X・・ヨーロッパ縦断・自転車 ・・「僕の前には道はない」

2009年12月16日 (水)

カプリ島に来てしまった。----(写真追加)

 眠かった。安上がりだとは言っても夜行列車は疲れるし、充分な睡眠は取れていない。身動きできないほどの交通渋滞に飽き飽きして、王宮前の公園ベンチで仮眠を取った。「どこか静かな所でゆっくりしてみたい」と思っている内に、衝動的に船に乗ってみたくなった。
 大きな観光船が出入りするナポリ港は、すぐ近くにある。これまでケチケチしてきた反動で、宏はジェット高速艇に乗り込んだ。当時1000リラ≒80円で、片道 2400円。 自転車持ち込みのために、2人分の券を買わされてしまった。
 ナポリの近くに"ベスビオ山"がある。一瞬のうちに古代の都市ポンペイを滅ぼしてしまったというその山を、海から眺めてみたい。
島からはソレントに回り、そこから海岸線に沿ってポンペイの遺跡に立ち寄りながらナポリに帰ってくるという"にわか計画"だった。
 生憎(あいにく)と薄雲が出ていて、ベスビオ山はクッキリとは見えなかったが、世界的に有名な観光地を結ぶ高速艇の中である。案内書通りの眼を見張るような美人、スクリーンから抜け出して来たかのような ソフィアローレン張りのセンスの良い女性が、長い金髪を風になびかせていた。

 到着した島は"カプリ島"であった。小さな絶壁の孤島が近づくに連れて、『えらい所に来てしまった。』という自責の念にかられた。『このまま引き返そうか?』とも思った。
 自転車とは無縁の島ではないか、という"恐怖"が背筋を走ったのだ。
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 まあ、せっかく来たのだからと思い直し、一泊して帰ることにした。
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6月21日、 柔らかなベッドの上で目が覚めた。ナポリ近くにあるカプリ島のガトビアンコ(Gatto Bianco:白い猫)というホテルだ。年齢相応で、分不相応なホテルであった。そもそもが、島に渡ろうなんて思いつきで、切符を買ったのが間違いの始まり。自転車持ちなので2倍の料金を払い、ジェット高速船に衝動的に乗ってしまった。

『そのまま引き返すのはシャクだからと泊まったのがこのホテル。島の中腹に位置するこの有名なホテルは、島住民の誰もが知っていた。本日この島には、日本人は私だけだろう。とにかく眠かった。昨夜は夜行列車であり無理からぬ。島の坂を登った疲れもある。随分と暑い日だった。

『夕方、ごそごそと洗濯などを始めたが、陸に上がったカッパ同然で身動きが取れない。元々が自転車の無い(?)島なのである。タクシーとバイクが幅を利かせて走っている島。小さな島のくせにフニコラーレ(登山鉄道)が港と岡の上とを結んでいる。』

しかたなく今日は自転車を置いて、歩くことにした。

両手がしびれている。むくんでいる。毎日の振動で、自転車もカメラも相当の衝撃・衝撃を受けているのであろう。 とうとう日本から持ち込んだタバコが切れ、Marlboro を購入した。島のタバコ屋は少なかった。タバッキーと呼ぶらしい。

『ヨーロッパに来てほとんど見かけなかった散髪屋が目に留まった。イタリア北部で一度、本格的に探したが見つからず、あきらめていた散髪だ。"散財"ついでに入った。
 意外に安かった。(1600円位)。鏡に映る明るい海を眺めながらのヘアーカット。ここの散髪屋のおじさんは英語が話せた。』

 夕食を簡易レストランで済ませ、宏は島の端までぶらついてみた。"端"というのが300メートルはあろうかという絶壁であり、その絶壁にへばりつくように取り付けられた道だ。遥か下方にエメラルド色の海が見え、歩いていても少し恐い。
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 夕日は沈みかけていて島に灯がともり、綺麗な夜景に変わっていった。
13夜(いざよい)の月が出ている。
思えば満月の日に旅を始め、次の満月の日に終える。宏に取っては長い長い旅であった。
 充分に旅を満喫できたチャージ休暇であった。

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2009年12月15日 (火)

ソレント・ポンペイ・ローマ(写真付)

「それからどうしたの。ソレントへ渡ったんでしょ?
「そう、次の日の朝早く島を抜け出して、ソレントに回って行った。母さんたちも確か、ソレントには行ったんだよね」
「一晩泊ったのよ。カンツォーネをオペラ劇場で聞いた。すごい迫力だった!」
「僕は通過しただけ。でも、港は特徴があって、それなりに良かった。街は絶壁の上にあるんだよね。町から港まで、長い長い溝のような下り坂があって、ちょっと面白い雰囲気だった。」 ・・・、

カプリ島で散財してしまって、手持ちのお金(リラ)がほとんど無かった。万一のために持っていたドルで、ホテルの支払を済ませようとは試みたが、
「あなたは昨日の交換レートを知っているか?」
「いいや、知らない( "リラ"と"ドル"の交換レートなんか、毎日宏が見ている訳はない)。」
「銀行で替えた方が賢明ですよ」と言われ、船賃だけをわずかに残してリラを使い切っていた。銀行を探し当てての"交換手続き"である。
「どこから来たのか?昨夜どこに泊まっていたのか、書きなさい」
「どこって、島から来た。ウーンと、カプリ島だ(すぐ名前を忘れてしまう)」
どこに泊まっていましたか?」
どこでもいいじゃないか、と思うぐらいにしつこい。まるで尋問である。
ホテル名は、白い猫という意味であったことは覚えている。もっとも白い猫の代わりに、朝食時に"黒猫"が足元を走っていたが、。
「ホワイトキャットだ。ホワイトキャット」
「 ? 」
「有名なホテルがあるんだ。そこに泊まった。ウーンと、ガット(=キャット)・・、そうだ。ガトビアンコ」
 真黒に日焼けして風体の良くない宏が、前夜泊まったホテル名を思い出すのに苦労しているのを見て、周囲の人達が笑っていた。
 お陰でこの"ガトビアンコ"というホテル名は一生忘れられない名前となった。
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 ソレントからナポリまでは約80キロある。海岸沿いの曲がりくねった道は、ゆっくりとした登り坂で、かなり高い絶壁の上の町"ソレント"は段々と低くなり、遠ざかって行く。
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海の色を含めて仲々の絶景であった。

 ポンペイの遺跡 は、ソレントとナポリの中間地点にある。その日はよく晴れており、進行方向にベスビオ山が見えてきた。その山に向って走る。休息も十分であり、久しぶりに気持ちの良い汗が流れ出る。

 遺跡内には自転車は持ち込めない。駐車場に自転車を預けて入場し、4時間ぐらい歩き回った。『 なるほどこれが、有名な(悲劇の)ポンペイの遺跡か 』 隅々まで見て回った。轍(わだち)の跡はあまりに深く、どうしてそんなになるまで修理しなかったのか不思議であった。野外劇場跡は敷石の色も鮮明で、古代世界の想いが漂っている。

 ドイツの修学旅行生であろうか、男女混合で20人位がその野外劇場の石段に座り、ふざけ合っている。
その内に、一人の女の子が皆に奨められる格好で中央に進み、プリマドンナを演じる。
仲々の声量で、即興にしては上手過ぎた。
 皆にまじって宏も拍手を送った。

一瞬にして死の町と化したポンペイ! まだ発掘中の場所もあり、規模の大きさに唸らされる。発掘遺体も数体展示されており、生々しさは恐いくらいであった。
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 ポンペイからナポリまでは石畳の道が続き、
渋滞がどんどん酷くなっていく。排気ガスも酷い。それでも宏は自転車で良かったと思う。あれがバスなら、まいってしまうだろう。自転車の旅は自由そのものであった。

翌朝、昼前にナポリを発ち、ローマのテルミニ駅には3時頃、到着した。駅の近くに宿をとり、半日ばかりのローマの休日を楽しむ。もちろん、有名なスペイン広場も、サンピエトロ広場も訪づれ、コロッセオ、フォロロマーノ、バラティーノの丘も見て回った。
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規模の大きさには"びっくり"。 こんな文明が紀元前に起こることも驚異だが、その強大な帝国が滅んでしまう歴史の流れも不思議なものだ。

 ローマの交通事情は良好であり、10時過ぎまで自転車で動き回って、ヨーロッパ最後の夜を満喫した。
共和国広場では、あるレストラン専属のバンド演奏が行われていて、広場中央の噴水のほとりで、宏はいつまでも聞き入っていた。

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2009年12月14日 (月)

ナポリ・サンエルモ城・卵城・サンタルチア

 宏の両親は十数年前にヨーロッパ旅行ツアーを楽しんで来ている。その母が久々に田舎に帰って来た宏に話しかける。
「宏ちゃんが送ってくれた日記は面白くて、3回も読み返したよ。最初はざっと、その次はじっくりと読んでみた。3回目はお父さんが地図を出して来てくれたので、二人で地名を探しながら、ここかな?あっちかな?と、確かめながら読んだわよ。」
「3回も読み返してくれたの?そりゃあどうも有難う。疲れたでしょう」
「下手な小説よりもはるかに面白かったわよ。自分の息子が行って来たということもあるし、私らもヨーロッパ旅行をして来ているでしょ。特にスイスの山越えをしていく辺りの情景は良く分かる。私らは登山電車だったけど、本当に山肌にへばり付くようにして登って行くんだよね。もし元気だったら、もう一度、行ってみたいけど、もう駄目だよね」
「そんなことないよ。電動の車椅子でも買って、遊び回ればいいじゃないの」
「・・、ところでローマやナポリにもいったんでしょう、私らもいったけど」
「うん、行ったよ」
「旅日記では省略してあったけど、その時の話をしなさいよ。ピサ駅前から夜行列車に乗ったんでしょ。あれからどうなったの?」
「あれから夜行列車に乗り込んだんだけど、特急寝台列車なので、自転車を置く場所がないんだ。切符を買う時に自転車を持ち上げて「これを持ち込むよ」と言ったんだけど、駅員がひどく怒った顔をして、何やら喋ったんだ。・・、」

 何となく駅員が、「それをおれたちに運んでくれというのか。自分で運べ!」と言ったように思った。
切符はくれたし、別料金の請求もされなかったので、それ以上にこだわるのは止めた。
その寝台列車は、ひとつのボックスに3人並んで眠れるようになっていた。
他の二人が気軽に許してくれたので、自分の足元に自転車を置いて眠ったが、ちょっと窮屈ではあった。
 4時間ぐらいは寝たのだろうか、明るくなって目が覚めた。

 特急列車は停まる駅も少なく、猛烈な勢いで朝もやの中を飛ばしている。
通路に自転車を出してタバコをふかしていると、たまに人が通る。
その度に自転車を片寄せながら、申し訳なさそうな顔をふるまっておいた。
朝の6時過ぎに、その列車はナポリ駅に到着した。天気の良い日であった。
自転車をバックから取り出して組み立ててはみたものの、「さて、これからどうしたものか」と思案顔。予定がないのであった。
 ナポリ中央駅前は非常に長く広がっており、まだ、眠りの中にあった。
『とりあえず朝食だ。それから海岸に出てのんびりしよう。』
 ゆっくりと動き出した。

 カプアナ門の近くで、コーヒーとパンを腹に収めた。
段々と人や車の往来が激しくなってくる。
そのデコボコした石畳の道を、南西へと進む。
ニコラアモーレ広場、ボヴィオ広場を経由し、ヌォーヴォ城、サンカルロ歌劇場前を通って、王宮前に達した。
 王宮前広場付近は大改修工事の最中で、動くこともままならない様子だった。
「ナポリの交通渋滞は半端じゃない」と聞いてはいたが、東京の比ではない。
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小高い丘の上にあるサンエルモ城
は、王宮前広場からもよく見える。
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海岸に出た。歌で有名な、サンタルチア港である。その小さな港の向こうに卵城(Castel dell’Ovo)が、朝日をいっぱいに浴びながら、どっしりと構えている。海に突き出た城であり、懐かしいサンタルチア港を懐に抱え込んでいた。
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 城の門は衛兵で固められていた。 穏やかな朝だった。卵城に渡る橋の近くで、父と子が素潜りで貝を取っていた。宏はしばらくの間、その風景をただボーっと眺めていた。 地元の老人が、「その貝を売ってくれ。いくらだ?」と交渉しており、見ていて面白い。

 その老人が宏を手招きする。ついて行くことにした。
卵城には入らず、その横にある路地裏に、どんどん導かれて行く。
夕方には賑わうであろうその路地裏も、今は朝の準備中で、自転車を押す東洋人の男(宏)と、地元の御老人との散歩は人目に付いた。(奇異な目で見られて少し恥ずかしかった)。

 そんなことにはお構いなしで、老人は手招きを繰り返したり腕を引っ張ったりしながら、宏を連れ歩く。レストランの中庭や堤防伝いにも歩かされた。
イタリア語なのでよくは分からないのだが、何となく、
「ここで自分の息子が働いている」だとか、
「娘が勤めている店」だと喋っているのように思えて、適当に相槌(あいづち)を打ちながら付いて歩く。
 ヨットがたくさん停泊するサンタルチアは、小さな港ではあったが、歌にあるそのもので、明るく眩しかった。

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2009年12月10日 (木)

旅の終わり(前篇完)

ナポリからカプリ島に向かう高速艇より、後方ナポリを見ています。Photo_26
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色が変なのは、フィルムの画質のせいかな?
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ベスビオ火山の裾野、ポンペイの遺跡の中、円形競技場跡。ちょっと眩しかったようです。



ポンペイの遺跡のワンショット1_4
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思い出の一枚です。レマン湖からブリッグ目指して走っています。後方に雪山が連なっています。ずーとこんな景色!

 宏はその後数日を、ナポリ・ローマ辺りで過ごした。 観光の島"カプリ"で少し贅沢してみたり、散髪したり、ソレントからナポリへの途中でポンペイの遺跡に立ち寄ったりしながら、日程調整し、予定通り 6月24日朝、ローマ発ブリュッセル行きの飛行機に乗り込んだ。

窓側の席に座って外を眺めている。 飛行機は一旦海上沖合いに出、それから海岸線に沿って北上を始めた。 空は雲ひとつない快晴で、いくつかの島も海岸線も、まるで航空写真のごとくに、くっきりと見渡すことが出来た。

後ろにベルギーの娘さんが座っていて盛んに歓声を上げ、宏に話しかけて来た。フランス語はあまり良く分からないが、こちらは英語で感動をしゃべる。 お互いに窓の外を見つめながら!感嘆!の声を上げている。

見たことのあるような海岸線が現れて来た。 大きな半島が海に向かって突き出ている! 宏が苦労して越えたラスペチア付近の海岸だった。 「 飛行機は現在、ジェノバ上空を飛んでいます」と、機長のアナウンスが入る。

その通りであった。 この海岸線を走ったのだ。 このアペニン山脈を越えて来たのだ。 向こうの方に大きな湖が、幾つか見える。 イタリア北部の湖であり、そのほとりを走った記憶が蘇(よみがえ)る。 高い山々、雪山が現れる。

『 アルプスだ!』 入道雲が巻き起こり、山々の立体感を増している。視界を妨げない適度な雲であり、遠くの谷深くまで見渡せる。 宏は機内雑誌の航路地図を広げてみた。『 ローマ・ブリュッセル間を結ぶ航路からすると、そろそろ"レマン湖"の上空に差し掛かるはず・・』 と思っている内に、特徴あるV字形の谷が 現われてきた。 谷に沿って道路がくっきりと識別できる。幅の広いのが高速道路、並行して走っているのが、宏の走った一般道路だ。

また機長のアナウンスが入る。「ただいま我々はモンブラン上空を飛んでおり、まもなく本機は、ジュネーブ上空に差し掛かります。この湖はレマン湖 ・・・ 」

期待もしていなかった事だが、その飛行機は上空1万メートルの高さより 素晴らしく澄んだ好天の下で、宏の走ったスイス・イタリア間のコースを見せてくれた。 偶然とは とても思えなかった。『何か大きな力が働いて、大自然が自分にプレゼントしてくれたのではないか』 と 思った。

ジュネーブからはフランス上空を飛び、ライン川 こそ見えなかったが、それでも小さな家々、街、森、畑・・と、上空からの景色は存分に楽しめた。 『 つくづく自分はラッキーな男だ。』 と思った。

ブリュッセルであわただしく乗り継いで、今、宏は成田行きの飛行機の中にいる。隣には「目白に住んでいる」という年配のご婦人が眠っている。 ガタガタと、ひどく揺れる飛行機だ。 出発も30分以上遅れた。ふと、自分の自転車の事が気にかかる。

『 ブリュッセルで首尾良く、この飛行機に"積み替え"られたかな?』 またガタガタと大きく揺れ、隣のご婦人も目を覚ましたようだ。急にシートベルト着用のサインが点灯し、ちょっと周囲が ざわつき始めた。 アナウンスがあった。しかし宏は、自分でも不思議なほどに落ち着いていた。

もう何が起こっても満足である。が、出来る事なら、許されるなら、無事に日本に帰り着きたい。」 最後にそう書き留めて、日記と撮り終えたフィルムをビニール袋に仕舞い、少し膨らませたままチャックを閉じた。それをウエストポーチに納めてから、おもむろに前傾姿勢を取った。
 耳がツーンと鳴った。 (前篇 完)

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2009年12月 9日 (水)

イタリア ピサの斜塔(写真)

 暖かい夕暮れ の駅前広場。 宏はベンチに腰掛け、ナポリ行きの夜行列車をぼんやりと待っている。満足感はあった。充分な達成感に満たされていた。出発時間には まだ5時間以上あり、引き返して"ピサの斜塔"のそばで過ごすことも可能であった。
しかし、それはしなかった。
引き返さなくてもその情景は眼に焼き付いていて離れなかった。それほど強烈な印象を 白亜の寺院 から受けていた。
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 斜塔は
予想外に大きな建物であった。それが天に向かって斜めにそびえ立っている。それだけではなく建物は他に2つあり、それらが一体となってこれまでに見たことのない形の白く美しい寺院を形成している。

そこで2時間近く過ごしたのであるが、飽きなかった。写真も沢山撮ったが、キツネにつままれていたような気もする。
今行ってみたら「消えて無くなっていた」というようなことが起こりそうにも思えて、引き返さなかった。

 自転車はすでに折り畳んでバックに仕舞い込んでおり、リュックが一つ側にある。
付近にはベンチが幾つかあって、列車を待つ人々がイラつく様子もなく、過ぎゆく夕暮れを楽しんでいる。
 宏の横にも何人かの人が、入れ替わり立ち替わり座ってくる。
どちらからともなく話は始り、ピサの良さ、旅の良さ を語り合う。
自分の出身地の話をしていく。
 そして時間が来ると、"さよなら"をする。

 一人に戻るとまた思い出にふけったり、日記を取り出して何か書き留めたりしている。
『 意外に早く時間が経って行く。日本から持ち込んだタバコの残りが少ない。あと一箱あるだろうか?』 この3本が最後かもと思いつつ、ヨーロッパを汚すまいという信念で捨てないでケースに保持していた"吸いくさし"4本を取り出した。"しけモク"だ。
こんな事を書いている最中に「一本くれ。」と言う中年のおじさんが来た(多分乞食である)
身なりは悪くないので「やろうか」とも思ったが、なにせ残りわずかだ。
笑いながら、"吸いくさし"の並びを指差して『オーノウ( OH NO!)』のジェスチャー。
 タバコ吸いも困ったものである。
『 自転車を愛する人の多くは、タバコは良くないという信念を持っておられるようで、私のようなヘヴィースモーカーは少なかった。それでも段々と吸う本数が減り、一日10本程度までに減った。止めればいいのに、とうとう"ピサ"まで来た。まあここまで来れたのだから、タバコも「よし」としようか。』

 退屈はしていなかった。旅の満足感に浸っていた。 水は噴き上がってはいなかったが、大きな噴水が正面に見える。そのほとりで(彼女達も夜行列車を待っているのであろうか)、中学生20人位が、歌ったりしゃべったり、動物の鳴き声をまねてふざけ合ったりしている。
 その明るい笑い声は、ピサ駅前の雰囲気によく溶け込んでいた。

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2009年12月 8日 (火)

憧れの”ピサ”へ続く道

 ラスペチアには寄らなかった。 ホテルでもらった観光案内地図によると、宿泊地点の峠は、海岸からかなり離れている。
もう峠を上り下りするのはコリゴリであり、川沿いに真っ直ぐ"マッサ"の町を目指すことにした。
 マッサの町の その向こうが、夢にまで見た"ピサ"の町だ。まだ雨は残っていたが、早めに出発!
"吊り橋"があり、"古い橋"があり、
通行止めの橋の横に大きなセメント管を並べただけの"特設の橋"があり、
その上を通って、ズンズン進む。
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人家が増えて来た。
車の数も増えて来た。 大理石の石切り場があるのか、あちらこちらに大きな石を集積した"石置き場"が目に付く。 立派な"お城"も沿道近くの丘に、幾つかあった。 この辺りは観光コースから外れているらしく、ダンプカーの方が乗用車より多い。

 貧しい地域なのであろう、乗用車のなかでも、軽自動車が目立つ。 日本では見かけなくなった三輪車が何台も走っている。懐かしい気持ちにもなり、後ろを押してやりたい気持ちにもなる。

 マッサの町近くで、ミラノから続いている高速道路と並走するようになった。 この高速道路は、ここに来るまでに何度も見かけたものだ。宏の登っている峠道のはるか下方を、トンネルを連ねて走っていた。 今は恨めしくは思っていない。 苦しかった昨日の出来事も、既に思い出の1ページと変わっている。

 距離計を付けていないので正確には分からないが、2500キロは走って来た。朝から晩まで走り続けてきた。アムステルダムで都会は嫌いだと思って以来、毎日毎日、大自然の中を走って来た。人々の素朴な心に触れて来れた。今日の夕方にはピサの町に着く。 ガリレオと逢える。ガリレオが大小二つの鉄球を落として見せた建物と逢える。
『 期待は落胆を生み、偏見は不幸を生む 』とは分かっていても、"ピサの斜塔"を思うとき、ワクワクしてくる気持ちを抑えられなかった。
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宏は今、20代の青年そのものであった。
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急に車が増え道路も複雑になって来た。道路標識を見失って高速道路に入りかけ、あわてて引き返してきて地図を見ながらウロウロ、キョロキョロしている。
『 どうも良く分からない』。
街角で信号待ちの車の窓ガラス拭きのアルバイトをしている青年達が数人"たむろ"していた。
他に尋ねる相手も見当たらず、ちょっと雰囲気は怪しかったが聞いてみた。
「あんたが進もうとしていた道はグニャグニャと込み入っていて、遠回りだ。引き返してあっちの道を走れば23キロ位で、ピサまで行ける。」 盛んに説明してくれる。しかし、
「それは自動車専用道路の話ではないのか?自転車では通れないのではないか?」と、宏はグズグズしている。その青年達はなにか早口でしゃべり合っていたが、急にその一人が原付にまたがり、エンジンをかけた。
「案内する付いて来い」
 原付とはいっても、自動車には変わりない。
自転車で追っかけるには、かなりキツイものがある。
宏が遅れると、交差点の入り口など、要所要所で待っている。
やはり、さっき紛れ込んだ高速道路入口を、先導の原付は入って行く。

 時々後ろからクラクションを鳴らしながら車が追い越して行くが、
『 まあいいや 』と後を追っていく。
結局、1キロ近く複雑な道案内をしてくれて、走るべき道に無事たどり着けた。
有り難かった。『 人は見かけで判断してはいけないな。イタリア人も親切だ!』

 高速道路と並走する一般道であり、他の車は時速100キロ位でぶっ飛ばしている。
当然、向こうの高速道路では、もっともっと早いスピードで走っている。
宏もチェンジを最上段に上げ、走り続けることが出来た。
気持ちの良いラストスパートとなった。
 ピサまで あと少しだ!

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2009年12月 7日 (月)

ラスぺチアへの道は峠また峠

 ニースからジェノバ・ラスぺチアに続く 通称リビエラ海岸には、アペニン山脈が迫っており、切り立つ海岸が続いている。
野宿明けの宏は、荷物をまとめ(人の来ないうちに)、早々と出発した。
 海岸端を登っていく事が、初めのうちは、特には気にならなかった。
朝日が昇るに従い、海の色も黒から明るいエメラルド色に変わっていき、海岸に白い波となって打ち寄せている。
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 北海とも太平洋とも異なり、寝不足の宏にとっても、清々しい景色であった。
しかし、段々と足が重くなってくる。
朝早くから動き出したが、コーヒー一杯飲んではいない。

 初めて見るオリーブの艶やかな葉の輝きにも感動を覚えなくなるほど、お腹が空いて来た。
疲れていた。
日差しが暑い。
やっと見つけた喫茶の出来る店で、ショートケーキと小さなカップのコーヒーにありついたが、腹の足しにはならない。

 知らなかった。イタリアのコーヒーは量があんなに少ないことを知らなかった。
牛乳たっぷりのアメリカンコーヒーを、ガブ飲みしたかった。
坂を登ってまた下った。 すぐにまた登りである。
 [ ラスペチア 95 ] という道路標識らしき看板を目にする。
『 95キロ? 嘘だろう。』 と思ったが、どう考えてもそうとしか解釈できない。
宏の持つイタリア全土の地図を見ても、そんなに距離があるとは思えない。
訳が分からないまま、また坂を登り始める。 意識が"もうろう"としてきた。
 たまらなくなって坂道の少し広くなった場所で、仮眠を取った。

 パトカーらしきサイレン音で目が覚める。あわてて寝袋を丸める。
『 な~んだ。自転車レースの伴走だ。』( ツール・ド・フランス のレースではない様だが)派手なサイクルパンツをはいた何十人もの"お兄ちゃん"達が、目の前を走り過ぎて行った。

 今度の坂は、やけに長い。
『 どこまで続くのだろうか?』 思い出してみるに、朝の出発から何度か上ったり下ったりして来たが、その度に坂は長く・高くなって来ている。
 坂道はまだ続いており、海面は足元、かなり下の方に見える。おまけに道は海岸から離れ始めた。

 不覚であった。『 ジェノバから先は平坦な海岸沿いの道 』と、勝手に解釈していたのが大間違いであった。どうやら海に突き出した半島越えの道らしい( リアス式海岸?)。 ようやく向こうに海が見えてきて、宏は愕然となった。
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 道は二手、[ 海岸に下る道 ]と[ 山の上に登っていく道 ]とに分かれている。
足元はるか下方に海岸の村が見える。
その向こうには、もっともっと大きな半島が突き出していて、絶壁の海岸には 道らしきもの が有りそうにない。
 天気は良く、その気で登って来たのなら素晴らしく感動する景色も、今の宏には無駄であった。
 疲れがドーッと増してきた。

 気を取り直し、また坂を登り始める。
たまに追い越していく自動車が、恨めしく思えた。
何年か前の新聞で、ヨーロッパ自転車縦断の記録がジェノバで終わっていた理由が分かったような気がした。(詳細な地図で、この坂の事を事前に知っていたのであろうと思った)。

 宏は"日本手ぬぐい"を取り出し、鉢巻替わり とした。
流れ落ちる汗を止めるためである。
「自分で選んだ道ではないか」 と、声に出して励ました。自分を励ましながら登って行った。
 「自然よ、父よ、広大な父よ。
 僕から目を離さないで守ることをせよ。
 父の気迫を僕に満たせよ
。」 と、繰り返しつつ登って行った。

 この日宏は、3時頃にとうとうダウンし、峠のホテルに転がり込んで、そのまま倒れ込むように 3時間眠った。
夕方、勧められるままに、ピザを食べ、スパゲティーを追加注文して食べた。
外は雨に変わっていた。
シャワーは水しか出ず、エレベータ横の小さな安部屋で、また眠った。
 泊り客はほとんどなく、ガランとしていて、エレベータの動く音は1,2回聞いただけであった。
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2009年12月 6日 (日)

港町ジェノバで危険な野宿

アペニン山脈を越えた。峠には一方通行の小さくて古いトンネルが掘られており、信号待ちして進んだ。暗い暗い一方通行の小さなトンネルだった。
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  この峠を下るとジェノバ。地中海だ。今夜はそこに泊まろう。』
 
宏は汗をかいた服を着替え、ズボンをはいて"正装"し、峠のレストランで一人、ワインで静かな乾杯をした。
これが最後の峠であり、あとは海岸沿いの平坦な道が続くだけ。』 と思っての乾杯だった。
実はこの後、大変な事態が待ち受けているのだが、宏は知る由もない。
 安心し切っての"ワイン"だった。

 峠を下る途中で小さなペンションを見つけ、立ち寄ってみた。
英語が分かるマスターが応対してくれた。
ここで宏は欲を出し、宿賃の値切り交渉を始めたのだが折り合わず、"さよなら"することになってしまった。

 それからである。探せども探せども、空いた部屋が見つからない。
峠の下り坂も終わり、ジェノバの街中に入っても、どこもかしこも塞がっていた。
そのはずである。 その日は土曜日の夕方であった。
イタリア第一の港街であるジェノバは、アベックで満ち溢れており、彼らがホテルというホテルを占領していたのだった。
 日はとっぷりと暮れ、生暖かい風が肌をかすめる。

 その手の女性が数十名、20メートル間隔で客を待っている地帯を通り過ぎた。
『 彼女たちは客と寝る場所を、きっと確保しているのだろうな。』という想像は出来た。
しかし、『 恐い 』とも思ったし、『 妻に申し訳ない 』とも思った。
そう思いながら、ペダルを踏む力を強めた。
 街角に立つ警察官にも尋ねてはみたが、らちがあかない。

 既に11時を回っている。遂に宏は意を決した。野宿である
 ベンチで一夜をあかすしかない 
「イタリアは危険」という忠告が何度も脳裏によみがえる。まずは腹ごしらえにハンバーグを買って食べた。
 ジェノバの港の西の外れに街灯に明るく照らされた広い煉瓦通りがあった。
アベックが多い通りで、人目をはばからず、岸壁のあちらこちらで濃厚なキスシーンを演じている。
 『 ここが一番安全!』と判断し、ベンチに座って夜の更けるのを宏はじっと待った。

 一度たばこをせがむ"やから"が声をかけて来たが、毅然として追っ払う。
『 アベックは怖くない。子供連れも怖くない。酒に酔った男数人がかたまって近付いて来ると、流石に緊張感が高まる。』 ただ、顔にはその"緊張"が表れないようにして、平静を装う。
 真夜中の1時を過ぎると、さすがの港街も ぶらつく人は少なくなる。
おもむろに寝袋を取り出し、自転車と荷物を目立たないように置き直して眠った。
役には立たないとは思ったが、荷物・自転車・自分の腕 をワイヤーロープで結んで寝た。
『 襲われたら、襲われた時のこと。』 ことここに至っては仕方がない。
 とにかく疲れて寝入った。

 3時間ちょっとの間があっという間に過ぎた。空はわずかに白みかけている。
荷物も自転車も無事であった。おもむろに寝袋を這い出し、岸壁で海風に当たった。
無事であったことにホッとし、タバコを深々と吸った。
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2009年12月 5日 (土)

イタリアの小さなお城にて

 ポー川 の上流域を縦断し、宏は一路、地中海を目指している。 日本と見分けのつかない野山が続く。稲穂の畑まである。 たまに教会や"お城"に出くわさない限り、「ここは日本だ」と言われても だまされそうなほど良く似た風景が続いている。
「イタリアは危険な国だ。スリ、泥棒に気をつけろ!」 と、さんざん日本で聞かされて来たが、あれは出鱈目(でたらめ)であった。
『"スリ"や"かっぱらい"は、都市部だけでの話なのだろう。』
 昨夜の宿探しでも、食べ物を求めて入った簡易レストランでも、会う人々はみんな素朴で親切であった。
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 今朝がた、野原のただ中に出現した"小さなお城"の写真を撮ろうと自転車を止めた時、ニコニコと近寄って来たおじさん達がいた。
「そっちの方向はアレサンドリアではないよ」
「ありがとう。今あの城の写真を撮りたいんだ。綺麗なお城だね。」

 しばらくイタリア語のレッスンが続いた後、「 付いて来なさい。」 と、手招きしながら、一人が先に立って歩き出した。お城の方角だ。
 門の所でペンキを塗っている人がいる。 「この城は近いうちに博物館になるんだ。」 と、何となく言っていることが分かる。

「入ってもいいのか?」
「私は入れるんだ。あんたも入っていいよ。」と中庭に導いてくれた。
 内部は小さいながら綺麗な庭である。都会のへたな公園よりマシであった。 紫陽花(あじさい)が咲いている。

その紫陽花を見た途端に、自分が住んでいる相模原市のことを思い出した。
毎年6月には、この市の道路と言う道路は紫陽花が咲き乱れ、それは見事なものだ。
 4月には桜が満開になり、街全体が薄いピンク色に包まれる。

 「 これは井戸の跡だ。」と、今では花でおおわれている"四角い台"の解説を、パントマイム付きでやってくれる。 宏はまた異邦人に戻る。

 その城の近くには朝市が立っていた。
そのオジサンは、どんどん宏の腕を引っ張って市場の方に歩いて行く。
「これはおいしいよ」と、切り割った果物の匂いをかぐ仕草をしてみせる。
その仕草で"メロン"だと分かる。値段交渉までしてくれる。
 他にもサンダルなど日用品を買い込み、そのオジサンとは別れた。

そのメロンは確かに美味しかった。
『 あの市場付近で、あのオジサンと一緒に食べればよかったな。』 と、後で思った。
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Photo_11 「メロンが美味しいよ」と、パントマイムしてくれたのは、左のおじさん。絵筆を持っているのは改装中の方。

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2009年12月 4日 (金)

イタリアへ"ボナセーラ( こんばんわ )"

このあと宏はシンプロン峠を駆け下り、一気にイタリアの"ドモドッソラ"という田舎町に入った。
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 そこで困ったことが起こる。言葉が全く通じないのだ。
飛行機や電車の旅では有名な都市に降り立つことになり、大抵の場合英語が通じる。
しかし自転車での国境越え、ましてやスイスの山の中からイタリアの片田舎へと国境を越えたのだ。通じる訳がない。

 悪いことに国境で、イタリア通貨購入を忘れていた。 幸い、日本製のバイクに乗ったドイツの青年グループが通訳してくれて、宿代はスイスフランで払うことに交渉がまとまった。夕食代も「ツケ払い」である。
 何とも味気ない食事となった。

なにくそ!と、宏は思った。遠の昔に、六か国語の会話集は無くなっている。
「地球の歩き方」のわずかな単語のページを破り取って手に持ち、付き合ってくれそうな人を探して回る。
 夕暮れ時で、陽はまだ屋根の上にある。
泊まることになった"宿&レストラン"の前には、いくつかの椅子とテーブルがあり、数人のおじさん・おじいさん達がワインを楽しんでいた。 宏は「座ってもいいか」と身振りで示す。
何も言わないのも変なので、通じないとは思ったがドイツ語で「ここに座ってもいいか?」と言いながら椅子を指差した。
 首を縦に振ってくれる。

ボンジョールノ(こんにちは)」と、イタリア語に添えてあったカタカナを発声してみる。
直ぐに反応があった。首を横に振りながら"天"を指差して、
「違う。もう夕方だ(とでもいっているのだろう)、ボナセーラ」

 うんうんと頷きながら宏は、
ボナセーラ(こんばんわ)」と繰り返し、すぐにカタカナで書きとめる。
ワインを指しながら、「ワイン?」と語尾をあげると、
「ノン。ヴィーノ」
「ビーノ?」
「ノン、ノン。ヴィーノ」
「ビール?」
「(それは泡の立つやつだ)。ヴィーノ」 と、唇を前に突き出して発音してくれる。
「ヴィーノ」
「スイ(そうだ。YES)」
「(泡の立つのは)ビール?」
「ノン。ビーレレレ」 と、 "R"と"L"の発音矯正をしてくれる。

 どこから来たのかの質問は身振りで予想が付く。
国の名前や都市名は、ほぼ万国共通だ。
「ジャパン・ヤーパン・ニホン・ニッポン・・」と喋っていれば通じてくる。
「ベルギー・ベルガム、⇒オランダ・ホランダ、⇒ドイツ・ドイッチェランド、⇒スイス・スイッチェランド・・」
 「アルプス(を越えて)」も通じた。
「シンプロン峠を自転車で」 と、両手を胸元で回転させて見せる。
「(それはイタリアでは)ビチグレッタ」
誕生日は難しいのでパスポートを示すと、「コンプレアーノ」
 肌の黒いところと白いところを交互に指すと、「ネロ、ビヤンコ」

 おじさん達も面白がって、次々と単語を教授してくれる。
こんな調子で夜更けまで、46歳の誕生日を祝ってもらう事が出来た。
レストランも閉店間際になってきたのであろう、ウエイトレスの姉さんやコックさんまで出て来て、宏を囲む人だかりは十数人に膨れ上がっていた。

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