか」
「そうだ、われらが飢えているのに、自分はうまいものを喰らって酒浸りだ」
 飢えと不安で兵士はいらだち、反対する者は殺されかねない雰囲気となっていった
その夜、楚兵は続々と楚陣をはなれだした。
叔父の項伯も項羽を見捨てた。 
   ・・・ ・・・
漢軍は、武器を捨てた楚兵は黙って通した。
四面楚歌は絶大な効果を発揮したのである
   ・・・ ・・・
「項王さま、項王さま。一大事です。」
なんだ、朝早くからうるさいのう
「項王さま、兵士の姿が見当たりませぬ」
なに
「申し上げます。兵のほとんどが昨夜脱走したそうにございます。」
な、なに
「それに気づいて止めようとした者は、その場で殺されかねないような有様であったと申します。」
それで残った兵は!?
「八百余名にございます」
なにっ、たった八百名。」
・・・この事態に、項羽は一旦 退却するつもりであったが(虞美人が自決してしまい)結局、八百騎を二つに分けて漢陣突破を決行した。
漢軍は怒涛のように押し寄せてきた。
項羽を逃がそうとした後陣の四百名がまず全滅した。
項羽は江東をめざして次々と漢陣を突破していった。
四潰山までたどり着いた時には、項羽の供は、二十八騎となっていた。
「ふふふふ、見渡すかぎり漢軍だのう。
みなの者、良く聞け、われ等が江東に兵を興してから戦えば必ず勝った。それが今、このありさまだ。
だが、これは、我らが弱くてこうなったのではない。天がわれ等を見捨てたからじゃ。
よいか、今から四隊に分かれて、三度 漢軍に突っ込む。そして敵を蹴散らしたら山の東に帰って来い。われ等の強さを見せつけてやるのだ。」
項羽以下、二十八騎は四隊に別れて漢軍に突入していった。・・・
三度目の突入後も、二十六騎が残っていた。
天よ見たか、わしは弱くて負けたのではないぞ。」
項羽以下二十六騎はそのまま烏江へ走った。だが 烏江に着いて、
項羽の気が変わった。
「のう、この烏江を渡れば江東だ。わしは八千の子弟をあずかって兵を興した。だが今、それら子弟をみな、死なせてしまった。
わしだけ生き残ってその父母たちにどう詫びればいいのだ。
わしは武将らしくいさぎよく討死にし、その名を後世に残したい。」
「われらは項羽様と運命を共にする気でついて参りました。最後まで項王のお供をいたします。」
「そうか。」
烏スイ(カラスのように真っ黒な愛馬)よ、いままでよく頑張ってくれた。おまえまで死ぬことはない。放してやるから自由に暮らせ。」
 供の者もこれを見て、みな馬をおりた。
そして徒歩で漢軍に斬り込んだのである。
項羽は手傷を負いながら、数百人を討ち取った。そして自決したのである。
 漢軍の将たちは自分の手柄にせんと同士討ちまで始めて、その死体に群がった。
項羽の体は手、足、首とバラバラになった。
項羽、享年 三十歳であった。
  ・・・ ・・・
 劉邦が漢王になってから五年、漢楚の戦いは終わった。
項羽は貴族出身であったため肩書きを重んじ
農民あがりの劉邦は身分を気にせず、才能を重視した。
それが勝敗を決めたのである

 横山光輝著のマンガ「史記」を図書館から借り出し、是非一度、熟読してみて下さい。
21世紀の現代政治に通じる教訓がきっとあなたの心に届くことと確信しています。

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2023年10月 3日 (火)

離間の策「史記、41話」第8巻(横山光輝著)より陳平編(参)小山和智様

離間の策とは現代でいうスパイ作戦で、対戦相手の中に悪いうわさをまき散らして相互不信を起こす策です。
21世紀の現代でも、盛んに用いられいますね。

陳平の陽武の戸ユウ郷の生まれである。わずかの農地を持つ貧しい農民の子である。
陳平は非常に学問好きで、兄:陳伯に養われながら勉強していた。
兄:陳伯陳平の才能に期待し、畑仕事も手伝わせず、自分ひとりで年中働き、わずかの金も陳平の勉学の費用に回していた。
 ところが陳平不道徳な男で、兄が懸命に働いている間に兄嫁と密通していたのである。
のう、陳平よ、おまえもそろそろ妻をめとる年頃だ。
「兄さん、おれは貧乏人の娘と結婚する気はありませんよ」
しかし、我が家は貧乏だ。金持ちの娘など嫁に来てくれるわけがない
「兄さん、金のある所に人は集まる、といいます。わたしは学んだ学問で身を立てたい。そのためには知名人と広く交際し、一人でも多くの知己を得て、顔を売らなければなりません。貧乏暮らしでは その交際ができません。」
その気持ちは分るが…しかし、金持ちの娘が嫁に来てくれるわけがない。
「いいえ、その候補が一人いますよ」
な、なにっ、どこの誰だ?!
「大金持ちの張負さんお孫娘ですよ。」
な、なっ。あ、あの孫娘はいかん。悪霊の祟り(たたり)がある!」
うわさは知っています。
あの孫娘と結婚した男は五人!どの男もすぐに死んでしまった。今では祟り(たたり)を恐れて嫁のもらい手がないという話ですね。」
そ、そうじゃ、お前だってすぐに死ぬぞ。それにだな、お前が決めても張負さん が認めるかどうかもわからん
「大丈夫です。張負さん は認めます。」
そんなに自信を持っていえるのか?

「あの若さで悪霊つきの娘とうわさされ、再婚も出来ぬ。張負さんはさぞ心を痛めているでしょう。祟りを恐れぬ相手が現われたら喜んで嫁に出しますよ。」
お前は頭の切れる弟だと思っていたが、いつの間に張負さんの孫娘の話まで知っていた?
「兄さんでさえ知っている話です。戸ゆう郷の出来事くらいは知っています。わたしは天下の情報をもっと知りたい。
 ある時、村で葬式があった。陳平手伝いを頼まれた。今でいうアルバイトである。
陳平葬儀場には一番早く行き、一番最後まで手伝っていた。その陳平、じっと見つめていた男がいる。張負であった。 
「これ、あの若者はなんという男だ?」
あの男ですか。あれは陳平です。貧乏農家の次男のくせに、働こうともせず、兄に養ってもらっている男です。
「ほう、それで毎日、何をしている?」
学んでいるという話ですが、兄嫁とも出来ているといううわさの男です
「ふーん、わしにはそうは見えん。只者(ただもの)ではないような気がする。
ともかく、どこに住んでいるのか確かめよう。」
旦那さまも、物好きですね。

「ほう、なるほど、ひどい貧乏暮らしのようだな。
うん? おい、これを見ろ。」
車輪ですが、それが… …?
「これは貴族達が乗った馬車の車輪だ。
あの若者はこのような馬車に乗るために勉学に励んでいるのだ。
あの若者には青雲の志があるのだ。」
 ? 
「よし、決めた。」
  ? …
これで縁談はまとまったな。』と陳平は心の中で思った。

なんですと。陳平に孫娘を嫁がせるというのですか?
「そうじゃ、もう決めた。」
あの男は貧乏なくせに、なまけ者だと県中でも評判の悪い男ですよ」
「今はな… … だが、あの男いずれ出世すると、わしにらんだ
それに、孫娘も悪いうわさが立っている。このままでは再婚できぬ。陳平に嫁がせる。誰にも反対はさせん。」

 こうして縁談はまとまった。孫娘は多額の持参金を持って陳平のもとに嫁いできた。
陳平はその金で交際を広め、知人を増やしていった。
その頃、
  農民 陳勝が秦に反乱を起こした。
各地でも陳勝がに呼応して反乱が起こった

「みんな、天下大乱のうわさは聞いているだろう。
各地で反秦の勢力が立ち上がっている。
陳勝は陳勝王と名乗り、魏キュウを魏王とした。を倒せば誰でも王や将軍になれる。われらも蜂起軍に参加すべきだ。
どうだ、わたしと一緒に魏王のもとに行く者はいないか。」
でも、秦は強い。成功できる保証はない。」
「その通りだ。しかし安全を求めていては成功はない。天下の流れを読むんだ。
今、蜂起軍は一人でも兵士が欲しい。

どこでも喜んで迎えてくれる。名を上げる絶好の機会だ、わたしについてこい。」

 こうして陳平は若者をひきつれ、魏王キュウの陣営に加わった

「おお、そなたが陳平と申すか。今は一人でも見方が欲しい時じゃ。
よく参加してくれた。
そなたを太僕(たいぼく:馬車の管理官)に任じよう。」
    「ははーっ。」
だが陳平は、そんな役で満足できる男ではない。
陳平は魏王に再三、軍略を説いた

「陳平、陳平。 お前、命が危ないぞ
お前の言う軍略通りにやったら魏が滅ぶと言うものが現われた。お前は秦のまわし者じゃないか、と言いだしたんだ。
このままここに居ると命が危ないぞ。
ここは逃げたほうがいいと思うんだが…
「わかった。よく知らせてくれた。」

 陳平はその日のうちに逃亡した
そして、楚の項羽軍に身を投じた
陳平は項羽に従い、威陽をめざした。

秦が滅び、諸侯の論功行賞が行われた。
陳平も爵卿(しゃくきょう)の称号が与えられた。権限はないが卿と同格の身分である。
だが、この論功行賞は不公平なもので、諸侯で不満を抱く者が多かった。
 まず、反乱が起こった。
つづいて、僻地に追いやられた劉邦が東進を開始した。
同じ頃、殷王 司馬コウも反旗をひるがえした

楚軍にて項羽より
「陳平、わしは斉の平定に向かわねばならぬ。そちは殷を平定せよ。」との命令が下った。
陳平は直ちに出陣した。
殷はこま切れに分割された国の1つである。制圧にそう時間はかからなかった。
 殷王は降伏し、楚に忠誠を誓(ちか)った

陳平よ、よくぞやった。その手柄により、そちを都尉に任命し、24イツ(約600両)を恩賞として与える。」
「ははっ、光栄に存じます。」
都尉とは、軍を監視する役目で、大きな権限があった。しかし、項羽の斉制圧は遅々として進まなかった。
斉には70余りの城があり、一つ一つの城が最後の一兵まで戦ってきたからである。
その原因は、項羽が降伏して来た斉兵を、ことごとう生き埋めにしたため、降伏する兵がいなくなったからである。

「なにっ、殷が漢に占領さらたと。?」と項羽、
「はい、漢王はそこを自分の領地とし、
諸国に檄を飛ばし、東進に参加するよう申しております。」
おのれー、劉邦め、とうとう本性を現したな。陳平。」
「はっ。」
「このざまはなんだ。これはお前の殷の平定後の始末が不手際であったからだ。
  善後策は范増 亜父と相談する。
お前は退がって沙汰を待てっ。」
「ははっ。」

『覇王(項羽)は斉鎮圧が上手くいかなくていらだっている。こんな時には少しの失敗も容赦しない男だ。
ここは逃げたほうが良さそうだ。』
事実、項羽は陳平を処刑しようと考えていたのである。
陳平は恩賞としてもらった金と印綬を箱に詰めた
「これ。」
お呼びでございますか?
「わしは謹慎の身だ。覇王さまには会えぬ。
これを明日、覇王さまに渡してくれ。」
何か、お伝えすることはございますか?
「いいや、それを渡してくれるだけでよい」
 そのまま陳平は城を出た
陳平は夜中も懸命に走った。追っ手に追いつかれぬためである。
めざすは劉邦の陣であった。

『おっ、船だ。河を渡ってしまえば追手の心配はない』
「おおーい、船頭さん、向こう岸まで船を出してくれないか。」

おい見ろ、いい剣を持っているぞ。身分の高そうな男だ。どこかの落ち武者かもしれんな
ふところにもきっと金目のものを持っているに違いない。
  河の中でやっちまおう

『うっ!を持っている。こいつら只の船頭じゃない。盗賊だな

さあ兄さん、遠慮はいらねえ。乗りな
『 河の上で襲うつもりだな。』
「無理を言ってすまん。おれも手伝うよ」
陳平は裸(はだか)になって棹(さお)を取り、船を動かす手助けをした。
無一文であることを見せるためであった

「向こう岸に着いたら渡し賃がわりに
     その剣をあげる」
なかなか良い剣じゃねえか。」
「戦場で拾った物なんだ。」
やあ、着いた、ついた。ではそれを
   渡し賃ということでな。」
本当にもらっていいのか?
「いいとも、いいとも。」
陳平はとっさの機転で盗賊に殺されずに済んだのである。
陳平はそのまま知人の魏無知をたずねた。

陳平どの、その姿はどうした?
「いやあ、黄河で盗賊に会ってな。
    みんなくれてやった。」
それは大変だったな。
「いやあ、私は武芸には自信がないからな」
これ、着るものを!
はっ。
それにしても楚の都尉が、一人で何しに来た?
「実は項羽のもとから逃げ出してきたんだ。」
えっ、地位を捨ててか!?
「項羽という男は非との意見は聞かん。
 力こそ正義だと信じている。わたしの
 居る場所ではない。 どうであろう、
 漢王に降伏し、仕えたいのだが…」
おお、それは良い。漢王は今、人材を求めている。明日にでも直ぐに漢王に申し上げよう。
君のような秀才を野に放っておくのはもったいない。
「かたじけない。あなたの誇りに思えるような働きをしてみせます。」

「魏無知がそなたを推挙してまいった。なにか特技はあるか?」
「とりたててこれとは言えませにが、学んだ学問を応用して天下造りにお役に立てると思います。」
 劉邦はしばらく陳平と話し合ってみて、すっかり気に入った
「陳平、そちの楚での役職はなんであった?」
「都尉にございます。」
「よし、わしも楚と同じように都尉として迎えよう。わしの馬車に陪乗することを許す。」
「ははーッ」
  これを聞いて、諸将は
  いっせいに不満の声をあげた

大王さま、楚の脱走兵がどれほどの人物かもわからぬのに都尉に任命されたのですか?
大王と共に命をかけて戦ってきた軍を、そんな男に関しさせるのは反対です。」
「そち達の気持ちは わからんでもない
だが、あの男は将来かならず役に立つ男と見込んだのだ。
しばらく黙ってみておれ。」

漢王さまも、人のいいところがあるからのう。
 うまく丸め込まれたのであろう。
われらで正体をあばいてやればよい。」

 漢軍は東進をすすめ、彭城を手に入れた。
だが、スイ水の合戦で目をおおうばかりの惨敗を喫した。
これを機に諸将の陳平に対する反発は増々強くなった

榮陽城(けいようじょう)にて
大王さま、この度の合戦で陳平は口先だけの男とおわかりになったと思います。
「いや、あれは陳平の責任ではあるまい、諸侯がバラバラであったからじゃ。」
都尉という役目はそれを監視し改めさせるものです。
「ま、まあ、そうだが…」
陳平は故郷では兄嫁と通じ、魏に仕えても認められず、楚でも失敗して、わが軍に転がり込んだ男です。大王はそんな男を高い位につけているのです。これが問題なのです。
聞くところによると、あの男は諸将から賄賂(わいろ)をせびり、その額によって役職をふりわけているそうです。
忠義心もなく、不道徳な男です。こんな男に軍をまかせていては、漢に未来はありませぬ。
即刻、解任すべきです。
「わ、わかった。わしがよく、調べてみる。今日は退がれ。」

「魏無知よ、そなたが推挙した陳平には過去にいろいろ問題があったようだが、…」
「なるほど、それがお気に召しませぬか。
わたくしが陳平を推薦したのは陳平の才能です。ところが大王さまは陳平の過去の所業を気にされておられます。」
「それがいかんか?」
「いま正直者や美徳の士を大王さまに推薦して楚を相手に戦っても勝利が得られるでしょうか。漢には軍事的にもそれだけのゆとりもないはずです。
わたしが奇謀の士:陳平を推薦したのは楚に勝つためです。陳平の策が漢に利するかどうかであって、兄嫁と密通したとか賄賂を受け取ったかの所業は問題ではありませぬ。」
「ム、ム、ム…過去の所業か才能か、どちらかを選べと申すか。」
「はい、陳平の才能が必要ないと思われるなら、すぐに解任してくださりませ。」
「わかった。わし自身で陳平をしらべよう。」
ははっ。

陳平よ、そちは最初は魏に仕え、そして楚に仕えて去り、今わしの所に身を寄せた…少し気が多すぎると思うが…?」
「魏王に仕えましたが魏王はわたしの献策を用いませんでした。だから去り、楚に仕えたのです。ところが項羽は人を信じられない性格で、項羽一族の意見しか取り入れませぬ。それ故、楚を去ったのです。
漢王さまは、よく人を用いると聞いておりましたので、働き場所を求めて参ったのです。」
「ふうむ。ところでそちは、諸将から賄賂
(わいろ)を受け取っていると聞くが…」
「はい、受け取っております。
私は無一文でここに参りました。漢王様から都尉の大役を与えられましたが、この職務を全うするには人も召し抱えねばなりません。その経費が必要です。しかし、
漢王さまからまだ費用が出ておりませぬ。今の漢楚の状況下では大王さまが費用を下さるまで待ってはおれませぬ。よって諸将のお金を受け取りました。
私の策にとるべきものがあれば用いてくださいませ。用いるべきものが無ければ、受け取った金はそっくりそのまま封印してお返しし、私は辞職させていただきます。」
「そ、そうか、職務にあるべき費用をまだ、出していなかったか。
いやあ、これは、わしのしたことが不注意であった。すまん、すまん。」
 劉邦はあわてて職務に必要な金を出した。
これを聞いて、諸将も不平を言わなくなった


 楚は榮陽城 攻撃のゆるめなかった
「のう、陳平、この戦さ、いつ終わるのかのう?」
「項羽は礼儀正しく、部下が負傷すればやさしい言葉のひとつもかけまする。それを慕って兵が集まるのです。
ところがいざ、論功行賞になるとひどくケチ女々しく出し惜しみをします。
 それで士が去っていくのです。
それと反対に、大王さまは礼儀知らずな振る舞いが多く、礼儀正しい士は集まりませぬ。ただ気前よく恩賞を与えられるので、利につられやすい連中が集まります。
この両者の短所をなくし、長所を生かせば諸侯は漢王様になびきましょう。
今、主だった臣といえば、亜父(范増)鍾離バツ龍且(りゅうしょ)周殷など、数人だけです。この君臣関係をばらばらにすれば、楚に勝てまする。」
「どうやってする?」
「間者(スパイ)を放ち、黄金数万斤を使って亜父(范増)、鍾離バツがわれらと通じていると(うわさ)をバラまくのです。項王は人を信じぬ性格ですから、かならずや疑心暗鬼になり、内部が分裂いたしましょう。」
「なるほど、項羽の弱点を突け、と申すのだな。」
「はい。」

陳平よ、四万斤(四十万両)黄金を用意させた。この金を自由に使え。使途をいちいち報告する必要はない。」
「わかりました。これだけあれば、楚の内部を分裂させるに充分です。」

「…鍾離バツをはじめとする諸将は項羽に従って大きな功績を成したが、領地与えられてもらえない。諸将は漢に通じ項王を滅ぼし、その領地を分けて王になりたがっているとな… …。」
 間者たちは、それぞれが金をふところに、出発した。
そして楚の隊長達に金をつかませ応募兵として楚軍に入ったのである。

 それからしばらくして、
楚陣内に范増鍾離バツ漢と通じているという〈うわさ〉が流れた
項羽はそのうわさ〉を気にして范増鍾離バツを近づけなくなった。

「漢王さま、そろそろ項羽のもとに和睦の使者を送って頂きます。」
なにっ。和睦だと?
「和睦が本心ではありませぬ。今頃おそらく謀反の〈うわさ〉は広まっておりましょう。項王はきっと〈うわさ〉の真実を探るためにも使者を送ってまいりましょう。その使者の前で最後の仕上げをするのです。」

 こうして榮陽城から楚陣に使者が送り出された。

「何っ、和睦だと。」と項羽。
「はい。」と、使者。
「長い戦さで民は戦火にまみれて苦しんでおります。ここらで和睦し、平和な世を取り戻したい、と漢王はお考えなのです。」
「なんと申す。天下を狙っていながら、旗色が悪くなると和睦か!」
「漢王は天下を狙っていたのではありませぬ。故郷が恋しくて出たのです。
漢王の申されるには榮陽城より西を漢、東を楚ということで和睦したいと申しております。この和議、今でないとまとまりませぬ。」
「なぜじゃ?」
「韓信上将軍が北伐を行っておりまする。やがて百万もの軍勢を引き連れて帰って参りましょう。そうなれば韓信上将軍は和睦など認めぬでしょう。」
「よし、検討してみる。追ってこちらから使者をつかわす。」
「ははーッ。」
   使者が退出後、
  范増が入室してきた

「漢王さま、漢の使者が参ったとか。」
項羽「和睦じゃ。」
「和睦… …?」
「榮陽城より東を楚、西を漢ということで和睦しようと申して参った。」
「それは漢王の本心ではありますまい。この急場をしのぐための方便です。」
「しかし関心が北伐をなしとげたら、百万の軍勢を引き連れて帰って来る。そうなれば和睦の話も壊れると申す。」
「いかに韓信が名将といえども、斉七十余城を制圧するのは大変です。項王様ご自身が体験なされたではありませぬか。」
この時、韓信は「背水の陣」で趙を打ち破っていた時期である
「仮に韓信が北伐に成功したとしても、その前に劉邦を討ち取っておけば、天下は項王さまのものです。そうなれば韓信は領土もない盗賊と同じです。」
「しかし漢は使者まで送って来たのだ。返礼するのが礼儀であろう。」
「天下分け目の合戦に礼儀ですと。
そんなものは必要ありませぬ。目の前の敵を倒せば あなたは天下人なのです。
「范増、それ以上口を出すな。これはわしの決定じゃ、退れ!」
「はっ。」
 項羽は〈うわさ〉を信じ始めていたのである
「これ、そちは使者として榮陽城へ向かえ。そしてできるかぎり劉邦の本心を探れ。」
「ははっ。」

 返礼の使者が榮陽城へ向かった。
うわさ〉の真偽を確かめるためでもあった。

榮陽城
にて、
「これはこれは、お待ちしておりました。」
「返礼の使者として参りました。」
「さあさあ、こちらへ。」
歓迎のための食事の席が用意されていた。
「さあさあ、ご遠慮なく上座へ。」
ところで范 亜父はお元気でございますか?」
「はい、変わりありませぬが、何か… …?」
「ご使者どの、ここではもう堅苦しい話は抜きでございます。わたしは范 亜父をよく知っていますから。
ところで范 亜父が貴君を使者として寄こされたというのは、何かわけがあってのことでござるか?」
「どういう意味で申しておられるのかよくわかりませぬ。それがしは范 亜父の命でやってきたのではございませぬ。」
「なんですと。まことでござるか。
 これは失礼いたしました。項王の使者ならば別室を用意してございます。」
「  」
「さあ、どうぞこちらへ。
今、漢王は昼寝中でございますれば、ここでお待ち下され。」
 そこには粗末な料理が
置かれているだけであった
。それはまるで降将の使者あつかいであった。
そして劉邦の態度も横柄なものであった。まるでお情けで東を楚領にしてやると言わんばかりであった。
 使者は頭にきて榮陽城を後にした。

「なにっ、范増の使者でないとわかると、急に粗末に扱われたと!」
「はい、まるで降将の使者あつかいでございました。
また、漢王もすでに天下を取ったような態度でございました。」
『ムムム、やはり范増や鍾離バツが内通しているというのは本当だったのか。』

「項王様、なぜ榮陽城を攻めぬのです?
あんな城、三日もあれば落とせましょう。それで天下が決まるのです。」
「おう、それは楚軍が一丸となって攻めればの話だ、だが下手に攻めればわしの首が後ろから狙われる。」
范増は、はっと気が付いて、
「項王様、今、楚軍におだやかならぬ〈うわさ〉が流れておりますが、これは漢がまいた流言とお気づきになられませぬか?」
范増は、項羽のいったん決めると他人のいう事を聞かぬ性格を、よく知っていた
「これで天下の形勢は決まりましたな。ならば わしはもう用無しの身、暇を頂戴し、故郷で余生を送りたいと思います。」
勝手にせい。
 范増の今までの功績を考えると、さすがの項羽も、処刑を言いだせなかったのである。
范増はその日のうちに楚陣を出た。
だが、范増は故郷に帰る途中で病に倒れた。范増はその頃、背中に大きな腫れ物が出来ていたが、全身に膿(うみ)がまわって死んだのである。
敵の策略にのり、疑われて死ぬのは無念である」それが范増の最後の言葉であった。
「なにっ、范増が死んだと。」
「はい、最後まで疑われて死ぬのは無念、と言い続けられました。」

『人間、死ぬ時までウソはつかぬ、という。やはり漢軍の謀略であったか。』
「ええい、亜父の弔い合戦だ。榮陽城を攻め、劉邦の首を取る!」
怒った項羽は榮陽城を猛攻し、落とし… …さらに成コウ城まで落とした。

 劉邦や張良達は、かろうじて関中へ逃げのびた。
だが、この陳平の「離間の策」は劉邦の天下取りのために大きな役割を果たした。
項羽は韓信陳平につづいて范増、智謀のの士を次々と失った。
陳平は漢王朝 誕生後、治世にその才能をいかんなく発揮していくのである。

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2023年10月 2日 (月)

韓信の「背水の陣ーその2」釜ゆでの刑 「史記」8巻 第40話:必読お勧め書!

 韓信は安心して井ケイの山道を下っていった。

傳寛(ふうかん)、張蒼(ちょうそう)。」
はっ。」「はっ。」
そち達はここより二千の兵に漢の旗を持たせて、間道より井ケイの城の近くに伏せよ。
趙軍はおそらく全軍で出撃してくるに違いない。城は空城に近い状態となる。それを見て城になだれ込み漢の旗を立てよ。」
はっ。」
別動隊二千は、それぞれが漢の旗を持って、間道に進んだ。

韓信は山道を出ると、河を渡った
     、木樽いかだを使って。
「よし、ここに陣を築け。」
「えっ。」「えっ!?」
「兵法では、陣は山を背にし水を前にすると教えていますが、本当にここに陣を築くのでございますか?」
「命じられた通りにいたせ。」
わからん。」
これでは逃げ道がなくなる。
  ・・・
見よ。あんな所に陣を張ったぞ。」
「ははは、これはおかしい。
陣は山を背にするものよ。韓信は名将と聞いたが、とんでもないうつけ者よ。」
さよう。これでは半日で滅ぼせますな。」
翌朝趙軍は城から撃って出た。
城にはわずかの城兵が残っただけであった。
城にはわずかの城兵が残っただけであった。

「みなの者、趙軍が攻めてきた。食事は戦が終わってからだ。 かかれ!」
 漢軍も飛び出した。
一万余と二十万の白兵戦が始まった
だが、圧倒的多数の趙軍の前に、漢軍はじりじりと後退し…
… ついに陣に逃げ込んだ。
だが漢軍のそれからの抵抗はすざましかった。漢軍にとっては もう逃げ道はないのである。

 その頃、別動隊 二千は井ケイの城になだれ込んでいた。
残っていた城兵は わずかだったので、あっという間に討ち取られた。
別動隊は二千本の漢の赤旗をうち立てた。
 ・・・ ・・・
将軍、味方の被害が大きくなっています。」
「あと一歩だがのう。・・・
よし、いったん城へ引き返そう。
     引き揚げの合図を!
引き揚げだ。」
・・・ ・・・
うっ。」「ああっ、漢軍の旗だ。
城は漢軍に乗っ取られているぞ。
あの旗をみろ。どれほどの漢軍がいるんだ。??」
「これでは趙王さまは捕らえられたに違いない。」
逃げろ。もう駄目だ!!
ひ~っ。
逃げるな。逃げる奴は許さんぞ。」
「で、でも、もう城まで取られてしまっているのですよ。」
そうだ。安全な城へ逃げるんだ。
そうだ、そうだ。
「おのれ~。命令を聞かぬ者はこうなるぞ」とばかり、逃げようとする味方の兵を槍で突き刺した。
だが、恐怖にかられた趙兵はバラバラと逃げ出した

 この時、別動隊二千も城から撃って出た。
趙軍は漢軍に撃破される形となり、大混乱となった。
 陳余は討ち取られ、
  趙王も捕らえられた。
無数の趙兵の死体がころがった。
 これが韓信の「排水の陣」である。
その言葉は、最後の一番勝負とか、決死の覚悟で事に当たるという意味で、今日でも使われている。

 戦いが終わって漢軍の陣にて。
韓信上将軍、一つお伺いしたいことがございます、
「なにかな?」
兵法には『山を背に、水を前にする』と記されておりまする。
わたし達はこの布陣に納得できませんでしたが、なぜ勝利を得られたのでございます?
「いや、これも兵法書に記されている戦法なのだ。『孫氏』九地編で、『兵は窮地に陥れられてはじめて生き、死地に置かれてはじめて存す』とある。そちたちが気が付かなかっただけだ。
 おう、それから広武君 李左車を見つけたら殺してはならん。もし生け捕りにいたせば、千金のほうびをとらせる。」
ははーっ。
兵士達は千金のほうびと聞いて、懸命に李左車を探した。そしてついに捕えてきたのである。

李左車先生、それがしは北の燕と東の斉を討ち、楚を包囲したいと考えております。どうすればよいか、お知恵をお授けくださりませ。」
いえ、『敗軍の将、兵を語らず、滅亡した国の高官は、他国の存続を計画してはいけない』と申します。それがしは敗軍の将、亡国の捕虜でございます。そのような重大な相談には乗れませぬ
「趙が滅んだのは先生の責任ではありませぬ。
趙王が先生の献策を聞いておれば、それがしは今ここに居なかったでしょう。趙王の責任です。
「先生、
諸侯が項羽に従うのは、楚の武力が恐ろしいからです。だが天下を項羽にまかせたらどうなるか、先生も想像がつくと思いますよ。
それがしが燕や斉を攻めるのは、天下を項羽の呪縛から解くことです。自分の君主の義弟まで暗殺するような男に、天下をまかされますか?
    李左車先生、この通りです。」
韓信上将軍、お手をおあげ下さい。
そこまでおっしゃられては…私の考えを述べさせていただきます。知恵ある人物千に一つの考え間違いがあり、愚か者でも必ず千に一つ良い考えが浮かぶ、と申します。
私の言葉がどれほど役に立つかわかりませぬが、愚者の言葉としてお聞き下され。
 私は漢軍がこのまま燕に攻め込めば負けると思います。兵士が疲れ切っているからです。まず、
この合戦で戦死した兵士の家族をいたわり、助けてやって下さい。そうすれば趙の人々は食べ物や酒を献上してまいりましょう。それを兵士に与えて休養させるのです。
 それから燕に威をしめすのです。
あなた様は三秦を制圧し、今また西魏と趙とを討ちました。燕は不安な気持ちでいるでしょう。威は十分に通じます。
そこで降伏するよう使者を送るのです。応じなければ、休養十分の兵を差し向ければよいのです。燕が降伏すれば斉は孤立した状態となります
なるほど、さすが先生… …」
 韓信は
李左車の言う通り、戦死した兵士の家族をいたわった。すると趙の各地から米や肉、酒が毎日献上されたのである。
韓信はそれを兵士達に与え、充分な休養をとらせた。
 それは、略奪を防ぐ効果もあった。
そして、燕には使者を送った。
燕はあわてて、降伏を申し出た。

韓信は趙で兵を募集し、燕の兵も加えて斉に向けて発進して行った。

「なにっ、漢と斉は和議を結んだだと、?
  わしは何も聞いておらぬぞ。」
それが漢王さまは楚軍の総攻撃を受け、あちこちの城に逃げられながら命じられたそうにございます。
いま楚軍相手でさえ危ないのに、ここに斉軍にも参戦されたら大変だと、麗食其(れいいき)を和議の使者として送ったのです。
「それで、まとまったのか?」
「はい、斉はもともと項羽の論功行賞に第一番に反対した国でございます。話はすぐにまとまったそうにございます。」
「それではわしは斉を攻めるわけにはいかんではないか。」
「いま、麗食其(れいいき)様は斉王の手厚いもてなしを受けているそうでございます。」
「ムムム。…
 ご苦労であった。退ってよい。」
      「ははーっ。」
『となれば、これからわしはどのように動けばよいのだ。その王命も聞いていない。
韓信上将軍、」
「おお、カイ通(かいとう)先生。」
 カイ通は説客として名が通っていた。
 燕の降伏の時から韓信の陣営にいた。
「韓信上将軍、
漢王さまが内密で斉と和議を結んだというのは本当でございますか?
「おう、そうらしい。」
それで上将軍にはどのようなご命令がありました?
「それが、何の連絡もない。」
「ならば、斉を攻めるべきです。」
「な、なにっ。 しかし斉には麗食其(れいいき)
行っておるのだ。
しかし、上将軍に攻撃を中止せよとの王命が来ているのですか?
「いや、それが来ていない。」
「中止命令も来ていない
のに、斉を攻撃せぬは王命違反ではありませんか。
「・・・ ・・・」
それと、もう一つ気になることがあります。上将軍は数少ない軍勢をひきつれて西魏から趙へと一年余の北伐を続けられました。
ところが斉は、一介の説客舌先三寸で、あっという間に斉の七十余城を味方につけたのです。上将軍が一年余をかけて落とした城よりも麗食其(れいいき)が口先で奪った城の数の方がなのでございます。漢王はどちらの手柄を上とみるでしょう。
 漢王から中止命令が来ぬ限り、斉を攻撃すべきです。
「では、麗食其(れいいき)を見殺しにせよ、と申すか。」
王命に従い、その名を天下に(とどろ)かせるか、王命に逆らい手柄を横取りされるかの、どちらかでございます。
『 ムムム 』
韓信は斉攻撃を決意した
斉の城は、次々と落とされていった。
斉は漢王と和議を結んだため、警備をゆるめていたのである

「麗食其(れいいき)よ、よくもわしをあざむいたな。」
いいえ、これは何かの手違いでございます。漢王さまは、それがしに和議を進めよと申されたのでございます。
黙れ、だまれ! ここにきてまだ、詭弁(きべん)を使うか。そちを信じたばかりに斉の城は、次々に落とされているのじゃ。
 こやつは釜ゆでの刑にせよ。
「はっ。」
麗食其(れいいき)は、即座に釜ゆでの刑
にされた

  斉王田広は、高密へ逃げた。
 そして、項羽に救援を求めた。
項羽は龍且(りゅうしょ)将軍に二十万の兵を与え、救援に向かわせた。

韓信上将軍
へ申し上げます。
龍且(りゅうしょ)将軍ひきいる二十万の楚軍が、こちらに向かっておりまする。
「そうか、龍且(りゅうしょ)将軍
か。」
「龍且(りゅうしょ)将軍といえば、楚でも有名な猛将です。それに軍勢も我が軍より多うございます。」
あわてるな。あの命知らずの将軍なら戦い方がある。
 よし、イ水で決戦だ。砂袋で、イ水の上流を
せきとめる。

漢軍は急いでイ水の上流をせきとめた。そしてイ水の河岸に出た。

「龍且(りゅうしょ)将軍、対岸に漢軍です。」
「ふふふ、韓信め、
あんな小勢で 我が二十万の軍勢と戦う気なのか。
あの男のことは、わしはよく知っている。若い頃、ならず者に脅されて、股くぐりをしたという臆病者だ。すぐに逃げ出す男だ。
よし、ひともみもみつぶせ。

韓信「迎え撃てっ。」
 両軍は河の中で戦いを開始した
「よしっ、退けっ。」
龍且「みよ、あれが韓信の正体だ、漢軍を殲滅せよ。」
 ワ ア アー ・・・
冬季であったため、これほど大きな河の水が異常に少ないことに疑問を抱かなかった

「うん、なんの音だ??」
この時、漢軍は上流の堰(せき)を斬って落としたのである。
「われは龍且将軍。 逃げよ~。」
「ひーっ」「わあーっ」「わー」

大半の楚軍が水にのみこまれた。
龍且はかろうじて岸に上がった。
だが、そこに待ち受けていたのは漢軍であった。
いくら龍且が強くても、大軍には歯が立たなかった。
龍且は討ち死にし、そしてかろうじて岸に上がった楚軍も、全員が捕虜となった。

斉の田広は楚軍全滅の知らせを受け、驚いて高密城を逃げ出した。しかし たちまち漢軍の追撃を受け、斉軍は四散した。
田広は捕らえられ、処刑された。

 項羽と劉邦が螢揚を中心に一進一退の合戦を繰り返している間に
韓信は、北伐をなしとげ、
天下は項羽・劉邦・韓信 の三大勢力圏となったのである。

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2023年10月 1日 (日)

「史記」韓信の背水の陣【第40話】、スイ水の合戦【第39話】劉邦の生涯で最大の負け戦。

 項羽は義帝を擁立して秦を倒したが、その後 義帝を殺害した
劉邦は 義帝の弔い合戦 であると大義名分を立てて、東進を始めた。

漢中を発進した時の漢軍は五万余であったが、三秦を平定したことによって兵力はぐん増えた
東進に加わったのは、降伏した中秦の塞王(さいおう:司馬欣しばきん)、下秦の擢王(てきおう:董えい(とうえい))、同じく降伏した華南王:申陽。そして自ら降伏して来た西魏王:魏豹
さらに、かつての親友 張耳の首(実はニセ首)を差し出すことによって協力してきた趙の陳余である。 
 その兵力は五十六万にもふくれあがっていた

「漢王さま、」
おう、韓信か、いかがいたした。
「諸侯の行動はそれぞれ勝手気ままです。
楚軍と戦おうという前に、これではなりません。もっと行動を共にするよう命令して下さい
。」
ははは、そう堅苦しいことを申すな。
項羽は斉の鎮圧に出向き、彭城は空城のようなものだ。せいぜい千か二千の城兵が残っているだけであろう。
 あっという間に落とせる。」
たしかに彭城は簡単に落とせましょう。しかし、項羽と楚軍が引き返してきたら、今のままでは戦えませぬ。」
ははは、項羽は斉の鎮圧に苦労している。まだ半年は斉にくぎ付けだろう。その間にわしが天下をとる。
それにな、西魏王の魏豹は領土を半分にされた不満から、わが軍にくっついただけだし、趙の陳余とて張耳のニセ首を届けたから協力しているのだ。そう強いことは言えんのだ。」
さようでございますか。」

『兵というものは手足のごとく動くものでなければならぬ。わたしなら五万もあればこの軍勢を打ち破れる。』
 韓信は漢王に仕える前は楚軍にいたので楚軍の強さを、よく知っていた。それだけに心配だったのである

斉の軍陣にて、項羽:

「なにっ、劉邦が彭城をめざしていると。」
はい、総勢六十万とも七十万とも言われております。
覇王(項羽)、すぐに楚に引き返すべきです。」
「ははは、また亜父(范増)の心配性がはじまったな。あんな劉邦になにが出来る。この斉の鎮圧もあと一歩だ。こちらを先にかたづける。」
彭城はなんとされます?
「九江王の黥布に彭城を守らせよう。黥布(げいふ)は病気と言って、ここに参戦しなかった。もう病気も治っていよう。出兵させよ。
これ、すぐにに使者を送れ。」
「はっ。」
 使者は黥布(げいふ) のもとへ走った
六」にいる黥布
「なにっ、覇王からの急使だと。要件はなんだ。」
漢軍が彭城にせまっているゆえ、彭城を守れと命じて来ました。」
なにい。わしは病気ゆえ、出陣できぬと前にも申したではないか。」
そうなのですが、今度はどうしても兵を出せと。
「病気だと言って、使者を追い返せ。」
はっ。

ご使者どの、九江王の病気は重く、とても出陣できる容態ではありませぬ。覇王さまに、そのようにお伝えください。
九江王さまがご無理ならば、九江王の援軍だけでも彭城に向けて下され。
黥布は王としての暮らしをもっと楽しみたいという気持ちと共に、項羽のやりかたに少し疑問を持ち始めていたのである。
『項羽は力だけが正義だと思っている。その在り方は昔の秦が武力によって諸侯をおどしたのと同じだ。
 これでいいのだろうか。』

 漢軍は楚に入った
諸侯はそれぞれが思い思いの場所に… … 陣を張り始めた。
おい、見ろ、あのかがり火を。
「なんとすごい数だ。」
なぜ、覇王さまは帰ってこられぬ。
我らだけで、あの大軍と戦えというのか。」
「まるで殺されるのを待っているようだ。」
「俺は逃げる。」 「おれもだ。」
「おれ達だけで戦えというのは無理だ。」
 恐怖にかられた城兵達は、夜陰にまぎれて逃げ始めた

翌朝、漢軍の攻撃が始まった。わずかの城兵で防げる数ではない。
彭城は、あっという間に落城した。
漢軍は城内になだれ込んだ。
 彭城には、項羽が秦より持ち帰った財宝が山とあった。
たちまち すざましい略奪がはじまった。
さらに、秦より連れてきた後宮の美女 三千がいた。兵士達はその女達にも襲いかかった

 劉邦は すでに天下を取ったような気持ちになり、連日、勝利の祝宴を開いた。
酒好き・女好きの劉邦には、まるで極楽のような世界であった。亭長時代の劉邦そのままであった。

」の陣営にて項羽:
「なにっ、彭城が漢軍に落とされたと。」
はい。
「黥布は病気でも、援軍は出せたはず。
   一兵も出さなかったのか?」
はい、城は あっという間に落ちました。漢軍は女を犯し、財宝を奪い、乱暴狼藉は目に余るものがございます。
「ぬうう、亭長上がりの劉邦がごときに城を落とされるとは…。」
亜父、わし精鋭三万をひきつれて、彭城奪回に向かう。斉のことは亜父にまかせる。」
わかりました。斉のことは、ご心配なく。
覇王さま、劉邦が油断できぬ男であることが、おわかりになったでしょう。今度は何がなんでも仕止めてくだされよ。
「おう、仕止めずにおくものか」
それから、漢軍の主力は彭城の東に張っており、西は手薄と見ます。西から攻めるのがよろしゅうございましょう。」
「わかった。」
 項羽楚の精鋭:三万をひきつれ、疾風のような速さで、彭城をめざした

(夜陰に、項羽軍は彭城に到着)

『なるほど、ほとんど東に陣を はっているな。』
申し上げます!
「おう、西はどうであった?」
はい、わずかの兵で、それも酒に酔いつぶれております。」
「そうか、亜父の言った通りだの。
    よし、西へ向かうぞ。」
 ド、ド、ド、ド、ド
覇王様、西の陣あれでございます。」
「なるほど。 みなの者、まず あの陣を蹴散らし彭城に入る。劉邦は必ず打ち取れ。」
 ド、ド、ド、ド、ド
うん?
 「な、なんだ?
  「わああ、敵襲だ。
 西の陣は大混乱となった
西の陣の兵士は彭城へ逃げ込んだ。
楚軍はその兵士達と共に、彭城になだれ込んだのである。
驚いて、飛び起きてくる兵士は… …声を上げる暇もなく切り殺された。

劉邦を探せ、やつの首を取れ。

漢王さま、漢王さま!
「なんだ、うるさいのう。」
楚軍が城内に攻め込んで参りました。
「な、なにっ。」
早くお逃げ下さい。間もなくここにも なだれ込んでまいりましょう。」
「わわわ。」
さあ、お早く東の陣へ逃げ込むのです。
  劉邦は、東の陣へ逃げ出した。

項羽「どうした、劉邦は見つけたか。」
まだ、見つかりません。
申し上げます、女に問いただしたところ、劉邦は少し前に逃げ出したそうにございます。」
「なにっ。よし、兵を集結させよ。
   東の陣に攻め入るぞ。」
「よいか、漢軍五十万といっても、一つ一つの陣には それだけの兵がいるわけではない。個々に撃破していくのだ。
黄河を渡り秦軍と戦った時、一人で十人の敵を倒したことを思い出せ。」
すでに空は白み始めていた。楚軍三万は五十六万の漢軍の中に突入していった。
楚軍は一つの陣になだれ込み、容赦なく切り殺した。
漢軍が敗走を始めると、次の陣へ突入していった。
 項羽の強さは、まさに鬼神のようであった。
河南王申陽などは、一撃で項羽に倒された。

 昼頃には大勢が決まった。
漢軍は なだれをうって敗走をはじめた。だが、
楚軍は追撃の手をゆるめなかった。
穀水シ水を渡って逃げようとした漢軍の十余万人は、そこで殺された。
山に逃げ込んだ漢軍も… …、楚軍によってスイ水に追い詰められ、スイ水に飛び込んだ。一度に十万人が飛び込んだため、スイ水の流れが一時、止まってしまった。
 ここでも漢軍は矢の雨をあび、無数の死者を出した。
  みるも無残な敗戦であった。

 ・・・ 一部 割愛 ・・・
 その頃、名将韓信は敗走兵を集結させていた。韓信の心配は的中したが、指揮できぬ軍勢では、韓信は何も出来なかったのである。

 劉邦は項羽と戦って 七十二敗し、最後の一戦で勝利を得た。それゆえ人々は劉邦を百敗将軍とあだ名した。
それにしてもスイ水の敗戦は、劉邦の最も無様な敗戦であった。

【第40話】韓信 の背水の陣
 劉邦は五諸侯を味方にし、五十六万という大軍で東進を開始したが、わずか三万の楚軍に撃破され、命からがら榮陽城に逃げ込んだ。
間もなく、敗走した漢軍を集めて、韓信も榮陽城に入ってきた。
どの兵士もみじめな姿で、惨敗のひどさを物語るものであった。
「のう、韓信上将軍、項羽は勢いに乗ってここに攻めて来るぞ。咸陽に引き返えそうか?」
いいえ、東進をするための拠点としても、ここは必要でございます。
 ここは守るべきでございます。」
「しかし、榮陽城は要害でもない。あの楚軍の勢いでは、たちまち落とされるぞ。そうなれば全員、生き埋めだぞ。」
項羽は斉にも軍勢を置いていますので、攻めてくるとしても、全軍ではありませぬ。
このあたりは平地が多うございます。戦車戦に持ち込めば楚軍といえども撃破できます。」
「勝てると申すのか。」
平地では戦車戦が一番有利です。急いで戦車を増産して下さい。」
「よし、わかった。兵を動員して戦車を作ることを許す。」
はっ。
 兵士達も楚軍の恐ろしさを身を持って知ったので、懸命に戦車を作った

申し上げます。項羽がひきいる楚軍が現れました
「来たか。どのくらいの兵力だ?」
およそ十万と思われます。」
「 十万?!!
韓信、ついに項羽が現れたぞ。それも十万だ。大丈夫か?」
ご心配なされますな。すでに備えは出来ております。
では、ただちに出陣いたします。」
「う、うむ。 た、たのむぞ。」
蕭何はやつを「国士無双」といって推挙した。今はあの男が頼りだ。』

「諸将よ、ついに項羽が現われた。そちたちは指図しておいた通りに動いてくれ。」
はっ。」「はっ。」「はっ。
「念を押しておくが、楚軍とは適当に戦い、敗走するふりをして指定の平地まで引き連れてくるのだ。
よいか、ここで必ず項羽を討ち取るのだ。失敗は許されぬぞ。」
「わかりました。」
 韓信は諸侯に言い含めると、わずかの供をつれて、榮陽城(けいようじょう)を出た。

「覇王(項羽)さま、榮陽城にございます。」
「ふふふふ。あんな城、三日もあれば落とせる。」
「うん?」
城から兵が出て来ました。」
「はははは、漢軍はあれほどひどい目に合いながら、まだ命知らずが残っていたようだな。
よし、皆殺しにして漢軍の戦意を削いでしまえ。」
 すぐに楚軍の先陣が飛びだした。
たちまち乱戦となった。項羽も名馬「烏スイ:カラスのような真っ黒い名馬」に乗り、戦場せましと駆け回った。
たちまち漢軍は総崩れとなった。
「一兵も逃がすな。臆病者の劉邦め、それを見たらあわてて降伏してくるわ。」

 この時、漢軍は城へ逃げ込もうとしなかった。
だが、楚兵は勝利に酔って、それに疑問をいだかなかった。
気が付いた時には、広々とした平地に出ていた。

うん?」「戦車だ。」 ・・・

「よし、かかれ。」と韓信、
「しまった、罠だ!」と項羽。
戦車は左右から楚軍に突入していった。
 一台の戦車のあとには、四、五十名の歩兵が続くものである。
戦車には御者と射手と、長いげき:の事)を持った兵士三人が乗り、敵の中に突入していく。
敵が算を乱したところを歩兵が襲うのである。平地では、この戦車戦は大きな威力を発揮した。
今まで逃げていた将軍は戦車の突入を見て向きを変え、反撃に出た。
「矢をあびせよ。」
 楚兵はバタバタと倒れた。
 形成は一気に逆転したのである。
項羽の運命もこれまでかと思われた。この時、後陣の楚軍がかけつけてきたのである。項羽はかろうじて窮地から脱出した。
この手痛い打撃で項羽は いったん彭城に引き返すことにした。
項羽にとっては初めての敗戦である。

ところ変わって榮陽城
申し上げます。ただいま入った情報によりますと、項羽は斉の田広斉王と認める条件を飲んで、和議を結んだそうにございます。」
「な、なに、斉が和議だと。」
そればかりか、趙も西魏も和議を結んだとか。」
「な、なんだと。」
趙の陳余は張耳どのの首がニセ首であることを知り、楚と和議を結んだそうでございます。」
「あの首がニセ首と見破られたのか。」
「しかし、魏豹はなぜ楚と和議を結んだ。項羽に領土を半分に削られ恨んでいたはずだ。」
おそらく スイ水の合戦で、項羽が恐ろしくなったのでございましょう。」
「しかしそれはまずい。そうなれば項羽は漢に全軍を投じてくるぞ。
  酈食其(れきいき)、」
はっ。
「そなた、魏豹を説得に行ってくれ。魏豹は項羽に好感は持っておらぬ。説得すれば気持ちを変えてくれるであろう。」
わかりました。
 酈食其(れきいき)は漢の説客である。彼はすぐに西魏の首都:平陽へ向かった。

魏豹「漢のご使者、どのようなご用かな。」
酈食其(れきいき)「あなた様は漢王に降伏し漢王に忠誠を誓いました。ところが今度は楚と和議を結び、楚に忠誠を誓ったと聞いております。これが事実なら裏切りではありませぬか。」
「たしかに項羽のやり方は好かん。しかし裏切るとか裏切らぬとかは国を守るために誰もがやっていること。それほど恥じることでもあるまい。」
すると、西魏王さまは、漢王では天下は取れぬとお考えですか?
「その通りだ。スイ水の合戦で漢王の正体を見た。斉であえ楚軍相手に頑張っていた。それに比べ漢軍はたった三万の楚軍に半日で総崩れだ。しょせんは亭長上がりの王、天下は治められぬ。」
しかしあれは混成軍であったため、指揮がうまくいかず、混乱を起こしての敗戦でございます。項羽はそれを知っていたから、個々に撃破していったのでございます。
漢王だけの責任とはいえません。」
「たしかに団結力がなかったことはわしも認めよう。だがのう、
人間、肌に合う人間と、肌に合わぬ人間がいる。
わしは漢王とは肌が合わぬ。」
どういうところでございます?
「漢王は粗野で下品で礼儀知らずだ。成り上がり者の王閉鎖だけが鼻につく。あんな人物に下につくのはいやだ。
覇王のやり方も高官はもてぬが、漢王の態度はもっといやだ。
 漢王にそうお伝え下され。」
さようでございますか。

榮陽城に帰ってきて、劉邦:
「なにっ、魏豹がそのようなことを申したのか。」
はい。」と、酈食其(れきいき)
この時ちょうど、韓の張良が訪ねて来ていて、「くすっ。」と笑った。
張良何がおかしい。?」
これは失礼いたしました。しかし魏豹もこれだけ正直に申すとは… …
「なにっ、わしは下品で礼儀知らずか。」
魏豹は魏に公子です。公子の目からすれば、そう映るかもしれませんな。でも、そのようなことは月日があれば直せることです。」
「・・・。それで魏豹をこのままにしておくのか?」
いいえ、魏を討ち、趙を討つべきです。さらに、燕も斉も討てば、楚 包囲網 が出来上がります。
韓信上将軍ならば、やれるでしょう。榮陽城に迫った楚軍を打ち破った作戦など、見事としか言えませぬ。」
「うむ。 これ、韓信を呼べ。」
漢王さま、敬意を払って、韓信上将軍とお呼びなされませ。」
「これ、韓信上将軍をこれへ… …。
   あ、それから張耳も呼べ。」
張良は韓の宰相である。項羽の決めた論功行賞後、韓に帰っていた。だが、その後、韓王成は謀反の罪で項羽に捕らえられた。その原因は、劉邦が秦打倒で南路から進んだ時、張良がずっと側にいたことである。
項羽の亜父の范増は劉邦を漢中の僻地に送り込んでから、に罪をきせて処刑したのである。
范増は、劉邦が事を起こした時、まず最初に味方するのはであろうと、考えたのである。
張良は韓王の葬儀をすませると、宰相の職を辞して、ふらりと旅に出た。
 張良という人物は、秦によって韓が滅ぼされた時、始皇帝暗殺をたくらんだ男である。だから、冤罪で韓王成を処刑した項羽も許せなかった。
諸侯の考え方をさぐり…、劉邦にそれを伝えていたのである

「おう、韓信上将軍、魏と趙とが同盟を破り、楚についた。そこで そなたに討伐を命じる。
だが、楚はこれからこの榮陽に向かって全軍を投じてこよう。ここの守りのため、多くの軍勢はさけん。
 どのくらいの軍勢が必要か。」
三万の軍勢をお与え下さるならば、やってみせまする。
「三万は、ちと多い。一万五千で、どうじゃ。足りぬ分は、各地で募集いたせ。」
ならば、そのように致します。
「おお、そうしてくれ。そうしてくれ。
ところで、張耳…、いや、常山王張耳どの、そなたは趙に対して恨みがあろう。」
はい、陳余の不意打ちにより、わが一族の多くが殺されました。恨みは多うございます。
「そなたは趙の地形にくわしい。韓信上将軍の副将としてついていけ。趙を落とせばそなたを趙の王に封じる。」
それがしを趙王に!
「一族の仇を討ち、趙王になれるのだ。異存はあるか。」
異存など、とんでもございませぬ。機会を与えてくだされたことを感謝いたします。
 韓信は一万五千の漢兵を率いて北伐に向かった。

平陽にて
「なにっ、漢王がわしを討つために兵をだしたと。それで兵力はどのくらいだ。」
はい、韓信を上将軍に、およそ三万とのことでございます。
「はははは、軍勢は常に誇張して多めにいうものだ。せいぜい二万もいまい。
あんな弱い漢軍に何ができる。わが魏は今は小国になったといえども、漢王ごときに大きな顔はさせん。
わしが直々に出て撃退すれば、覇王(項羽)も、わしを見直すであろう。
 すぐに出陣だ。」
「はっ。」
 魏豹は十万の軍勢をひきつれ平陽から発進した。そして安邑(あんゆう)を本陣とし…、黄河の東岸:蒲坂に布陣し、臨晋からの渡し場をふさいだ。
 韓信は臨晋にまで進み、その西岸に布陣した。無数の旗を立て、いつでも渡河できるよう船を並べた。
「韓信大将軍、これでようございますか。」
「うむ。
 少し敵の布陣の様子を見てみよう。」
「はっ。」 ・・・
「だいぶ広範囲に布陣しているな。」
「はい。」
『西魏の軍勢はほとんどこの蒲坂に集結している。』
  ・・・
「みなの者、木おう(木のおけ)を出来るだけ集めよ。」
木おう(木のおけ)?
「知らぬのか、どの民家にも一つや二つ置いてある木のおけだ。」
そんなものを集めて、どうなされるおつもりです?
「いずれわかる。明日、すぐに集めさせよ。」
はっ。」 「はっ。」
 翌日、兵士達は木のおけ集めに走った。そして五千ばかりの大きな木のおけ:木おうを集めてきた。
「よし、馬車に積み込め。道中でもっと集められるだろう。」
道中?
どういう意味でございます?
「ここには留守部隊を置き、本陣は黄河にそって北上する。」
えっ」 「えっ?
「敵軍に気づかれぬよう、密かに荷造りをいたせ。」
「はっ。」

「よいか。留守部隊はわれらが移動したことを気付かれるな。夜は今まで通り、赤々とかがり火を焚いておけ。」
 こうして韓信はこっそりと臨晋をはなれた
韓信は黄河にそって北上した。
道中、大きな木のおけを集め続けた。
そして、百四十キロ北の夏陽に着いた。
よし、その木のおけを十二か十六くらい合わせて縦横に結びつけよ。
その上に木か竹で格子を作って木のおけの上に乗せよ。足りなければ槍を使ってもよい、このように格子状に。
「この上に板や枝をのせれば、人は充分に乗れる。これを船がわりとする。」
「では、これで黄河を渡河なさるということですか。」
「そうじゃ。早々に作業にかかれ。」
 たちまち木のおけの筏(いかだ)が作られた。
こうして韓信は、黄河を渡った。
対岸はまったく無防備であった。
そして、安邑の西魏の本陣に襲いかかった。

な、なにっ、漢軍だと。

     どこから現れた?
わ、わかりません
ええい、戦えっ。蒲坂に早馬を飛ばせ。
だが、本陣はわずかの警備兵だけ魏豹は、あっけなく捕らえられ、西魏は降伏した。
漢王は西魏王を自軍に編入して榮陽の守りにつかせ、魏豹の王位を剝奪(はくだつ)し、庶民とした。

 韓信は趙に進軍を開始した
太行山脈を越え、河北平野で趙を破るつもりである。

韓信井ケイにさしかかった。ここを通過して河を渡れば井ケイの平原に出る。
だが井ケイの山道は、馬も二頭が通れるほどの狭い隘路(あいろ)であった。だが、井ケイの平原に出るには、この道しかなかった。
韓信『ここで敵におそわれたら、ひとたまりもない。』
「よし、ここに陣を張れ。それから、
 間者を送り、趙の様子をさぐれ。」
間者は農民や商人に化けて、井ケイへと下った。
韓信は、けっして無理な戦さはしない人物だった。用心深く間者の報告を待った。

 一方は、王や成安君陳余、名参謀といわれる広武君:李左車(りさしゃ)が、二十万の兵をひきつれ、井ケイの城で待ち受けていた。
「趙王さま、漢軍は井ケイの入り口まで来たそうです。
あの細い隘路(あいろ)を通る時、漢軍は糸状になります。おそらく兵糧部隊は後方から続くでございましょう。
それがしに三万の兵をお与え下さい。間道をつたって背後の兵糧部隊を襲います。
いかに韓信が名称と言われても、兵糧なしでは戦えませぬ。あとは前後から攻撃を加えれば、あの山道で漢軍を殲滅(せんめつ)できまする。」
李左車(りさしゃ)殿、待たれい。」
陳余将軍、なにか異存でもございますか?」
「漢軍は三万という。しかし誰も軍勢は多めに宣伝するもの。実態はもっと少ないものでござる。こちらは二十万もの兵がいるのです。奇襲などもっての外でござる。」
「はて、漢軍が井ケイの隘路(あいろ)を通るのは、天が与えた好機と思いまするが。」
「敵がわずかなのに奇襲をして勝つなどしたら、趙は諸国の笑い者になりますぞ。それほど趙兵は弱いのかと思われ、平気で侵攻するようになる。
趙王さま、ここには二十万もの軍勢がいるのです。正々堂々と戦わなければ、趙は天下の諸侯にあなどられます。」
陳余将軍の申す通りじだ。堂々と戦おう
 この話を城内に入っていた間者は聞きつけた。韓信に報告した。

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