X・・ヨーロッパ縦断・自転車1

2009年5月16日 (土)

25)、1万メートルの上空より。Overlooking the 10,000 meters than came traveled by bike routes!

 宏はその後数日を、ナポリ・ローマ辺りで過ごした。 観光の島"カプリ"で少し贅沢してみたり、散髪したり、ソレントからナポリへの途中でポンペイの遺跡に立ち寄ったりしながら、日程調整し、予定通り 6月24日朝、ローマ発ブリュッセル行きの飛行機に乗り込んだ。
 窓側の席に座って外を眺めている。
 飛行機は一旦海上沖合いに出、それから海岸線に沿って北上を始めた。 空は雲ひとつない快晴で、いくつかの島も海岸線も、まるで航空写真のごとくに、くっきりと見渡すことが出来た。
後ろにベルギーの娘さんが座っていて盛んに歓声を上げ、宏に話しかけて来た。フランス語はあまり良く分からないが、こちらは英語で感動をしゃべる。 お互いに窓の外を見つめながら!感嘆!の声を上げている。
 見たことのあるような海岸線が現れて来た。 大きな半島が海に向かって突き出ている! 宏が苦労して越えたラスペチア付近の海岸だった。 「 飛行機は現在、ジェノバ上空を飛んでいます」と、機長のアナウンスが入る。
 その通りであった。 この海岸線を走ったのだ。 このアペニン山脈を越えて来たのだ。 向こうの方に大きな湖が、幾つか見える。 イタリア北部の湖であり、そのほとりを走った記憶が蘇(よみがえ)る。 高い山々、雪山が現れる。
 『 アルプスだ!』 入道雲が巻き起こり、山々の立体感を増している。視界を妨げない適度な雲であり、遠くの谷深くまで見渡せる。 宏は機内雑誌の航路地図を広げてみた。『 ローマ・ブリュッセル間を結ぶ航路からすると、そろそろ"レマン湖"の上空に差し掛かるはず・・』 と思っている内に、特徴あるV字形の谷が 現われてきた。 谷に沿って道路がくっきりと識別できる。幅の広いのが高速道路、並行して走っているのが、宏の走った一般道路だ。
 また機長のアナウンスが入る。「ただいま我々はモンブラン上空を飛んでおり、まもなく本機は、ジュネーブ上空に差し掛かります。この湖はレマン湖 ・・・ 」
 期待もしていなかった事だが、その飛行機は上空1万メートルの高さより 素晴らしく澄んだ好天の下で、宏の走ったスイス・イタリア間のコースを見せてくれた。 偶然とは とても思えなかった。『何か大きな力が働いて、大自然が自分にプレゼントしてくれたのではないか』 と 思った。
ジュネーブからはフランス上空を飛び、ライン川 こそ見えなかったが、それでも小さな家々、街、森、畑・・と、上空からの景色は存分に楽しめた。 『 つくづく自分はラッキーな男だ。』 と思った。
 ブリュッセルであわただしく乗り継いで、今、宏は成田行きの飛行機の中にいる。隣には「目白に住んでいる」という年配のご婦人が眠っている。 ガタガタと、ひどく揺れる飛行機だ。 出発も30分以上遅れた。ふと、自分の自転車の事が気にかかる。
『 ブリュッセルで首尾良く、この飛行機に"積み替え"られたかな?』 またガタガタと大きく揺れ、隣のご婦人も目を覚ましたようだ。急にシートベルト着用のサインが点灯し、ちょっと周囲が ざわつき始めた。 アナウンスがあった。しかし宏は、自分でも不思議なほどに落ち着いていた。
もう何が起こっても満足である。が、出来る事なら、許されるなら、無事に日本に帰り着きたい。」 最後にそう書き留めて、日記と撮り終えたフィルムをビニール袋に仕舞い、少し膨らませたままチャックを閉じた。それをウエストポーチに納めてから、おもむろに前傾姿勢を取った。 耳がツーンと鳴った。

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2009年5月13日 (水)

24)、ピサ駅前の広場にて。In the Plaza of the Italy city Pisa station waiting for a train to Rome.

 暖かい夕暮れ の駅前広場。 宏はベンチに腰掛け、ナポリ行きの夜行列車をぼんやりと待っている。満足感はあった。充分な達成感に満たされていた。出発時間には まだ5時間以上あり、引き返して"ピサの斜塔"のそばで過ごすことも可能であった。しかし、それはしなかった。引き返さなくてもその情景は眼に焼き付いていて離れなかった。それほど強烈な印象を 白亜の寺院 から受けていた。
 斜塔は予想外に大きな建物であった。それが天に向かって斜めにそびえ立っている。それだけではなく建物は他に2つあり、それらが一体となってこれまでに見たことのない形の白く美しい寺院を形成している。
そこで2時間近く過ごしたのであるが、飽きなかった。写真も沢山撮ったが、キツネにつままれていたような気もする。 今行ってみたら「消えて無くなっていた」というようなことが起こりそうにも思えて、引き返さなかった。
自転車はすでに折り畳んでバックに仕舞い込んでおり、リュックが一つ側にある。付近にはベンチが幾つかあって、列車を待つ人々がイラつく様子もなく、過ぎゆく夕暮れを楽しんでいる。
 
宏の横にも何人かの人が、入れ替わり立ち替わり座ってくる。どちらからともなく話は始り、ピサの良さ、旅の良さ を語り合う。自分の出身地の話をしていく。そして時間が来ると、"さよなら"をする。
一人に戻るとまた思い出にふけったり、日記を取り出して何か書き留めたりしている。『 意外に早く時間が経って行く。日本から持ち込んだタバコの残りが少ない。あと一箱あるだろうか?』 この3本が最後かもと思いつつ、ヨーロッパを汚すまいという信念で捨てないでケースに保持していた"吸いくさし"4本を取り出した。"しけモク"だ。
 こんな事を書いている最中に「一本くれ。」と言う中年のおじさんが来た(多分乞食である)。身なりは悪くないので「やろうか」とも思ったが、なにせ残りわずかだ。笑いながら、"吸いくさし"の並びを指差して『オーノウ( OH NO!)』のジェスチャー。 タバコ吸いも困ったものである。
『 自転車を愛する人の多くは、タバコは良くないという信念を持っておられるようで、私のようなヘヴィースモーカーは少なかった。それでも段々と吸う本数が減り、一日10本程度までに減った。止めればいいのに、とうとう"ピサ"まで来た。まあここまで来れたのだから、タバコも「よし」としようか。』
 退屈はしていなかった。旅の満足感に浸っていた。 水は噴き上がってはいなかったが、大きな噴水が正面に見える。そのほとりで(彼女達も夜行列車を待っているのであろうか)、中学生20人位が、歌ったりしゃべったり、動物の鳴き声をまねてふざけ合ったりしている。 その明るい笑い声は、ピサ駅前の雰囲気によく溶け込んでいた。

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2009年5月12日 (火)

23)、"ピサ"への道。Cities in Italy [Pisa] to the way I ran hard on a bike.

 ラスペチアには寄らなかった。 ホテルでもらった観光案内地図によると、宿泊地点の峠は、海岸からかなり離れている。 もう峠を上り下りするのはコリゴリであり、川沿いに真っ直ぐ"マッサ"の町を目指すことにした。
マッサの町の その向こうが、夢にまで見た"ピサ"の町だ。まだ雨は残っていたが、早めに出発! "吊り橋"があり、"古い橋"があり、通行止めの橋の横に大きなセメント管を並べただけの"特設の橋"があり、その上を通って、ズンズン進む。
 人家が増えて来た。車の数も増えて来た。 大理石の石切り場があるのか、あちらこちらに大きな石を集積した"石置き場"が目に付く。 立派な"お城"も沿道近くの丘に、幾つかあった。 この辺りは観光コースから外れているらしく、ダンプカーの方が乗用車より多い。
 貧しい地域なのであろう、乗用車のなかでも、軽自動車が目立つ。 日本では見かけなくなった三輪車が何台も走っている。懐かしい気持ちにもなり、後ろを押してやりたい気持ちにもなる。
 マッサの町近くで、ミラノから続いている高速道路と並走するようになった。 この高速道路は、ここに来るまでに何度も見かけたものだ。宏の登っている峠道のはるか下方を、トンネルを連ねて走っていた。 今は恨めしくは思っていない。 苦しかった昨日の出来事も、既に思い出の1ページと変わっている。
 距離計を付けていないので正確には分からないが、2500キロは走って来た。朝から晩まで走り続けてきた。アムステルダムで都会は嫌いだと思って以来、毎日毎日、大自然の中を走って来た。人々の素朴な心に触れて来れた。今日の夕方にはピサの町に着く。 ガリレオと逢える。ガリレオが大小二つの鉄球を落として見せた建物と逢える。
『 期待は落胆を生み、偏見は不幸を生む 』とは分かっていても、"ピサの斜塔"を思うとき、ワクワクしてくる気持ちを抑えられなかった。宏は今、20代の青年そのものであった。
 急に車が増え
道路も複雑になって来た。道路標識を見失って高速道路に入りかけ、あわてて引き返してきて地図を見ながらウロウロ、キョロキョロしている。『 どうも良く分からない』。 街角で信号待ちの車の窓ガラス拭きのアルバイトをしている青年達が数人"たむろ"していた。他に尋ねる相手も見当たらず、ちょっと雰囲気は怪しかったが聞いてみた。
「あんたが進もうとしていた道はグニャグニャと込み入っていて、遠回りだ。引き返してあっちの道を走れば23キロ位で、ピサまで行ける。」 と、盛んに説明してくれる。しかし、「それは自動車専用道路の話ではないのか?自転車では通れないのではないか?」と、宏はグズグズしている。その青年達はなにか早口でしゃべり合っていたが、急にその一人が原付にまたがり、エンジンをかけた。
案内する付いて来い」。原付とはいっても、自動車には変わりない。 自転車で追っかけるには、かなりキツイものがある。 宏が遅れると、交差点の入り口など、要所要所で待っている。 やはり、さっき紛れ込んだ高速道路入口を、先導の原付は入って行く。
時々後ろからクラクションを鳴らしながら車が追い越して行くが、『 まあいいや 』と後を追っていく。 結局、1キロ近く複雑な道案内をしてくれて、走るべき道に無事たどり着けた。有り難かった。『 人は見かけで判断してはいけないな。イタリア人も親切だ!』
 高速道路と並走する一般道であり、他の車は時速100キロ位でぶっ飛ばしている。 当然、向こうの高速道路では、もっともっと早いスピードで走っている。 宏もチェンジを最上段に上げ、走り続けることが出来た。気持ちの良いラストスパートとなった。
 ピサまで あと少しだ

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2009年5月11日 (月)

22)、ラスぺチアに続く道は、峠、また峠!Road to‘ラスぺティア’(Italy) was a series of pass, pass!

 ニースからジェノバ・ラスぺチアに続く 通称リビエラ海岸には、アペニン山脈が迫っており、切り立つ海岸が続いている。 野宿明けの宏は、荷物をまとめ(人の来ないうちに)、早々と出発した。 海岸端を登っていく事が、初めのうちは、特には気にならなかった。
  朝日が昇るに従い、海の色も黒から明るいエメラルド色に変わっていき、海岸に白い波となって打ち寄せている。 北海とも太平洋とも異なり、寝不足の宏にとっても、清々しい景色であった。 しかし、段々と足が重くなってくる。 朝早くから動き出したが、コーヒー一杯飲んではいない。
 初めて見るオリーブの艶やかな葉の輝きにも感動を覚えなくなるほど、お腹が空いて来た。 疲れていた。 日差しが暑い。 やっと見つけた喫茶の出来る店で、ショートケーキと小さなカップのコーヒーにありついたが、腹の足しにはならない。
 知らなかった。イタリアのコーヒーは量があんなに少ないことを知らなかった。 牛乳たっぷりのアメリカンコーヒーを、ガブ飲みしたかった。 坂を登ってまた下った。 すぐにまた登りである。 [ ラスペチア 95 ] という道路標識らしき看板を目にする。
『 95キロ? 嘘だろう。』 と思ったが、どう考えてもそうとしか解釈できない。宏の持つイタリア全土の地図を見ても、そんなに距離があるとは思えない。 訳が分からないまま、また坂を登り始める。 意識が"もうろう"としてきた。 たまらなくなって坂道の少し広くなった場所で、仮眠を取った。

 パトカーらしきサイレン音で目が覚める。あわてて寝袋を丸める。『 な~んだ。自転車レースの伴走だ。』( ツール・ド・フランス のレースではない様だが)派手なサイクルパンツをはいた何十人もの"お兄ちゃん"達が、目の前を走り過ぎて行った。
 今度の坂は、やけに長い。『 どこまで続くのだろうか?』 思い出してみるに、朝の出発から何度か上ったり下ったりして来たが、その度に坂は長く・高くなって来ている。 坂道はまだ続いており、海面は足元、かなり下の方に見える。おまけに道は海岸から離れ始めた。
 不覚であった。
『 ジェノバから先は平坦な海岸沿いの道 』と、勝手に解釈していたのが大間違いであった。どうやら海に突き出した半島越えの道らしい( リアス式海岸?)。 ようやく向こうに海が見えてきて、宏は愕然となった。
 道は二手、[ 海岸に下る道 ]と[ 山の上に登っていく道 ]とに分かれている。足元はるか下方に海岸の村が見える。その向こうには、もっともっと大きな半島が突き出していて、絶壁の海岸には 道らしきもの が有りそうにない。 天気は良く、その気で登って来たのなら素晴らしく感動する景色も、今の宏には無駄であった。 疲れがドーッと増してきた。
 気を取り直し、また坂を登り始める。
たまに追い越していく自動車が、恨めしく思えた。 何年か前の新聞で、ヨーロッパ自転車縦断の記録がジェノバで終わっていた理由が分かったような気がした。(詳細な地図で、この坂の事を事前に知っていたのであろうと思った)。
 宏は"日本手ぬぐい"を取り出し、鉢巻替わり とした。 流れ落ちる汗を止めるためである。 「自分で選んだ道ではないか」 と、声に出して励ました。自分を励ましながら登って行った。 「自然よ、父よ、広大な父よ。 僕から目を離さないで守ることをせよ。 父の気迫を僕に満たせよ。」 と、繰り返しつつ登って行った。

 この日宏は、3時頃にとうとうダウンし、峠のホテルに転がり込んで、そのまま倒れ込むように 3時間眠った。 夕方、勧められるままに、ピザを食べ、スパゲティーを追加注文して食べた。
外は雨に変わっていた。 シャワーは水しか出ず、エレベータ横の小さな安部屋で、また眠った。 泊り客はほとんどなく、ガランとしていて、エレベータの動く音は1,2回聞いただけであった。

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2009年5月10日 (日)

21)、港街、ジェノバでの一夜。Harbor City: is talk spent the night on the shores of Genoa. Of course it is a homeless!

 アペニン山脈を越えた。峠には一方通行の小さくて古いトンネルが掘られており、信号待ちして進む。  この峠を下るとジェノバ。地中海だ。今夜はそこに泊まろう。』 宏は汗をかいた服を着替え、ズボンをはいて"正装"し、峠のレストランで一人、ワインで静かな乾杯をした。
 これが最後の峠であり、あとは海岸沿いの平坦な道が続くだけ。』 と思っての乾杯だった。実はこの後、大変な事態が待ち受けているのだが、宏は知る由もない。安心し切っての"ワイン"だった。
 峠を下る途中で小さなペンションを見つけ、立ち寄ってみた。英語が分かるマスターが応対してくれた。 ここで宏は欲を出し、宿賃の値切り交渉を始めたのだが折り合わず、"さよなら"することになってしまった。
それからである。探せども探せども、空いた部屋が見つからない。 峠の下り坂も終わり、ジェノバの街中に入っても、どこもかしこも塞がっていた。
 そのはずである。 その日は土曜日の夕方であった。
イタリア第一の港街であるジェノバは、アベックで満ち溢れており、彼らがホテルというホテルを占領していたのだった。 日はとっぷりと暮れ、生暖かい風が肌をかすめる。 その手の女性が数十名、20メートル間隔で客を待っている地帯を通り過ぎた。
『 彼女たちは客と寝る場所を、きっと確保しているのだろうな。』という想像は出来た。しかし、『 恐い 』とも思ったし、『 妻に申し訳ない 』とも思った。 そう思いながら、ペダルを踏む力を強めた。 街角に立つ警察官にも尋ねてはみたが、らちがあかない。
既に11時を回っている。遂に宏は意を決した。野宿である
 ベンチで一夜をあかすしかない 』 「イタリアは危険」という忠告が何度も脳裏によみがえる。まずは腹ごしらえにハンバーグを買って食べた。
 ジェノバの港の西の外れに街灯に明るく照らされた広い煉瓦通りがあった。アベックが多い通りで、人目をはばからず、岸壁のあちらこちらで濃厚なキスシーンを演じている。 『 ここが一番安全!』と判断し、ベンチに座って夜の更けるのを宏はじっと待った。
 一度たばこをせがむ"やから"が声をかけて来たが、毅然として追っ払う。『 アベックは怖くない。子供連れも怖くない。酒に酔った男数人がかたまって近付いて来ると、流石に緊張感が高まる。』 ただ、顔にはその"緊張"が表れないようにして、平静を装う。
 真夜中の1時を過ぎると、さすがの港街も ぶらつく人は少なくなる。おもむろに寝袋を取り出し、自転車と荷物を目立たないように置き直して眠った。役には立たないとは思ったが、荷物・自転車・自分の腕 をワイヤーロープで結んで寝た。『 襲われたら、襲われた時のこと。』 ことここに至っては仕方がない。 とにかく疲れて寝入った。

 3時間ちょっとの間があっという間に過ぎた。空はわずかに白みかけている。荷物も自転車も無事であった。 おもむろに寝袋を這い出し、岸壁で海風に当たった。無事であったことにホッとし、タバコを深々と吸った。

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2009年5月 9日 (土)

20)、ポー川付近の"小さなお城"にてUncle is near the Po River (Italy) "small castle" in friendly matches.

 ポー川 の上流域を縦断し、宏は一路、地中海を目指している。 日本と見分けのつかない野山が続く。稲穂の畑まである。 たまに教会や"お城"に出くわさない限り、「ここは日本だ」と言われても だまされそうなほど良く似た風景が続いている。
「イタリアは危険な国だ。スリ、泥棒に気をつけろ!」 と、さんざん日本で聞かされて来たが、あれは出鱈目(でたらめ)であった。『"スリ"や"かっぱらい"は、都市部だけでの話なのだろう。』 昨夜の宿探しでも、食べ物を求めて入った簡易レストランでも、会う人々はみんな素朴で親切であった。
 今朝がた、野原のただ中に出現した"小さなお城"の写真を撮ろうと自転車を止めた時、ニコニコと近寄って来たおじさん達がいた。「そっちの方向はアレサンドリアではないよ」 「ありがとう。今あの城の写真を撮りたいんだ。綺麗なお城だね。」
 しばらくイタリア語のレッスンが続いた後、「 付いて来なさい。」 と、手招きしながら、一人が先に立って歩き出した。お城の方角だ。 門の所でペンキを塗っている人がいる。 「この城は近いうちに博物館になるんだ。」 と、何となく言っていることが分かる。
「入ってもいいのか?」 「私は入れるんだ。あんたも入っていいよ。」と中庭に導いてくれた。 内部は小さいながら綺麗な庭である。都会のへたな公園よりマシであった。 紫陽花(あじさい)が咲いている。
 その紫陽花を見た途端に、自分が住んでいる相模原市のことを思い出した。 毎年6月には、この市の道路と言う道路は紫陽花が咲き乱れ、それは見事なものだ。 4月には桜が満開になり、街全体が薄いピンク色に包まれる。
「 これは井戸の跡だ。」と、今では花でおおわれている"四角い台"の解説を、パントマイム付きでやってくれる。 宏はまた異邦人に戻る。

 その城の近くには朝市が立っていた。 そのオジサンは、どんどん宏の腕を引っ張って市場の方に歩いて行く。 「これはおいしいよ」と、切り割った果物の匂いをかぐ仕草をしてみせる。その仕草で"メロン"だと分かる。値段交渉までしてくれる。 他にもサンダルなど日用品を買い込み、そのオジサンとは別れた。
そのメロンは確かに美味しかった。『 あの市場付近で、あのオジサンと一緒に食べればよかったな。』 と、後で思った。

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2009年5月 8日 (金)

19)、イタリアへ"ボナセーラ( こんばんわ )""To Italy ‘Bonasera (tonight's)’ that is the message from the article.

 このあと宏はシンプロン峠を駆け下り、一気にイタリアの"ドモドッソラ"という田舎町に入っている。 そこで困ったことが起こる。言葉が全く通じないのだ。
飛行機や電車の旅では有名な都市に降り立つことになり、大抵の場合英語が通じる。しかし自転車での国境越え、ましてやスイスの山の中からイタリアの片田舎へと国境を越えたのだ。通じる訳がない。
 
悪いことに国境で、イタリア通貨購入を忘れていた。 幸い、日本製のバイクに乗ったドイツの青年グループが通訳してくれて、宿代はスイスフランで払うことに交渉がまとまった。夕食代も「ツケ払い」である。何とも味気ない食事となった。
なにくそ!と、宏は思った。 遠の昔に、六か国語の会話集は無くなっている。「地球の歩き方」のわずかな単語のページを破り取って手に持ち、付き合ってくれそうな人を探して回る。 夕暮れ時で、陽はまだ屋根の上にある。
 泊まることになった"宿&レストラン"の前には、いくつかの椅子とテーブルがあり、数人のおじさん・おじいさん達がワインを楽しんでいた。 宏は「座ってもいいか」と身振りで示す。何も言わないのも変なので、通じないとは思ったがドイツ語で「ここに座ってもいいか?」と言いながら椅子を指差した。 首を縦に振ってくれる。
ボンジョールノ(こんにちは)」と、イタリア語に添えてあったカタカナを発声してみる。直ぐに反応があった。首を横に振りながら"天"を指差して、「違う。もう夕方だ(とでもいっているのだろう)、ボナセーラ」
 うんうんと頷きながら宏は、「ボナセーラ(こんばんわ)」と繰り返し、すぐにカタカナで書きとめる。 ワインを指しながら、「ワイン?」と語尾をあげると、「ノン。ヴィーノ」 「ビーノ?」 「ノン、ノン。ヴィーノ」 「ビール?」 「(それは泡の立つやつだ)。ヴィーノ」 と、唇を前に突き出して発音してくれる。 「ヴィーノ」 「スイ(そうだ。YES)」 「(泡の立つのは)ビール?」 「ノン。ビーレレレ」 と、 "R"と"L"の発音矯正をしてくれる。
 どこから来たのかの質問は身振りで予想が付く。 国の名前や都市名は、ほぼ万国共通だ。「ジャパン・ヤーパン・ニホン・ニッポン・・」と喋っていれば通じてくる。
「ベルギー・ベルガム、⇒オランダ・ホランダ、⇒ドイツ・ドイッチェランド、⇒スイス・スイッチェランド・・」
「アルプス(を越えて)」も通じた。 「シンプロン峠を自転車で」 と、両手を胸元で回転させて見せる。「(それはイタリアでは)ビチグレッタ」  誕生日は難しいのでパスポートを示すと、「コンプレアーノ」  肌の黒いところと白いところを交互に指すと、「ネロ、ビヤンコ」

 おじさん達も面白がって、次々と単語を教授してくれる。 こんな調子で夜更けまで、46歳の誕生日を祝ってもらう事が出来た。 レストランも閉店間際になってきたのであろう、ウエイトレスの姉さんやコックさんまで出て来て、宏を囲む人だかりは十数人に膨れ上がっていた。

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2009年5月 1日 (金)

18)、競り上がってくる雪山、遂にシンプロン峠Snow coming up outbid, finally arrived at the Simplon Pass.

 明けて6月16日は、宏の誕生日である。 別に もくろんだ訳ではなかったが、誕生日のその日にアルプスの峠越えを敢行する事となった。 朝は早めに出発しブリッグの町中には すぐに着いた。『 まずは食糧調達!(峠までの40キロ区間では入手が難しそうだ)。この町しかない。』
 小さなスーパーマーケットが見つかった。 トマト・バナナ・チョコレート・パンやハムなど買い込みをしたところに、「青年」が近付いて来た。 にこにこ笑いながら何やらフランスなまりの英語でしゃべりかけて来る。( 2,3度、繰り返してしゃべってくれた)。
「君と僕とは昨日、数回逢っている。」と言ってる。 そう言われれば昨日、追い越したり追い越されたりしたボンジュール青年がいた。彼曰く、「その後、何回もすれ違った。あの滝の所で、君は写真を撮っている最中だった。」 急に親しみが湧いてきた。
 その青年はリヨンを3日前に発ってレマン湖畔を経由し、その後宏と同じルートで走って来ていた。 今日、明日かけてオーストリアに入る計画とのこと。 宏はこれからアルプスを越え、イタリアに向かう。 ここでお別れだ。 赤い車のボンネットの上にカメラをセットし、二人で記念写真を撮った。
 ボンジュール青年と別れた後も、宏はまだ何かを探している。「」である。  何処かに泉があるはず。』 それを探している。 そんな彼に、中年の男性が声をかけて来る。
「何かお探しですか?」 「水を手に入れたい。」と、空の容器を示す。 「そこの薬屋で手に入る。」と言う。 宏は水を買うつもりはなかったが、連れて行かれた。
 その男性は店員とベラベラしゃべってから、空っぽの容器を宏から受け取って、店員に手渡す。 店員は奥に入って行き「水」を詰めて戻ってきた。 有難い。無料! 店員も中年男性も、これからアルプス越えに挑戦する日本人宏を、激励してくれた。
『 なあに40キロ先の高さ2千メートル。自転車を押してでも登ってやろう。』 宏はそう思っている。 思っている通りに、押して登る展開になっていく。 46歳の山登り。
  シンプロン峠へ
『 峠への道はツタの如く、切り立つ山にからみ付く。 ガードレールのすぐそばは、恐怖心が先に立つ。 遠くの雪山を見て走る。 刻々と姿を変えていく山波。 風が吹き降りてくる。 恐い。道の中央寄りを走る。 雪山連峰が段々と、小さな町を取り囲んでいく。』
心臓破りの坂が続いている。はるか向こうの山腹にまで、道路らしき白い構造物が認められる。急斜面であり、今にもズリ落ちそうなほど危なっかしい。 『 あんな所まで登っていくのか。』と、宏は少々不安になる。
 振り返るとブリッグの町が眼下に広がり、町を囲むように山々が競い上がってきている。 路面を見つめながらペダルを踏み続けていても、ガードレールの向こう側の景色は目に入る。 針葉樹林を上から眺める景色、それが自転車とともに前方に滑って行く。 この異様な動きで、宏は一種の催眠状態を覚えた。
『 恐い 』と思うと、余計に足が縮こまってくる。 遠くの雪山を見て走ることにした。 強くはないが風が麓へ向かって吹いており、風の呼吸は、ガードレールのその向こうに自転車が吸い込まれそうな錯覚を、助長する。 宏は道路の中央を走ることにした。

 大きな山を回り込むと、昨日の三角帽子の雪山が現れた。 随分と大きく、圧倒されそうだ。 その山に向って道はス~ッと延びている。 周りの山間(やまあい)から、いく筋かの川が流れ出し、一本の「 小川 」となって、足元はるか下方を流れ下る。
相変わらず道は切り立つ斜面上にあり、眼下は一面の緑、上の方には雪山が広がっている。南斜面を走行中であり、太陽は真夏の暖かな日差しを送っている。 所々山を削って出来た小さな休憩場所には人影もなく、路端には野の草花が風に揺られている。
 谷に架かる大きな橋の上までやって来た。
三角帽子の山は頭上にそびえている。吹き下ろす風は かなり強い。 近付いてみるとコンクリート製の頑丈な橋ではあったが、なにせ高い! 遠目には、その橋の支柱が乾素麺(そうめん)の如くに見えていた。
欄干から谷底を覗いてみる。 深い! マッチの先ほどの山小屋が川のほとりに見える。 雪解け水が爽やかに流れていた。
 牛が数頭のどかに草を食んでいる。
三角帽子山の近くで、道は大きくUターンする。宏は少し早いが昼食を取ることとした。 荷物を軽くする意味もあって、バナナも桃も食べ尽くした。 1,2匹、蠅が飛び回っている。 ジュースを飲み、うまそうに宏は煙草をくゆらす。 車はほとんど走っていない。はるか下方に、もう使われていないらしい旧道が細く長く続いている。
 トンネルの向こうから轟音が響いてくる。トラックだった。 また静寂に戻る。 相変わらず自転車を押して登っている。 トンネルといっても山肌に造られたコンクリート製の雪崩を防ぐ長い建造物で、谷側に窓が開いている。その窓から雪山が楽しめる。長~く連なるトンネルが、その窓を通して"白蛇"の如くに見える。
 少し走る。が、ものの百メートル進まない内に、また自転車を降りて押している。空気も薄いのであろう、息切れして長続きしない。 『 なあに、今日中に着けばいい。』と、マイペースで押して歩く。風は冷たい。 『 あの山向こうが峠かな?』 それにしても長いトンネルだ。 残雪ラインにそろそろ達したようで、辺りは白く明るくなった。
 雪解け水が、トンネルの屋根を越えて流れ落ちている。 その場所でまた休憩を取る。 手足を洗う。顔を洗う。冷たい! 宏は容器に水を詰め替えようとした。 その小さな滝が小石を洗っている。玄武岩、磁鉄鉱、水晶のかけらなどが、流れる水と一緒になって太陽光をキラキラと照り返す。
 峠まであと少し、あと少し。また自転車を押しながら進む。
  遂に到着、シンプロン峠!
感激の一瞬だ。 道路わきの広場に車が数台停まっており、峠の茶屋もあるが、人影はほとんどない。 2005メートルの標識看板を発見し、たまたま居合わせた人に記念写真を撮ってもらった。
両側にそそり立つ岩山は低い灌木と、苔(こけ)とも見える緑をまとい、その上を雪が覆う。 岩肌・土・緑 が絶妙の色バランスを保ちながら、雪の白さを強調している。このダイナミックな景色の中にも自然の優しさは感じ取れた。 麓を出発してからここまでの半日、宏は人とほとんどしゃべらなかった。話すチャンスも無かったし、その必要もなかった。 大自然の中で、ずっとその変化を楽しんで来れた。
太陽は光り輝き、峠は最高のドレスをまとって迎えてくれた様に、宏は感じた。
 静かな達成感であった。

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2009年4月30日 (木)

17)、スイスの田舎ホテルと、アルプスの山々。Switzerland country hotel, while watching the peaks of the Alps.

『 6月13日(月) 今日は充実した日であった。朝方、曇ってはいたが直後に晴れわたり、ジュラ山脈 が綺麗であった。ビーラー湖、ヌーシャテル湖 とも 好天のせいもあって素晴らしい。暖かな一日であり、ここに来て初めて足から塩が吹いた(白くなった)。なめて確かめてみる。確かに塩っ辛い!』
『 レマン湖畔にある(ローザンヌ直前の)小高い丘にあった田舎ホテル(40フラン)に宿泊。 フランス語が常用らしくドイツ語・英語共に通じないが、朝食付きであることは理解できた。 ここで初めてバスタブを使用。日本人の私は、シャワーよりもバスタブの方が好きだ。満足、満足!
『 欲を言えばキリはないが、バスタブは身体を温めるだけにし、外のスノコ板(欧州には無い)の上で、ゆっくり洗いたいところだ( しかし、これは望む方が無理)。安い宿はシャワーやトイレさえ共同使用が一般的。
『 一階はパブ兼レストランとなっていて、スイス軍隊服を着たお兄ちゃん3人を捕まえて、一緒にビールを飲んだ。 彼らはドイツ語・フランス語・ロマンシュ語・イタリア語の四か国語を話すとのこと。それを英語でしゃべっているのだから、五か国語に通じていることになる。
「 スイスは山国ではあるが、意外に平坦だ。マッターホルンとかモンブランなどの山々があまりに有名で、日本人は皆、スイスは山ばかりだと思っている。しかし、走ってみて、平らな場所が少なくないということが、この2日間でよく分かった。日本の方がはるかに山が多く、平野が少ない。」 こんな事をビールを飲みながら、しゃべった。』
  (6月14日)、
 小高い丘にあった田舎ホテルを出たあと、ジュネーブまで風まかせに走った。 いきなりガット(GATT)の看板と建物を路上で目にした時には、中学校の教科書世界に飛び込んだような感慨を受けた。とにかく綺麗な美しい都市であった。
ローザンヌへの帰り道は電車としたが、駅員に自転車を取り上げられて当惑した。(本当にローザンヌで自転車を受け取れるかどうか不安でたまらなかった)。 結果的には自転車は返されたが、こういうトラブル時に、現地語(ジュネーブはフランス語)がうまく喋れないと不安はつのるものだ。
 車窓からレマン湖を眺めている内に急に薄雲が晴れわたり、湖の向こうにモンブランもあるであろうアルプス山脈がくっきりと現われて来た。凄いスピードで林や民家が間を遮るので、シャッターを切ることも出来ずに、ただ眺めている。「こんなことなら、帰りも自転車にすべきだった」と、欲張りの後悔をした。
  アルプスの山々
 6月15日 6:57  レマン湖畔のユースにて朝食を待っている。素晴らしい朝だ。アルプスが光り輝いている。早く出発したい!
9:51 「あれがモンブランか?」と、雪山が現れる度に聞いた。「モンブランはその後ろに隠れている。あれは3257mの小さな山だ。もう少し南に下れば見えるだろう」 少し前進する。 向こうの方に、もっと高い雪山が見えて来た。
10:19  山間から大砲を撃ったような轟音が響いて来た。雪崩でも起こったのだろうと、勝手に想像する。 何度も聞こえてくる。 鉄砲の音がこだましているだけかも知れない。 玉のような汗が流れる。 さっき追い越した兄さんが、今度は私を追い越して行った。「ボンジュール」
15:12  シオンの町にやって来た。 立ち昇るのは雲のみではない。4機も、6機も、ジェット戦闘機が飛び出していく。 空を舞う。 丘の向こうにスイス空軍基地があるらしい。
16:34  ちょっと暑いけど絶好のサイクリング日和りである。空は青く澄み渡り、雲が雪山をかすめて行く。 追い風だ。 もう少しでシリオンの町だ。
17:38  360度全天パノラマだ。カメラに収まらない!
 
遥か彼方に三角帽子の形をした雪山が見えて来た。道路行く手、真っすぐ向こうだ。 『多分あの辺りの麓(ふもと)がブリッグの町であろう。』、と想像した。 その町が今日の目的地であり、明日のアルプス越えの出発点となる。 宏は走りに走った。 幸いにも追い風! 道はわずかに登り坂ではあるが、負担にはならない。 その三角帽子の雪山は、少しずつ、少しづつではあるが、大きくなって来る。
 道路の両脇には背の高い並木がならび、リズミカルに自転車のそばを過ぎて行く。 その並木の間から、夕日を浴びた山々が刻々と色と形を変えていく。 昼間あった雲はほとんど消え、雪山は光り輝いている。 さらに自転車は進む。
 野中の一本道のそばに小さな水路が並行して走っている。 その水路の橋の上で、宏は小休止を取った。 三角帽子の雪山は、水路の向こうにどっかと陣取っている。 その山は「目」を持っていた。「一つ目のおばけ」、とも想像したが、妙に愛嬌がある。「白マントの人」のようにも見える。 車はほとんど走らない。静かだ。夕日だけがギラギラと後方から照りつけている。
  更に走った。 わずかに道は左に曲がり、三角帽子の雪山が見えなくなった。 右手より小川が流れ来ている。 小川に沿って登山電車の線路が谷間を登っている。幅の狭い小川だが流れは早く、石を積み上げた土手も高い。雪解け水がまだ流れているのだろうか、川底の小石が一つ一つ見えるほどに透明度が高い。 宏は路辺の素朴な水飲み場で、頭から水をかぶった。
 風はひんやりとして、短パンの足に心地よい。 もうブリッグの町は近いのだろう。『 この山向こうがシンプロン峠への道かもしれない。そろそろ宿探しをはじめなければ・・。』  この山の中での野宿は(宏の持つ薄い寝袋では)凍え死ぬ危険性がある。 ブリッグまで、あと10キロは有りそうだった。 『その間にペンションでもあれば泊まろう。』と思いつつ、勢い良くペダルを踏み出していった。

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2009年4月29日 (水)

16)、挨拶(あいさつ) exchange greetings

 ヨーロッパの人々は皆陽気だ。 この旅を始めて間もないある朝、宏は例の如く道に迷いつつも「 多分こっちの方向!」と、田舎町の明るい住宅街を走っていた。 簡単な木の柵が庭と道路とを隔てている。 前方にかなり年配のおばさん二人が、井戸端会議を行っている。その笑い声は遠くからも聞こえた。 宏は近づくと、何時もの様に気軽に挨拶(あいさつ)しながら、自転車を止めた。 声のした方向に振り向きながらも彼女達は まだ、ほがらかに笑っている。
「 道に迷ってしまった。ここはどの辺り?」と、地図を示しつつ聞く。 こういう場合、地図を真面目には見てくれないので、「ここぞ」と思う地名をローマ字読みしながら、「あっちの方向か?」と指差してみる。 この辺りから宏も、井戸端会議に加えてもらえることになる。
 珍しい日本人。面白い話題の提供は、道を尋ねる者の義務と宏は信じている。 一人は英語が少し、もう一人は現地語とドイツ語が話せた様だった。 30分余り カタコト会話 を楽しんだ後、「このボタンを私のために押してくれませんか?」と、カメラを渡した。
素早く(ちゃっかりと)、もう一方のおばさんの側に立つ。 シャッターは押され、返してもらったカメラをケースに収めようとしたその時、おばさんがすまし顔で「 私ら二人を写してくれ 」と言っている。 『 フィルムがもったいない。』と内心では思ったが顔には出さず、『 国際サービス 』と割り切ってご要望にお応えする。
直後に写してくれと言ったおばさんが「ゴニョゴニョ」と現地語で何かしゃべった。目が少しいたずらっぽく笑っており、その目をそらす様にしてしゃべった。 気になってもう一人に「何てしゃべったのか?」と、聞くが、「教えてあげない」と、二人で笑っている。 そう言われるとますます気になって、執拗に聞き返す。 ついに英語に訳してくれた。
「日本に帰ってから写真の下に、『 親切な二人のおばさんに会った。』と書いておきなさい」と、言ったんだそうだ。
 旅も終り頃 になるといちいち自転車を止めて道を尋ねるのも、面倒になってくる。 老眼の始まっている宏は、自転車のスピードを緩めないまま、片手で近眼用のメガネを外し、移動しながら地図に目を近づけて、地名をチェックする要領を覚えた。
行く先の地名をチェックしておいてから通りがかりの人に、「メッサの町はこのずーっと向こう?」と、指さしながら大声で聞く。 聞かれた方も心得たもので、「スイ、スイ、スイ(そうだ。そうだ)。あと、30キロメートル。」と、答えてくれる。「グラッチェ(ありがとう)」という短い会話が成立する。
 陽気なイタリア人との出会いの一コマである。 東京ではこんな会話は到底無理であろう。
  スイスのある丘の小道、夕暮れのことである。
向こうから中学生らしい娘さん3人が、自転車で近づいて来る。( 宏は夕日を浴びながらペダルを踏んでいる。) 今夜の宿のことが気になって、3人娘が目には入っていても気が付いてはいない。 突然歌うように、「ボンソワール。ボンソワール。ボンソワール。」と、声を掛けられた。 あわてて、「ボンソワール(こんばんわ)」と応え返す。 牧歌調の景色の中で、『 この辺りはフランス語圏なんだな。』と気づく。 娘さん達の姿はもう丘の向こうに消えかかっていた。
 この後宏は、運よく田舎の安ホテルを見つけている。 3人の天使に逢ったような、爽やかなイメージが脳裏に残った。

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