X・・ヨーロッパ縦断・自転車1

2009年12月27日 (日)

24)、ピサ駅前の広場にて。In the Plaza of the Italy city Pisa station waiting for a train to Rome.

 暖かい夕暮れ の駅前広場。 宏はベンチに腰掛け、ナポリ行きの夜行列車をぼんやりと待っている。満足感はあった。充分な達成感に満たされていた。出発時間には まだ5時間以上あり、引き返して"ピサの斜塔"のそばで過ごすことも可能であった。しかし、それはしなかった。引き返さなくてもその情景は眼に焼き付いていて離れなかった。それほど強烈な印象を 白亜の寺院 から受けていた。
 斜塔は予想外に大きな建物であった。それが天に向かって斜めにそびえ立っている。それだけではなく建物は他に2つあり、それらが一体となってこれまでに見たことのない形の白く美しい寺院を形成している。
そこで2時間近く過ごしたのであるが、飽きなかった。写真も沢山撮ったが、キツネにつままれていたような気もする。 今行ってみたら「消えて無くなっていた」というようなことが起こりそうにも思えて、引き返さなかった。
自転車はすでに折り畳んでバックに仕舞い込んでおり、リュックが一つ側にある。付近にはベンチが幾つかあって、列車を待つ人々がイラつく様子もなく、過ぎゆく夕暮れを楽しんでいる。
 
宏の横にも何人かの人が、入れ替わり立ち替わり座ってくる。どちらからともなく話は始り、ピサの良さ、旅の良さ を語り合う。自分の出身地の話をしていく。そして時間が来ると、"さよなら"をする。
一人に戻るとまた思い出にふけったり、日記を取り出して何か書き留めたりしている。『 意外に早く時間が経って行く。日本から持ち込んだタバコの残りが少ない。あと一箱あるだろうか?』 この3本が最後かもと思いつつ、ヨーロッパを汚すまいという信念で捨てないでケースに保持していた"吸いくさし"4本を取り出した。"しけモク"だ。
 こんな事を書いている最中に「一本くれ。」と言う中年のおじさんが来た(多分乞食である)。身なりは悪くないので「やろうか」とも思ったが、なにせ残りわずかだ。笑いながら、"吸いくさし"の並びを指差して『オーノウ( OH NO!)』のジェスチャー。 タバコ吸いも困ったものである。
『 自転車を愛する人の多くは、タバコは良くないという信念を持っておられるようで、私のようなヘヴィースモーカーは少なかった。それでも段々と吸う本数が減り、一日10本程度までに減った。止めればいいのに、とうとう"ピサ"まで来た。まあここまで来れたのだから、タバコも「よし」としようか。』
 退屈はしていなかった。旅の満足感に浸っていた。 水は噴き上がってはいなかったが、大きな噴水が正面に見える。そのほとりで(彼女達も夜行列車を待っているのであろうか)、中学生20人位が、歌ったりしゃべったり、動物の鳴き声をまねてふざけ合ったりしている。 その明るい笑い声は、ピサ駅前の雰囲気によく溶け込んでいた。

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21)、港街、ジェノバでの一夜。Harbor City: is talk spent the night on the shores of Genoa. Of course it is a homeless!

 アペニン山脈を越えた。峠には一方通行の小さくて古いトンネルが掘られており、信号待ちして進む。  この峠を下るとジェノバ。地中海だ。今夜はそこに泊まろう。』 宏は汗をかいた服を着替え、ズボンをはいて"正装"し、峠のレストランで一人、ワインで静かな乾杯をした。
 これが最後の峠であり、あとは海岸沿いの平坦な道が続くだけ。』 と思っての乾杯だった。実はこの後、大変な事態が待ち受けているのだが、宏は知る由もない。安心し切っての"ワイン"だった。
 峠を下る途中で小さなペンションを見つけ、立ち寄ってみた。英語が分かるマスターが応対してくれた。 ここで宏は欲を出し、宿賃の値切り交渉を始めたのだが折り合わず、"さよなら"することになってしまった。
それからである。探せども探せども、空いた部屋が見つからない。 峠の下り坂も終わり、ジェノバの街中に入っても、どこもかしこも塞がっていた。
 そのはずである。 その日は土曜日の夕方であった。
イタリア第一の港街であるジェノバは、アベックで満ち溢れており、彼らがホテルというホテルを占領していたのだった。 日はとっぷりと暮れ、生暖かい風が肌をかすめる。 その手の女性が数十名、20メートル間隔で客を待っている地帯を通り過ぎた。
『 彼女たちは客と寝る場所を、きっと確保しているのだろうな。』という想像は出来た。しかし、『 恐い 』とも思ったし、『 妻に申し訳ない 』とも思った。 そう思いながら、ペダルを踏む力を強めた。 街角に立つ警察官にも尋ねてはみたが、らちがあかない。
既に11時を回っている。遂に宏は意を決した。野宿である
 ベンチで一夜をあかすしかない 』 「イタリアは危険」という忠告が何度も脳裏によみがえる。まずは腹ごしらえにハンバーグを買って食べた。
 ジェノバの港の西の外れに街灯に明るく照らされた広い煉瓦通りがあった。アベックが多い通りで、人目をはばからず、岸壁のあちらこちらで濃厚なキスシーンを演じている。 『 ここが一番安全!』と判断し、ベンチに座って夜の更けるのを宏はじっと待った。
 一度たばこをせがむ"やから"が声をかけて来たが、毅然として追っ払う。『 アベックは怖くない。子供連れも怖くない。酒に酔った男数人がかたまって近付いて来ると、流石に緊張感が高まる。』 ただ、顔にはその"緊張"が表れないようにして、平静を装う。
 真夜中の1時を過ぎると、さすがの港街も ぶらつく人は少なくなる。おもむろに寝袋を取り出し、自転車と荷物を目立たないように置き直して眠った。役には立たないとは思ったが、荷物・自転車・自分の腕 をワイヤーロープで結んで寝た。『 襲われたら、襲われた時のこと。』 ことここに至っては仕方がない。 とにかく疲れて寝入った。

 3時間ちょっとの間があっという間に過ぎた。空はわずかに白みかけている。荷物も自転車も無事であった。 おもむろに寝袋を這い出し、岸壁で海風に当たった。無事であったことにホッとし、タバコを深々と吸った。

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15)、飯代をケチる'Rice fee I can save' that is a story. Ended up being mistaken for beggar!

 朝起きて顔を洗ってご飯を食べて・・・と書く日記を”飯食い日記”という。 私が最も嫌う文章パターンだが、なにせ[ 衣 食 住 ]は生活の基本だ。 旅の中ではこれがどんどん変化する。この食事の話に触れない訳にはいかない。( 脱線ついでに書きましょう。) この1か月の旅の中で、宏はたった3度だけ、レストランで豪勢な食事を取っている(ベルギーで2回、スイスで1回)。いずれも日曜日の珍事件。
  ベルギーでの豪勢な昼食・夕食
朝食をユースでしっかり取ってブリュージュに向かった旅の最初の日。 途中のアールストの町まで来ると12時近い。 自転車に取ってのガソリンは飯だ。さすがに空腹を覚えた宏は、オープンしている店を探してグルグルと回る。 たまに大衆レストランを見つけて入ろうとするが、中はごった返しており、「あと30分待って」と、申し訳なさそうに宣告される。
『 一人ぐらいなんとかなるであろう。』と思うが、若いマドマーゼルは中に入れてくれない。『 身なりがいけないのかな?』とも思い、リュックからズボンを取り出して短パンの上に重ね着して、頼み込んでみた。が、駄目! どうやら彼女達はテーブルを一人で占拠されることを嫌がっているらしい。 宏は(相席)でも構わないと思っている。『相席の方がいい』と考えているのだが、その地方の習慣の違いからか、フランス語圏のため よく分からない。 宏は次第に焦ってくる。
 ついに意を決して高級レストランのドアを押した。 ここでは空いたテーブルがあり、奥の方に導かれて行った。 7、8人が窓際のテーブルで、食事を共にしている。 奥は薄暗く、テーブルに着くとすぐに真新しい蝋燭(ろーそく)に火が灯され、辺りが少し明るくなる。 フランス語のメニューを渡されるが、読めない。 わずかに通じる英語と、わずかに思い出せるドイツ語とで、「自転車でブリュッセルから来たところで、大変お腹が空いている。」と伝える。
「これが美味しい」と推薦してもらったステーキ料理は、確かにおいしかった。ワインも勧められるままに取った。ドイツ語で「1グラス分でいい。」と伝えたつもりであるが通じないで、勢いよく一本抜かれてしまった。美味しい白ワインではあった。空腹感はなくなった。
ウエイターもリップサービスに努めてくれたので、(旅行ガイドブックの知識に従い)10%のチップを付ける。 随分と高い昼食となった。 窓際のグループの食事はまだ続いている。ヨーロッパの人々の食事の楽しみ方ビックリすると同時に、『昼食にこんなにお金を使っていたら持ち金が足らなくなる。夕食は質素にしよう。』と思った。そう思いつつも、「俺は酔っぱらっただ~。 ・・ 天国にいちまっただ~(日本語の歌)」と歌いながらペダルを踏みだしていった。
 ブリュージュのユースに到着し、同部屋となったドイツ人・フランス人の二人と少し会話を楽しんだ。 6時過ぎになった。「後で食事に出掛けるが、君も一緒にどうか?」と誘われた。 「市内見物に出かけたいので」と言って、宏は断った(内心では夕飯をケチりたかったのだ)。
広場の大時計の針が8時を回った頃、あの二人と出くわしてしまった。 当然、「一緒に」と話がまとまる。 またまた暗いレストランに連れて行かれてしまった。 『・・、夕食の440ベルギーフランは辛かった。今後は工夫すべき。』と日記に、反省の弁を書いておいた。
  『明日朝まで食事抜き?』の恐怖
 
次の日曜日はドイツのケルンで迎えたが、何とかお金をかけないで夕食を済ますことができた。 その次の日曜日がスイスのバーゼル近郊。 ドイツ国境を朝方越え、いきなりの日曜日の昼食だ。(宏は朝飯抜きだった)。 勿論バーゼル市内には大衆レストランはあった。が、スイスフランにまだ慣れない宏は「高い」と感じ、通り過ぎた。
1時を回って2時近くになっても、沿道で食料が手に入らない。手持ちのチョコレートなどは既に食べつくしている。 突然思い出したように、『 今日は日曜日だ。下手をすると明日朝まで飯抜きになる!』 と、焦り始める。
 こうなると人は弱い。とにかく食事にありつける所を手当たり次第に探しはじめ、沿道から1キロ以上離れた一軒のレストランにたどり着いた。(以下はその日記)。

『 昨日の日曜日は最悪で、スイスに入った直後だ。 街中の教会の鐘があちらこちらで鳴り響き、皆さん休みの日。 食べる所どころか食料品を販売している店がほとんど開いていないのだ。 2時過ぎになって、『こりゃあ大変』と思い、レストランに飛び込んだら、ボンジュールのかわいいお姉ちゃん! 隣のテーブルで配膳した後の余った料理までどんどん運んで来てくれて、私の皿に盛り足してくれる。 たら腹食い貯めたが、最高に高い物についた。 チップを10%あげたが、あの喜び様から察するに、スイスではチップの習慣が薄いようである。』
  ヨーロッパ旅行中の乞食?
 
ドイツのバーデンバーデンの近くであろうか、小さな村で夕方を迎えた。 少々空腹を覚えた宏は、小さなスーパーを見つけて自転車を止めた。 明かりは点灯してなかったが(中に人影があったので)ドアを叩いてみた。 50才前後の背のあまり高くない"おばさん"が、いぶかしげにドアの隙間から顔を覗かせた。
「日本から来た旅行中の者です。食糧が欲しい。入ってもいいですか?」 「・・どうぞ・・」と、躊躇気味にドアを開け、店内の蛍光灯のスイッチを入れてくれる。 宏は気にもかけずにドアを押して入り、商品棚を物色していく。
 おばさんは恐る恐る(?)宏について歩く。食パンを取り、バナナを取る。更に缶詰棚の前に立ち、「(缶切りを持っていないが)これを食べる事ができるか?」 「これを食べたいのですか?いいですよ。開けてあげましょう。こちらに来なさい。」と、レジの奥に案内してくれる。
 缶切りとお皿を出してくれ、ナイフとフォークまで貸してくれる。宏は缶詰を開けて食べ始めた。(おばさんはそばで見ている)。 食べながら昨日はどこどこ、今朝はどこそこから走って来たと話をする。 その内に水が欲しくなって、「ヴァッサー(水)が欲しい」
「わかった」と言いながら、商品棚からミネラルウオーターの瓶を持ってきた。 「違うんだ。コップの水が欲しい。」と、蛇口をひねるパントマイムをする。「ウン、ウン」と うなずきつつ、コップに水を汲んで来てくれた。 「バターをパンに付けますか?このオレンジ(機内食で出てくる小さなパック)は食べますか?」 「ありがとう。」
 段々とテーブルの上が豪勢になってくる。
満腹になったところで、「残りのパンを持って行ってもいいかな?」と聞くと、包み紙をくれた。 「満足しました。いくらですか?」と聞くと、「お金はいらない」 との返事。 この時点になってやっと、自分が乞食に間違えられていることに気が付いた。
 宏は笑いながら、「お金を払わない訳にはいかない。これら食べた物は貴方の店の商品だ」 「いい。あげます」 と、押し問答している内に、「ちょっと待って」と言って、電話をかけ始めた。 「今、私の息子がやってくる。ウニヴェルジテート(大学)に行っており、英語が喋れる」。
 既に誤解は解けていたが、おばさんはまだ、「プレゼントする」という。「わかった。バターとオレンジは有難くいただく。しかし缶詰とパンは払わせて下さい。いくらですか? ここに値段をリストUPして下さい。」と言いつつ、ウエストポーチからボールペンを取り出し、皿の上に乗っていたナプキンを渡す。 しぶしぶ値段リストを書いてくれた。 やって来た息子に事情を説明し、みんなで大笑い。(握手して)宏は、その店を出て行った。
  朝の食糧調達の習慣
 
スイスでの2日目の朝は、料理しないで食べられる食品を手に入れるのに苦労した。スイスにその習慣が薄いらしい。 朝食なしのボロのペンションに泊まっていたこともあって、お腹がペコペコ。 9時過ぎになってようやく食料品店を見つけた。
「サンドイッチが欲しいんだ」と叫ぶように言う。 察しの良いおばさんが、「肉を選びなさい」と指差しながら何か言う。「この肉を!」と、宏も指差す。大きな肉塊をスライスしてくれる。彼女が更にパンを指差して挟む仕草をする。「そうだ」と宏は首を縦に振る。
「ここで食べてもいいか?」 「いいですよ」と言いつつ首を縦に振る。 もう一つ作ってもらい、ジュースやバナナなどを仕入れて、ローザンヌへ向け出発して行った。 朝から大量に食料を仕入れると荷物にはなるが、これだけは必ず実行する習慣が身に付いた。
 ケチケチの貧乏旅行も、既に半ばを過ぎている。

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11)、ジプシー風の女性と、Gypsy like woman I met on the train.

 アイセル湖北端を抜け出て10キロほど進んだ所に小さな港町があった。ハーリンゲンの港である。 熱いコーヒーとトーストにあり付いた宏は、その駅から電車に乗ることにした。旅の北限の町。と同時にオランダでの最後の町となる。 少なからずの達成感はあった。いよいよ南下だ。
 宏の計画は、五段階に分かれていた。 第一は、今終えたベルギーからアイセル湖北端までの、北海沿いに走る旅。 第二は、ライン川沿いにスイス国境のバーゼルまで、ドイツ国内縦走の旅。 第三は、スイス国内のアルプス越え。 第四は、イタリアのピサの斜塔までの旅。第五は、「おまけ」というか、ゆとりとしてローマ辺りで時間調整。
 安い航空券の関係から、6月23日夜のローマ宿泊は絶対であった。その他、一切の時間的制約は排除してある。 宏は保険嫌いであった。ただ、日本から持ち込む自転車の盗難は心配していた。『自転車を盗まれると、全ての計画が狂う』。このたった一つの理由から28日間の保険に加入した。成田到着の25日は適用外。計算を誤ったかもしれない。
 「神は気まぐれ」は、宏の口癖である。 この辺りを大自然という神はどう審判なさるのか。 ともあれ、第一段階は無事終了。 第二段階は今、始った。 宏はドイツ国境の街エメリッヒ行きの切符を手にしている。 車中では装飾品を造って売り歩くというジプシー風の若い女性と、隣り合わせに座った。
「どこに住んでいるんですか?」
「オランダの北の方。ドイツ国境に近い辺り」
「装飾品はどうやって手に入れるんです?」 「父が造るのよ。父が出かける時は私が造る」
「そー。じゃあお父さんが居ないときは、君が社長さんなんだ」 「そんなところよ。フフフ」
「いつもあちこち売り歩くのですか? 楽しそうですね」
「それなりにね、楽しんでる」
 彼女は手提げ袋からタバコの包みを取り出す。まだ紙にくるんでない千切りタバコであり、それを器用に紙巻きタバコに仕上げて吸っている。巻き上げたあと、細い舌を出して唾でくっ付ける仕草がなんとなく色っぽい。 宏はもの珍しそうに見ている。
「あなたもやってみる?」
「トライしよう」。 すぐ乗って行く。 道具一式を受け取り仕掛ったが、仲々うまくいかない。 「こうやって巻くのよ」 彼女は巻いて見せ、舌を出そうとして一瞬動作を止め、宏を上目使い見た。「自分でやりなさい」と手渡す。
 吸ってみるとかなり軽いタバコであった。詰め方で強さが変わるらしい。 座席の回りに煙が立ちこめていく。
 しばらくして彼女はまた何か、白い粉薬のようなものを取り出した。「やってみる?」 これにはちょっと躊躇した。 「こうやるのよ」 彼女は手の甲羅に少し粉を乗せ、鼻の近くに持って行き、反対側の手で手首を叩いて、タイミングよく飛び跳ねた粉を吸い込んで見せた。「やってみなさい」 とさらに勧める。 しかたなくトライしてみた。 メンソレータムのようなきつい味と臭いがした。ハッカの刺激にも似ていると思った。
「私、時々占いもやるのよ。占ってあげようか」
「やってみて」  しばらく沈黙が続いたあと、おもむろに彼女は少しいたずらっぽく宏に向かって言う。
「あなたは雲を運んで来ているわね」 「雲?」 「そう、黒雲。雨に遭うわよ、きっと!」 「嬉しくないね、自転車乗りには」 「何回も遭いそうね」 「天気予報がそうなっていたのか?」 「違うわ。占いに出てる!」
 
窓の外はうす雲はかかっているものの、お陽さまが出ており、今日は降りそうにない。宏は話題を変えていった。 旅の中で数多くの女性にあったが、彼女は少し恐い女性のような印象が残った。

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10)、若返り。関東の景色も捨てたもんじゃない

どんどん若返っている。 数十本はあった白髪もほとんどなくなり、頭髪は真っ黒に変わった。 自分でも不思議だ。 顔も、手足も、日焼けして真っ黒だ。 夕暮れの富士山がきれいだった!』

このゴールデンウィーク中、宏は体力チェックのため自分の住んでいる相模原を中心に、近県を動いてみた。 まずは八王子から青梅辺りまで。 次の日は一気に小田原まで往復。 帰宅は夜の10時頃となった。 一日置いた次の日は湘南海岸を走って城が崎で一泊し、三浦海岸を回って帰ってきた。

5月連休の最後の頃、旅行社との打ち合わせやユースホステル会員券のこともあって、新宿まで出かけた(勿論自転車)。 東京にもユースはいくつかあって、飯田橋には高層ビルの17階にも在った。 ちょっと恥ずかしくはあったが、その日思い切ってそこに泊ってみた。

「東京観光に便利がいい」ということで、海外の若者のたまり場にもなっている。同部屋となった大学生と一緒になって、外人ハンティングにもトライしてみた。 向こうに行ったら否応なしに話さなければならないのだ。少しでも勘を取り戻しておきたかった。

こじつければいくらでも出かける所はある。 翌朝は羽田に飛行機を見に行った。 『ひょっとしたら生きては帰れないかもしれない。』と大げさに考えて、洗足の伯父さんの家に立ち寄たりもした。 万一の時を考えて府中市に住んで居られる会社の上司宅も、自転車で訪問した。

関東の景色も結構いける。日本の風景もすてたもんじゃない。』

毎日行ったり来たりしながら、総計500キロ位を走った。段々と体力も付いてきた。 「そんなに走っていたら、ヨーロッパに行くまでにバテてしまうんじゃないの」と、妻は宏をからかう。 「ヨーロッパは止めて国内旅行にしたら」 とも言う。

かなりの距離を走ってみたのは自転車の乗り慣らしの意味もあった。ねじの緩みは自転車屋の兄さんが直してくれた。 自信も付き、少し楽天的になってきた。 仕事のことは忘れ、宏の頭の中にはアルプスの山々と、地中海の明るい海岸線イメージが次第に広がっていった。

迷い   宏はチャージ休暇をどう過ごすかについて、会社ではほとんどしゃべらなかった。 友人にきかれると、ただ、「ヨーロッパを旅行してくる」 とだけ答えた。次の質問は決まっている。 「奥さんと二人でか?」 「いいや、一人で」 誰もが”けげん”な顔をした。 もっともである。宏自身も、『この年齢では妻と二人で過ごすのが一番適切なチャージ休暇の過ごし方だ。』と思っている。

『妻がその気なら自転車での旅行をすんなりあきらめ、パック旅行で済ませたい。』 これは夢を捨て去るきっかけとして充分な理由となり得た。 しかし幸か不幸か、彼の妻は最近働き始めていた。 「休みを取るのは無理よ。一人で楽しんで来なさい。お金もないし。」

本人はあっけらかんといっているのは分かるのだが、宏にとっては相当にこたえる妻の言葉だった。 『 出来得る限り、安くやって来なければならぬ。』  新たな旅の条件が加わってきた。

6年前(長女が中学2年生の時)、あるきっかけからヨーロッパ縦断の夢がかないそうになったことがあった。某航空会社の新聞広告”夢募集”に入選したのだ。 その夢企画が、娘をダシに使った「娘と二人のヨーロッパ縦断自転車の旅」であった(特選からはもれたので、実現しなかった)。

「今回も一緒にどうか」と、誘いかけてみた。 「お父さん一人で行って来なさい。私は一人でスペインに行くんだ。」と、つれない返事が返ってきた。

宏はまだ、ぐずくずと思い悩んでいる。そんな訳でほとんどの友人には、自転車で縦断してくる事を明かさなかった。 もっとも『打ち明けたい』という気持ちも一方にある。 公言することで、気持を固めたいのである。 出発の2週間前(航空券を手に入れるまで)、宏の気持は揺れ続けていた。

5月28日、成田へ  とうとう始まった。成田までは遠い。5時半起床。娘達も見送ってくれた。 妻にたびたび「危ない事はしないでね。」と言われたのには閉口した。 『危ない限界を確かめに行くのだ。危ない訳がない。』とは言えない。 一応の準備はした。あとは成り行きでその日その日の臨機応変を自分に求めていこうと思っている。

上野で京成電鉄に乗り換えた。荷物が肩に食い込んで重い。自転車はバック込みで15Kg。 航空機の重量制限一杯の荷物をリュックに詰め込んである。 最悪を考えて寝袋も入れた。サイクリング友達の中には、「テントも持って行くべきだ」 「チェーンの予備も、タイヤの予備も持って行くべきだ。自分なんかはボールベアリングまで持っている。これがサイクラーの常識だ。」 とか何とか色々と助言してくれたが、止めて正解だった。 とにかく重い。

軽装備に多少の不安を感じつつも『 これで充分!』と自分に言い聞かせながら駅の階段を登っている。 シャツもズボンも予備はない。 必要なら現地調達を決め込んでいた。

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2009年5月16日 (土)

25)、1万メートルの上空より。Overlooking the 10,000 meters than came traveled by bike routes!

 宏はその後数日を、ナポリ・ローマ辺りで過ごした。 観光の島"カプリ"で少し贅沢してみたり、散髪したり、ソレントからナポリへの途中でポンペイの遺跡に立ち寄ったりしながら、日程調整し、予定通り 6月24日朝、ローマ発ブリュッセル行きの飛行機に乗り込んだ。
 窓側の席に座って外を眺めている。
 飛行機は一旦海上沖合いに出、それから海岸線に沿って北上を始めた。 空は雲ひとつない快晴で、いくつかの島も海岸線も、まるで航空写真のごとくに、くっきりと見渡すことが出来た。
後ろにベルギーの娘さんが座っていて盛んに歓声を上げ、宏に話しかけて来た。フランス語はあまり良く分からないが、こちらは英語で感動をしゃべる。 お互いに窓の外を見つめながら!感嘆!の声を上げている。
 見たことのあるような海岸線が現れて来た。 大きな半島が海に向かって突き出ている! 宏が苦労して越えたラスペチア付近の海岸だった。 「 飛行機は現在、ジェノバ上空を飛んでいます」と、機長のアナウンスが入る。
 その通りであった。 この海岸線を走ったのだ。 このアペニン山脈を越えて来たのだ。 向こうの方に大きな湖が、幾つか見える。 イタリア北部の湖であり、そのほとりを走った記憶が蘇(よみがえ)る。 高い山々、雪山が現れる。
 『 アルプスだ!』 入道雲が巻き起こり、山々の立体感を増している。視界を妨げない適度な雲であり、遠くの谷深くまで見渡せる。 宏は機内雑誌の航路地図を広げてみた。『 ローマ・ブリュッセル間を結ぶ航路からすると、そろそろ"レマン湖"の上空に差し掛かるはず・・』 と思っている内に、特徴あるV字形の谷が 現われてきた。 谷に沿って道路がくっきりと識別できる。幅の広いのが高速道路、並行して走っているのが、宏の走った一般道路だ。
 また機長のアナウンスが入る。「ただいま我々はモンブラン上空を飛んでおり、まもなく本機は、ジュネーブ上空に差し掛かります。この湖はレマン湖 ・・・ 」
 期待もしていなかった事だが、その飛行機は上空1万メートルの高さより 素晴らしく澄んだ好天の下で、宏の走ったスイス・イタリア間のコースを見せてくれた。 偶然とは とても思えなかった。『何か大きな力が働いて、大自然が自分にプレゼントしてくれたのではないか』 と 思った。
ジュネーブからはフランス上空を飛び、ライン川 こそ見えなかったが、それでも小さな家々、街、森、畑・・と、上空からの景色は存分に楽しめた。 『 つくづく自分はラッキーな男だ。』 と思った。
 ブリュッセルであわただしく乗り継いで、今、宏は成田行きの飛行機の中にいる。隣には「目白に住んでいる」という年配のご婦人が眠っている。 ガタガタと、ひどく揺れる飛行機だ。 出発も30分以上遅れた。ふと、自分の自転車の事が気にかかる。
『 ブリュッセルで首尾良く、この飛行機に"積み替え"られたかな?』 またガタガタと大きく揺れ、隣のご婦人も目を覚ましたようだ。急にシートベルト着用のサインが点灯し、ちょっと周囲が ざわつき始めた。 アナウンスがあった。しかし宏は、自分でも不思議なほどに落ち着いていた。
もう何が起こっても満足である。が、出来る事なら、許されるなら、無事に日本に帰り着きたい。」 最後にそう書き留めて、日記と撮り終えたフィルムをビニール袋に仕舞い、少し膨らませたままチャックを閉じた。それをウエストポーチに納めてから、おもむろに前傾姿勢を取った。 耳がツーンと鳴った。

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2009年5月12日 (火)

23)、"ピサ"への道。Cities in Italy [Pisa] to the way I ran hard on a bike.

 ラスペチアには寄らなかった。 ホテルでもらった観光案内地図によると、宿泊地点の峠は、海岸からかなり離れている。 もう峠を上り下りするのはコリゴリであり、川沿いに真っ直ぐ"マッサ"の町を目指すことにした。
マッサの町の その向こうが、夢にまで見た"ピサ"の町だ。まだ雨は残っていたが、早めに出発! "吊り橋"があり、"古い橋"があり、通行止めの橋の横に大きなセメント管を並べただけの"特設の橋"があり、その上を通って、ズンズン進む。
 人家が増えて来た。車の数も増えて来た。 大理石の石切り場があるのか、あちらこちらに大きな石を集積した"石置き場"が目に付く。 立派な"お城"も沿道近くの丘に、幾つかあった。 この辺りは観光コースから外れているらしく、ダンプカーの方が乗用車より多い。
 貧しい地域なのであろう、乗用車のなかでも、軽自動車が目立つ。 日本では見かけなくなった三輪車が何台も走っている。懐かしい気持ちにもなり、後ろを押してやりたい気持ちにもなる。
 マッサの町近くで、ミラノから続いている高速道路と並走するようになった。 この高速道路は、ここに来るまでに何度も見かけたものだ。宏の登っている峠道のはるか下方を、トンネルを連ねて走っていた。 今は恨めしくは思っていない。 苦しかった昨日の出来事も、既に思い出の1ページと変わっている。
 距離計を付けていないので正確には分からないが、2500キロは走って来た。朝から晩まで走り続けてきた。アムステルダムで都会は嫌いだと思って以来、毎日毎日、大自然の中を走って来た。人々の素朴な心に触れて来れた。今日の夕方にはピサの町に着く。 ガリレオと逢える。ガリレオが大小二つの鉄球を落として見せた建物と逢える。
『 期待は落胆を生み、偏見は不幸を生む 』とは分かっていても、"ピサの斜塔"を思うとき、ワクワクしてくる気持ちを抑えられなかった。宏は今、20代の青年そのものであった。
 急に車が増え
道路も複雑になって来た。道路標識を見失って高速道路に入りかけ、あわてて引き返してきて地図を見ながらウロウロ、キョロキョロしている。『 どうも良く分からない』。 街角で信号待ちの車の窓ガラス拭きのアルバイトをしている青年達が数人"たむろ"していた。他に尋ねる相手も見当たらず、ちょっと雰囲気は怪しかったが聞いてみた。
「あんたが進もうとしていた道はグニャグニャと込み入っていて、遠回りだ。引き返してあっちの道を走れば23キロ位で、ピサまで行ける。」 と、盛んに説明してくれる。しかし、「それは自動車専用道路の話ではないのか?自転車では通れないのではないか?」と、宏はグズグズしている。その青年達はなにか早口でしゃべり合っていたが、急にその一人が原付にまたがり、エンジンをかけた。
案内する付いて来い」。原付とはいっても、自動車には変わりない。 自転車で追っかけるには、かなりキツイものがある。 宏が遅れると、交差点の入り口など、要所要所で待っている。 やはり、さっき紛れ込んだ高速道路入口を、先導の原付は入って行く。
時々後ろからクラクションを鳴らしながら車が追い越して行くが、『 まあいいや 』と後を追っていく。 結局、1キロ近く複雑な道案内をしてくれて、走るべき道に無事たどり着けた。有り難かった。『 人は見かけで判断してはいけないな。イタリア人も親切だ!』
 高速道路と並走する一般道であり、他の車は時速100キロ位でぶっ飛ばしている。 当然、向こうの高速道路では、もっともっと早いスピードで走っている。 宏もチェンジを最上段に上げ、走り続けることが出来た。気持ちの良いラストスパートとなった。
 ピサまで あと少しだ

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2009年5月11日 (月)

22)、ラスぺチアに続く道は、峠、また峠!Road to‘ラスぺティア’(Italy) was a series of pass, pass!

 ニースからジェノバ・ラスぺチアに続く 通称リビエラ海岸には、アペニン山脈が迫っており、切り立つ海岸が続いている。 野宿明けの宏は、荷物をまとめ(人の来ないうちに)、早々と出発した。 海岸端を登っていく事が、初めのうちは、特には気にならなかった。
  朝日が昇るに従い、海の色も黒から明るいエメラルド色に変わっていき、海岸に白い波となって打ち寄せている。 北海とも太平洋とも異なり、寝不足の宏にとっても、清々しい景色であった。 しかし、段々と足が重くなってくる。 朝早くから動き出したが、コーヒー一杯飲んではいない。
 初めて見るオリーブの艶やかな葉の輝きにも感動を覚えなくなるほど、お腹が空いて来た。 疲れていた。 日差しが暑い。 やっと見つけた喫茶の出来る店で、ショートケーキと小さなカップのコーヒーにありついたが、腹の足しにはならない。
 知らなかった。イタリアのコーヒーは量があんなに少ないことを知らなかった。 牛乳たっぷりのアメリカンコーヒーを、ガブ飲みしたかった。 坂を登ってまた下った。 すぐにまた登りである。 [ ラスペチア 95 ] という道路標識らしき看板を目にする。
『 95キロ? 嘘だろう。』 と思ったが、どう考えてもそうとしか解釈できない。宏の持つイタリア全土の地図を見ても、そんなに距離があるとは思えない。 訳が分からないまま、また坂を登り始める。 意識が"もうろう"としてきた。 たまらなくなって坂道の少し広くなった場所で、仮眠を取った。

 パトカーらしきサイレン音で目が覚める。あわてて寝袋を丸める。『 な~んだ。自転車レースの伴走だ。』( ツール・ド・フランス のレースではない様だが)派手なサイクルパンツをはいた何十人もの"お兄ちゃん"達が、目の前を走り過ぎて行った。
 今度の坂は、やけに長い。『 どこまで続くのだろうか?』 思い出してみるに、朝の出発から何度か上ったり下ったりして来たが、その度に坂は長く・高くなって来ている。 坂道はまだ続いており、海面は足元、かなり下の方に見える。おまけに道は海岸から離れ始めた。
 不覚であった。
『 ジェノバから先は平坦な海岸沿いの道 』と、勝手に解釈していたのが大間違いであった。どうやら海に突き出した半島越えの道らしい( リアス式海岸?)。 ようやく向こうに海が見えてきて、宏は愕然となった。
 道は二手、[ 海岸に下る道 ]と[ 山の上に登っていく道 ]とに分かれている。足元はるか下方に海岸の村が見える。その向こうには、もっともっと大きな半島が突き出していて、絶壁の海岸には 道らしきもの が有りそうにない。 天気は良く、その気で登って来たのなら素晴らしく感動する景色も、今の宏には無駄であった。 疲れがドーッと増してきた。
 気を取り直し、また坂を登り始める。
たまに追い越していく自動車が、恨めしく思えた。 何年か前の新聞で、ヨーロッパ自転車縦断の記録がジェノバで終わっていた理由が分かったような気がした。(詳細な地図で、この坂の事を事前に知っていたのであろうと思った)。
 宏は"日本手ぬぐい"を取り出し、鉢巻替わり とした。 流れ落ちる汗を止めるためである。 「自分で選んだ道ではないか」 と、声に出して励ました。自分を励ましながら登って行った。 「自然よ、父よ、広大な父よ。 僕から目を離さないで守ることをせよ。 父の気迫を僕に満たせよ。」 と、繰り返しつつ登って行った。

 この日宏は、3時頃にとうとうダウンし、峠のホテルに転がり込んで、そのまま倒れ込むように 3時間眠った。 夕方、勧められるままに、ピザを食べ、スパゲティーを追加注文して食べた。
外は雨に変わっていた。 シャワーは水しか出ず、エレベータ横の小さな安部屋で、また眠った。 泊り客はほとんどなく、ガランとしていて、エレベータの動く音は1,2回聞いただけであった。

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2009年5月 9日 (土)

20)、ポー川付近の"小さなお城"にてUncle is near the Po River (Italy) "small castle" in friendly matches.

 ポー川 の上流域を縦断し、宏は一路、地中海を目指している。 日本と見分けのつかない野山が続く。稲穂の畑まである。 たまに教会や"お城"に出くわさない限り、「ここは日本だ」と言われても だまされそうなほど良く似た風景が続いている。
「イタリアは危険な国だ。スリ、泥棒に気をつけろ!」 と、さんざん日本で聞かされて来たが、あれは出鱈目(でたらめ)であった。『"スリ"や"かっぱらい"は、都市部だけでの話なのだろう。』 昨夜の宿探しでも、食べ物を求めて入った簡易レストランでも、会う人々はみんな素朴で親切であった。
 今朝がた、野原のただ中に出現した"小さなお城"の写真を撮ろうと自転車を止めた時、ニコニコと近寄って来たおじさん達がいた。「そっちの方向はアレサンドリアではないよ」 「ありがとう。今あの城の写真を撮りたいんだ。綺麗なお城だね。」
 しばらくイタリア語のレッスンが続いた後、「 付いて来なさい。」 と、手招きしながら、一人が先に立って歩き出した。お城の方角だ。 門の所でペンキを塗っている人がいる。 「この城は近いうちに博物館になるんだ。」 と、何となく言っていることが分かる。
「入ってもいいのか?」 「私は入れるんだ。あんたも入っていいよ。」と中庭に導いてくれた。 内部は小さいながら綺麗な庭である。都会のへたな公園よりマシであった。 紫陽花(あじさい)が咲いている。
 その紫陽花を見た途端に、自分が住んでいる相模原市のことを思い出した。 毎年6月には、この市の道路と言う道路は紫陽花が咲き乱れ、それは見事なものだ。 4月には桜が満開になり、街全体が薄いピンク色に包まれる。
「 これは井戸の跡だ。」と、今では花でおおわれている"四角い台"の解説を、パントマイム付きでやってくれる。 宏はまた異邦人に戻る。

 その城の近くには朝市が立っていた。 そのオジサンは、どんどん宏の腕を引っ張って市場の方に歩いて行く。 「これはおいしいよ」と、切り割った果物の匂いをかぐ仕草をしてみせる。その仕草で"メロン"だと分かる。値段交渉までしてくれる。 他にもサンダルなど日用品を買い込み、そのオジサンとは別れた。
そのメロンは確かに美味しかった。『 あの市場付近で、あのオジサンと一緒に食べればよかったな。』 と、後で思った。

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2009年5月 8日 (金)

19)、イタリアへ"ボナセーラ( こんばんわ )""To Italy ‘Bonasera (tonight's)’ that is the message from the article.

 このあと宏はシンプロン峠を駆け下り、一気にイタリアの"ドモドッソラ"という田舎町に入っている。 そこで困ったことが起こる。言葉が全く通じないのだ。
飛行機や電車の旅では有名な都市に降り立つことになり、大抵の場合英語が通じる。しかし自転車での国境越え、ましてやスイスの山の中からイタリアの片田舎へと国境を越えたのだ。通じる訳がない。
 
悪いことに国境で、イタリア通貨購入を忘れていた。 幸い、日本製のバイクに乗ったドイツの青年グループが通訳してくれて、宿代はスイスフランで払うことに交渉がまとまった。夕食代も「ツケ払い」である。何とも味気ない食事となった。
なにくそ!と、宏は思った。 遠の昔に、六か国語の会話集は無くなっている。「地球の歩き方」のわずかな単語のページを破り取って手に持ち、付き合ってくれそうな人を探して回る。 夕暮れ時で、陽はまだ屋根の上にある。
 泊まることになった"宿&レストラン"の前には、いくつかの椅子とテーブルがあり、数人のおじさん・おじいさん達がワインを楽しんでいた。 宏は「座ってもいいか」と身振りで示す。何も言わないのも変なので、通じないとは思ったがドイツ語で「ここに座ってもいいか?」と言いながら椅子を指差した。 首を縦に振ってくれる。
ボンジョールノ(こんにちは)」と、イタリア語に添えてあったカタカナを発声してみる。直ぐに反応があった。首を横に振りながら"天"を指差して、「違う。もう夕方だ(とでもいっているのだろう)、ボナセーラ」
 うんうんと頷きながら宏は、「ボナセーラ(こんばんわ)」と繰り返し、すぐにカタカナで書きとめる。 ワインを指しながら、「ワイン?」と語尾をあげると、「ノン。ヴィーノ」 「ビーノ?」 「ノン、ノン。ヴィーノ」 「ビール?」 「(それは泡の立つやつだ)。ヴィーノ」 と、唇を前に突き出して発音してくれる。 「ヴィーノ」 「スイ(そうだ。YES)」 「(泡の立つのは)ビール?」 「ノン。ビーレレレ」 と、 "R"と"L"の発音矯正をしてくれる。
 どこから来たのかの質問は身振りで予想が付く。 国の名前や都市名は、ほぼ万国共通だ。「ジャパン・ヤーパン・ニホン・ニッポン・・」と喋っていれば通じてくる。
「ベルギー・ベルガム、⇒オランダ・ホランダ、⇒ドイツ・ドイッチェランド、⇒スイス・スイッチェランド・・」
「アルプス(を越えて)」も通じた。 「シンプロン峠を自転車で」 と、両手を胸元で回転させて見せる。「(それはイタリアでは)ビチグレッタ」  誕生日は難しいのでパスポートを示すと、「コンプレアーノ」  肌の黒いところと白いところを交互に指すと、「ネロ、ビヤンコ」

 おじさん達も面白がって、次々と単語を教授してくれる。 こんな調子で夜更けまで、46歳の誕生日を祝ってもらう事が出来た。 レストランも閉店間際になってきたのであろう、ウエイトレスの姉さんやコックさんまで出て来て、宏を囲む人だかりは十数人に膨れ上がっていた。

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