X・・ヨーロッパ縦断・自転車2

2009年6月 5日 (金)

35)、5年~"若返る"薬

不老長寿の薬 を求める話は、聞いたことがあるでしょう?」 「何千年も前から、時の為政者が血眼になって捜し求めた話はよく聞く。それがどうかしたのか?」 「それがあるんですよ。不老長寿どころではなくて"若返りの薬"があるんですよ。私はそれを手に入れて飲みました」 「へー」

「薬とは言っても、口から飲む薬ではなくって、頭から飲む薬なんですが。それが証拠に私の頭は"真っ黒"でしょう」 「染めたんじゃないの?それともアデランスか?」 「違いますよ。染めてはいません。実は半年前までは、私の頭にも白髪が数十本有ったのですが、その薬を飲んだ途端に"真っ黒"になったんです。面白いでしょう」 「なになに、それ本当の話?」 「本当ですよ。あそこもビンビンの上向き45度。興味あります?」

という調子で宏は旅の話を広めていく。 「私もやってみよう」とは誰も言わないが、「さもありなん」とは同意してくれる。『それだけで5年は若返る。それでいいんだ。』 と思っての実践行動である。

会社からの帰り道、ある営業マンと一緒になる。 「こんばんは。お久しぶりですね」 「こんばんは。ホントだ。めずらしい」 「今も二階の電子営業におられるのですか?」 「そうです。来週の人事発令では50人くらいが退職していかれるようです。出向を含めると、もっとおられるみたいですね」

「挨拶に回って来られて、返す言葉がなくて、困ってしまいますよ」 「全くです」 「人の若さは気分次第で、大きく変わります。気の持ち方で、体力までも若返るものですが、会社もその気持ちの若さで、定年を延ばすとかなんとか、工夫してくれるといいんですが、、。」

「そう言えば、あなたは相変わらず元気ですね。何か秘訣でもあるんですか?」 「若返りの薬を飲みました」 「へえ、不老長寿の薬は聞いたことがありますが、若返りの薬ですか」 「薬とは言っても飲む薬ではなく、行動することです」 「行動ですか?」

「実は、チャージ休暇を利用して、丸々1か月、ヨーロッパを自転車で旅したんです。そしたら若返りました」 「そりゃあ素晴らしい!実は私も学生時代に自転車の趣味を持っていて、東京から九州の博多まで、3人で旅したことがあります」

「そうでしたか。趣味が合いますね」 「でも、段々と歳を取ってしまって、、。今49才ですが、子供が中学生の時に、一緒に自転車で千葉まで旅行したんです。自分の後ろを息子が付いて来ているんです。自分としては一生懸命ペダルを踏んで、かなり引き離したつもりで後ろを振り返ってみると、息子が平気な顔でついて来ているんです。あれはショックでした」

「ハハ。その若さに関してはかないませんよ。でも、持続力についての若さは別です」。 信号が青になり、横断歩道を渡りながら、「こちらの方はどうでした?」 と、手を口に当てて、パクパクさせておられる。

「現地で、場当たりで学習しました」 「へえ、」 「何とかなるものです。スイスの"山奥"からイタリアの"ド田舎"に入った時、いきなりイタリア語の世界です。英語もドイツ語も、全く通じません。まるで、未開の地に紛れ込んだみたいなものでした。

ちょうど自分の誕生日でしたので、何とか周囲の人達を巻き込んで、誕生日を祝ってもらえました」 「素晴らしい。まさに若さですね。」 駅の改札口が近付いて来る。「またいつか、武勇伝を聞かせて下さい」 「有難うございます。お恥ずかしい限りですが」 「それじゃ、また」 「失礼します」

押し売りはいけないが、天気の挨拶よりはマシだ、と宏は思う。 『 少しでも気持ちが若返る手助けとなれば、それで充分。』 そんな事を改めて思いながら、駅の階段を上って行った。

 僕の前には道はない(おしまい)    1994年 9月 30日  大山 宏

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2009年6月 4日 (木)

34)、現場から消えた女。 「なに、バスが正面衝突?」

重なると言えば、本当に事件は重なるものらしい。今度は田舎の父親が救急車で入院したとの連絡が入って来た。娘の帰国からまだ幾日も経ってはいない、10月初めのことであった。宏の家族は大騒ぎの渦の中に入っていく。

東京のおじさんが亡くなり、部下のお父さんが亡くなり、田舎の親戚のおじさんも亡くなっていた。つい最近では、会社で目をかけて頂いていた重役のお母さんの葬式にも参列したばかりであった。

田舎の母は「心配要らない」と言ってはいるが、当然、「万一のこと」も、頭をよぎる。熱はまだ下がってはおらず、大阪の姉が3日間世話して帰ったとの事。足の不自由な母が、例の頑張り気を起こして無理している様子であった。その母も風邪をひき、熱もありそうな声。

気が気ではない。動こうにも連絡さえもままならない。(話し中なのだ)。つくづく東京と田舎の距離を感じる。妻も宏も勤めがあり、働いていながらも心配だけは2人前にしている。「会社に辞表を出して(田舎に)帰ろうかしら」 「そこまでは田舎も望んでいないよ。そんなことまでされたら、母さんだってたまらないよ」

「長男の嫁はつくづく嫌ね。結婚しなければよかった」 「それは言うなよ。どうせ日本は長男か長女がほとんどの国なんだし、。」 感情が高ぶるとすぐ、この議論になってしまう。冷静になって待つ必要があった。

何日か後になって 電話がつながった。近所の方々に相当御世話になっている様子だった。母は自転車に乗れないし、もちろん運転も出来ない。病院は西条町(現在の東広島市の中心部)のはずれにあって、実家から30キロ離れており、バスを使うと往復5時間はかかる。

宏は一晩考え、翌朝5時前に起き上った。「今日の結婚式への参列は取り止めて、田舎に帰るよ。病院の送り迎えだけでも助かるはずだ」 「それなら私が帰る!」 「・・?、そうしてくれるか。すまん。」

話はすぐにまとまり、妻が支度を始めた。この夫婦の行動力には目を見張るものがある。30分後には妻は電車に乗り、広島に向かっていた。昼頃には広島駅から「これから田舎に向かう」という電話が入った。その連絡を受けた後、おもむろに、宏は部下の結婚式へと(何事もなかったかのような顔で)出かけて行った。

妻は田舎で大活躍 をしたらしい。一週間後、「今夜12時頃、駅まで迎えに来て!」という電話が入った。その日は「体育の日」であった。妻の帰りを待っていると、突然、マンションの階段を駆け上る足音がしてきた。妻であった。

「ただいま」 「どうしたんだ。電話をかければ迎えに行ったのに」 「電話をかけてる暇がなかった。タクシーで帰って来た」 手荷物の紙袋などが破れており、服も乱れ気味であって、一種異様な雰囲気が漂っている。妻は興奮気味に話し始める。

ちょっとちょっと、事故に遭ったの。正面衝突で、相手の運転手は血だらけになってたの」 「どこで事故を見たんだ?」 「田舎でよ。乗ってたのよ、そのバスに」 「なに、バスが正面衝突? それで、怪我はなかったのか」 「私は運転席のすぐ後ろに座っていて、前を見ていたのよ。ちょっと眠かったけど、薄目を開けて前を見ていたら、向こうから来た乗用車が急にバスの前方に曲がって 飛び出して来たの。

『 危ない。ぶつかる!』と思った瞬間に手すりを握ったの。"無傷"だったのは私だけで、隣の男の子は頭を抱えて「痛い。痛い。」て、泣いていた。後ろの方に座っていたおばあさんは、通路に転がって倒れていた。」 「それでどうなったんだ」

乗用車はぐちゃぐちゃに壊れてた。バスの運転手もちょっとの間動かなくなってたので、窓を開けて叫んだの。『済みませ~ん。助けて下さ~い。警察に電話して下さ~い。救急車呼んで下さ~い。』

「でも冷たいもので、なかなか止まってくれないのよ。坂を登ってくる対向車線の車が数台通り過ぎて行ったわ。薄情なものだわ。下りの車はバスが進路を塞いでるからスピードを緩めて追い越そうとするでしょ。その中の一台の赤い車がやっと止まってくれたの。」(窓を開けて顔を出してくれたらしい)。

「『 警察に電話して下さい。救急車を呼んで下さい。』と叫んだら、頭を大きく縦に振ってくれたの」 「それで救急車は来たのか?」 「分からない。私、"非常口"から出たのよ。運転手が気が付いて、大丈夫ですかって話しかけて来たの。『今、警察を呼んでもらうように頼んだから、救急車も来る。』と、言ったの」

「久美子、おまえは本当に大丈夫だったのか」 「ちょっと腕を打ったみたいだけど、大丈夫だった。他の乗客は6人いたけど、みんな痛がっていた。運転手と一緒に、倒れている人を起こしてあげたりしたけど、気が気じゃなかった。だって、東京に帰る新幹線に間に合わなくなるでしょ。

運転手は、『あんたには居て欲しいんじゃがのー』と言ってて、悪いとは思ったんだけど、『東京に帰らなければならないので、ごめんなさい。豊栄の大山と申します。私、見てましたから、何か必要でしたら、明らかに向こうが悪いと証言してあげます。電話して下さい。』と言ってあげたの」 「それで?」

「バスのドアが開かないのよ。それで運転手が"非常口"を開けてくれて、そこから出たの。(衝撃のため)バスも路肩に寄っていて、谷底に落ちそうだった。落ちてたら私も、無事じゃあ済まなかったと思う。」

「久美子は本当に何ともなかったのか?」 「大丈夫よ。この通りピンピンしてる。」 妻が飛び跳ねてみせる。 「3日ぐらい経ってから痛くなることだってあるから、気を付けてなさいよ。それにしても不思議だねえ、一人だけ無傷だなんて

「この子はまだ生かして置いて、親の面倒を見させなければならないから、今死なせる訳にはいかない、と、神様が思われたのよ、きっと!」 「そうだろう。そうだろう。無事で良かった」 「アッ、そうだ。お母さんに電話しとかなきゃあ。」

谷底に向かって開いた非常口から出た妻は、バスにしがみつくようにして回り込み、アスファルト道路に出た。乗用車の運転手も気になるので、前に回って見た。目を覆うようなつぶれ方で、若いドライバーの鼻からは血が流れ出し、目は開いたままだった。首の辺りの血管がピクピクと動いていたので、まだ息があるらしい。

エンジンから煙が上がり、油も道路に流れ出ていた。バスの運転手も非常口から出て来て、車に火が着かないようにと、ブルンブルンと動いているエンジンを切ろうとした。が、どうしようもなかった。幸い雨が降っていて、煙は段々と治まっては来ていた。

何時までも見ている訳にはいかなかった。事故現場の横を何台もの車がすり抜けていった。『済みませ~ん。止まって下さい』と叫んでいる女性を避けるようにして通り過ぎるとは、何とも薄情な世の中だ。

濃い緑色の車が止まってくれた!「済みません。どうしても新幹線に乗らなくてはいけないのですが、乗せて下さい」 「どこまで?」 「西条駅までお願いします」 「そっち方向には行かないんだが、。そこから先、どこまで行くんだ?」 「広島駅から新幹線で東京に帰ります」 「ちょうどいい。広島駅まで送ってあげよう。乗りなさい」。

45歳くらいのおじさんだった。白竜子カンツリークラブ(ゴルフ)からの帰りだった。久美子は名前を聞いたが、教えてはくれない。「 困っている時はお互い様です。」 有難いと感謝したが、それでも何か、お礼がしたかった。

田舎から沢山の"おみやげ"を貰ってきていた。事故の時に紙袋も破れ、柿や栗なども散乱し大半は失っていたが、幸い手元に"栗が一包み"が残ってる。それを差し上げて、新幹線改札口の方に駆けて行った。

『救急車が来たかどうか?』心配であった。名前と電話番号を運転手に教えてあった。『突然、警察から(田舎の母に)電話が入って、仰天されても困る。』 広島駅まで送ってもらったお陰で、少しユトリの出来た妻は、電話してみた。

「あなたは無事だったの?どこも怪我してないの?」 「私は大丈夫。不死身だから」 「今は大丈夫と思っていても、後で後遺症が出て来ることもあるのよ。・・・」 「それじゃ、東京に着いたら、もう一度電話します。」

自宅に着いてから、突然思い出したように掛けた電話が、それであった。

後日談では、若い運転手は亡くなったとのこと。19才の若さだった。バスの運転手も入院したとの事。 地方の出来事で、中国新聞にその事故の記事は載ったそうである。 但しその記事には「乗客が6人」となっており、全員重軽傷を負って、運転手と一緒に入院したと出ていたそうで、一人、現場から消えた女性 がいたことには触れられていない。

2日後に田舎から電話がかかってきた。「もし後遺症が出て来た時に、乗客リストに記入されていないと困るので、私が電話を掛けといてあげる。」 宏の母の言葉である。その後、宏の母は俄然元気が出て来たようで、あちこちに電話を掛けまくって、妻を乗せて広島駅まで送ってくれた"親切なおじさん"を突き止めるところまでやった模様であった。

この事件のお陰で肝心の父の陰(話題)が薄くなったが、歩けるまでに回復した。74歳。まだ、お腹には"膿み出し用の管"が取り付けてあり、体力が回復したところで、「本格的な手術」だそうだ。

その時は、妻も手伝いに帰るし、宏も帰ることになるであろう。 まだまだバタバタした日が当分の間、続きそうだ。

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2009年6月 2日 (火)

33)、スペイン(バルセロナ)からの便り

便りがないのは元気な証拠だ。ハガキは1週間はかかる。そろそろ来るんじゃあないか」と言ってた宏も、いささか心配になってきた。
「あれだから、電話をかけるだの、ハガキをすぐ送るだの言わなければいいのに。・・」
ひょっとして何かあったんだろうか?
 帰国する頃になっても連絡が入らなければ、探しに出かけることになるかもしれない。

 出発から10日後になって初めて電話がかかってきた。
妻が嬉しそうな声でしゃべりだすと同時に、小言も言っている。
「何をしてたの。こっちは心配してるんだから。」
「・・・」
「それでどうしたの」
「・・・」
「そう」
「・・・」
「ふーん」
「・・・」
「それで?」・・・と、何を話しているのか皆目見当が付かないが、安心した。
後で、『 電話の掛け方が分からなかった 』らしいと聞いて、納得できた。
東京のように電話ボックスの多い都市は、ヨーロッパでは稀。
唯一イタリアの観光の島カプリでだけ新品の電話ボックスが目に付いた。(携帯電話が発達した現在では、それもどうなっていることやら?)
 数日後に、マドリッド消印の絵ハガキが届いた。

『(-7.9.94消印) お父さん、お母さん、由美ちゃん(次女)へ 電話しなくてごめんなさい。(これが着くころにはまだ電話してないかな)。初日から、いきなり回りまくってしまった。といっても、空港で知り合いになった Hong Kong(ホンコン)の男の子二人と、とても馬があって、一緒に回ったんだ。彼ら、仲々行動力があって、面白い。
『もちろん会話は英語です。彼らについて行ったお陰で 9/3 は宿がYouth!(ユースホステル) 650円で朝ご飯まで付いてきた。そして、9/4 は Toledo(トレド)という小さな町に来て、4000円のホテルにいます。今日も色んな所に行ったんだけど、ちょうど道を聞いた(私がよ)女の子と、英語+スペイン語混じりの会話で、一緒にごはんを食べたりと、仲々Good!
『だって彼女は Barcelona(バルセロナ出身で、おいしくて安い食べ方を知ってるんだもん。明日も一緒に行こう!と、2人で言ってます。なんか、一人で旅行しているという感じではないです。では、ⅰAdios ! (アディオス:さようなら)』
 
( 父親ゆずりの汚い字だ。)
 その一枚のハガキを、宏も妻も、何度も何度も(穴が開くほど)読み返した( 親というものはそんなものだ )。
 電話で妻が叱ったのが利けたのか、ハガキはそれから3通届き、電話も数回かかってきた。宏と較べ、はるかに"こまめ"である。後で聞くと、田舎にも親戚にも絵ハガキを出したそうだ。

『(12,9,94 消印) 元気ですか?私はとても元気です。でも、Maria(マリア)と一緒にいた時が Peak (最高)に面白過ぎたので、なんだか一人でさびしいって感じ。でも旅行者の人や、Bar (バー:安い食べ物屋)で、ちょっとした会話は出来るようになった。
 昨日は Segovia (セゴヴィア)という所にいて、今日は Cordoba(コルドバ)にいます。Segovia では昔の水道橋が見れてよかった。本当にこれはスゴーイ!! Cordoba にはスペイン風新幹線で(しかし、とても遅い)今日来たばかりで、明日もここに居るつもりです。今は外の食べ物屋で一杯やっている所なのさ!!ではまた。ⅰHadios ! 』

 電話が入り、絵ハガキが届けば一応は安心するものの、待つ身にはつらいものがある。宏はついこの間まで待たせていた立場であって、事情も手に取るように分かるのだが、帰って来る娘の顔を見るまでは、落ち着かない毎日だった。
宏でさえもそうなのだから、妻や田舎の祖父母の心配は察しが付くというもの。
『 あのような冒険は、あれが最後かな?』
 娘の身の安全を心配しつつも、時にこっそりと、ニヤ付いていた。
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 出発から3週間と2日後、
無事、娘が帰って来た。
その夜宏は、遅くまで娘の話に付き合っていた。色んな方にお世話になったようである。
目的が宏のものとは当然違うし、女性と男性の差もある。
娘の経験してきたものの多くは、宏のものとは大きく異なっていた。
 またどこかに冒険旅行をしたくなる気持ちを抑えるのに、心の奥で苦労していた。

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32)、広島の田舎から羽田へ 今度は娘がスペイン一人旅

親孝行にはなった。』と思っている。但し、今回の帰省では父親の相手は、あまり出来なかった。相当弱っているようにも見受けられた。
ある日父は思い出したかのように、奥の方から土地の権利書や刀剣類の届出書類を取り出して来て「急な時に宏が困ってはいけないから」と言いつつ、説明してくれた。更に、実際の刀剣類の手入れ方法までやって見せてくれた。
 日本男児、父親のすることを興味深く見守ってはいたが、何かさみしい物を宏は感じ取っていた。

 今は次女を連れて、帰りの飛行機の中である。
「乗客の皆様、機長です。左手方向に富士山が見えます。ただ今、静岡県上空を飛んでおります。・・、」 丸顔の優しいスチュアーデスが手招きして、
『窓から見てごらんなさい』とジェスチャーしている。

 娘と一緒に、そのスチュアーデスの居る窓まで近付いて行き、覗き込んで見た。
記録的に雨の降らない空夏だった。雲もほとんど無く、海岸線がクッキリと見える。
ローマブ~リュッセル間で見た海岸線ほどではなかったが、それなりに美しい。
その海岸の向こうに小さな富士山が見えた。
少しだけ雲のかさをかぶっている箱庭の情景であった。
 その箱庭は静かにゆっくりと、時計回りに回転していった。 まもなく羽田である。

長女がスペイン旅行に出発

 2日遅れで 長女が広島から帰って来た。9月にスペインに行くための資金造りであろう、それから毎日、アルバイトに余念がない。
田舎でも「やめておきなさい、娘一人でなんて」と、相当言われたらしい。
妻も大反対である。しかし宏は、一人静かに応援している。
心配ではあるが、反対出来る訳はない。
『蛙の子は蛙だ。アメリカに1年間行ってて上手くやってきたんだ。やれる自信があるのだろう。なんとかするだろう。』 宏はそう思って見ている。

「お父さん、ユースの会員にはなって行った方がいい?」
「その方がいいよ。安いだけが取り柄だけどね」
「私はあまり利用しないつもりだけど、分かった。どこに行ったらいいの?」
「地球の歩き方にでも書いてあるだろ」
・・・「スペイン観光局には行ったのか?」
「何、それ。領事館にあるの?それとも大使館?」
「旅行者のために、各国が日本に開いている旅行案内所だ。青山辺りにあるはずだよ」
 「ありがと!」

 高校生・大学生ともなると、親父はけむたがられて話かけてもくれないんだそうだが、その点では宏の家庭は一風変わっている。宏が親らしくないのかも知れない。
「お父さんはすごいよ。若者が自転車旅行するくらいは珍しくないけど、その歳でねえ。感心。感心。」
誉められているのか、からかわれているのか、まるでお兄さん扱いだ。
母親に対しても同じで、こちらはお姉さん扱い。
一緒に歩いていると、友達から「あなた、この間、あそこを二人で歩いてたでしょう。あれ、従姉妹? お姉さん?」 若く見られるのだから妻は結構喜んでいる。
しかし、父親は兄さん扱いで喜んでいいものかどうか、少々複雑な気持ちだ。

「そろそろ荷物を準備しておいた方がいいんじゃないか?」
「そうしよッか。あのリュック何処にある?」
「えーと確かここにしまって置いたはずだが、、久美子(妻)!俺のリュックは何処だ?」 押入れの中を、家族総出で引っかき回している。

翌々日の朝、5時前に台所でゴトゴトと音がし始めた。妻が長女の朝食の準備を始めたのであろう。昨夜は最後の手伝いをしてやり、早めに床に就いていた。
 まだ出発には時間がある。少しウトウトした。

 急に玄関口で、げた箱を開ける音がする。あわててパジャマ姿で見送った。
クタクタのジーパンに安っぽいヨレヨレの服を羽織り、宏のリュックを背にしている。
そこにふっくらとした丸顔がなければ、勇ましい男の子の"いでたち"と見紛う。
「気をつけて行きなさい」
「アディオス(じゃあまたね)」

 その後で次女が起きて来て、泣きべそをかいている。
何か渡す物があったらしい。
「あれほど頼んでいたのに、母さんどうして起こしてくれなかったの」
「もう渡したと思ってたわよ。よく寝てたから、起しちゃ悪いと思ったわよ」
 妻と次女との口げんかが、しばらく続いていた。

 出発以降の家族の会話 は長女の話ばかりだ。
「無事に飛行機に乗れたかしら」
「まだ成田だろう。そろそろ搭乗かな」
・・・
「今、どの辺りを飛んでるかしら」
「そうだな、マレーシア辺りじゃないかな。そこで乗り換えるんだろう」
 ・・・
 宏と違い、長女には時間がある。あちらこちらに連絡を取っていたが、一番安い南回りの格安航空券を手に入れた模様だ。
「お父さんはいくらだった?」
「14万と3千円」
「ふふふ、勝ったね。私は9万と5千円」
「南回りだと時間がかかるだろう。乗り換えもあるし、父さんは自転車が行方不明になっちゃ困るんでね。」
「そうだったんだ~。マレーシアで行きは4時間、帰りは16時間も待ち合せ時間があるんだ。降りようか」
「16時間もあれば、クアラルンプールで市内観光が出来るだろうね。だけど空港を出たら1万円余分にかかるんじゃないのか」
「え~、そうなの?」
「父さんの場合はそうだった。よく調べといた方がいいよ」
「わかった」 ・・・

 「向こうに着いたらすぐ電話かけるからね。父さんはハガキ一枚しか送って来なかったけど、私は出すからね。安心して待っててね。」
 そう宣言して出て行けば、期待して待つのが人情だ。
しかし待てど暮らせど、着いたという電話がかかってこない。
5日経っても、1週間経っても、電話どころか絵ハガキ さえも届かない。

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2009年5月30日 (土)

31)、ソレントからポンペイの町へ

「それからどうしたの。ソレントへ渡ったんでしょ?」 「そう、次の日の朝早く島を抜け出して、ソレントに回って行った。母さんたちも確か、ソレントには行ったんだよね」 「一晩泊ったのよ。カンツォーネをオペラ劇場で聞いた。すごい迫力だった!」

「僕は通過しただけ。でも、港は特徴があって、それなりに良かった。街は絶壁の上にあるんだよね。町から港まで、長い長い溝のような下り坂があって、ちょっと面白い雰囲気だった。」 ・・・、

カプリ島で散財してしまって、手持ちのお金(リラ)がほとんど無かった。万一のために持っていたドルで、ホテルの支払を済ませようとは試みたが、「あなたは昨日の交換レートを知っているか?」 「いいや、知らない( "リラ"と"ドル"の交換レートなんか、毎日宏が見ている訳はない)。」

「銀行で替えた方が賢明ですよ」と言われ、船賃だけをわずかに残してリラを使い切っていた。銀行を探し当てての"交換手続き"である。 「どこから来たのか?昨夜どこに泊まっていたのか、書きなさい」 「どこって、島から来た。ウーンと、カプリ島だ(すぐ名前を忘れてしまう)」

どこに泊まっていましたか?」 どこでもいいじゃないか、と思うぐらいにしつこい。まるで尋問である。ホテル名は、白い猫という意味であったことは覚えている。もっとも白い猫の代わりに、朝食時に"黒猫"が足元を走っていたが、。「ホワイトキャットだ。ホワイトキャット」 「 ? 」 「有名なホテルがあるんだ。そこに泊まった。ウーンと、ガット(=キャット)・・、そうだ。ガトビアンコ」

真黒に日焼けして風体の良くない宏が、前夜泊まったホテル名を思い出すのに苦労しているのを見て、周囲の人達が笑っていた。お陰でこの"ガトビアンコ"というホテル名は一生忘れられない名前となった。

ソレントからナポリまでは約80キロある。海岸沿いの曲がりくねった道は、ゆっくりとした登り坂で、かなり高い絶壁の上の町"ソレント"は段々と低くなり、遠ざかって行く。海の色を含めて仲々の絶景であった。

ポンペイの遺跡 は、ソレントとナポリの中間地点にある。その日はよく晴れており、進行方向にベスビオ山が見えてきた。その山に向って走る。休息も十分であり、久しぶりに気持ちの良い汗が流れ出る。

遺跡内には自転車は持ち込めない。駐車場に自転車を預けて入場し、4時間ぐらい歩き回った。『 なるほどこれが、有名な(悲劇の)ポンペイの遺跡か 』 隅々まで見て回った。轍(わだち)の跡はあまりに深く、どうしてそんなになるまで修理しなかったのか不思議であった。野外劇場跡は敷石の色も鮮明で、古代世界の想いが漂っている。

ドイツの修学旅行生であろうか、男女混合で20人位がその野外劇場の石段に座り、ふざけ合っている。その内に、一人の女の子が皆に奨められる格好で中央に進み、プリマドンナを演じる。仲々の声量で、即興にしては上手過ぎた。皆にまじって宏も拍手を送った。

一瞬にして死の町と化したポンペイ! まだ発掘中の場所もあり、規模の大きさに唸らされる。発掘遺体も数体展示されており、生々しさは恐いくらいであった。

ポンペイからナポリまでは石畳の道が続き、渋滞がどんどん酷くなっていく。排気ガスも酷い。それでも宏は自転車で良かったと思う。あれがバスなら、まいってしまうだろう。自転車の旅は自由そのものであった。

翌朝、昼前にナポリを発ち、ローマのテルミニ駅には3時頃、到着した。駅の近くに宿をとり、半日ばかりのローマの休日を楽しむ。もちろん、有名なスペイン広場も、サンピエトロ広場も訪づれ、コロッセオ、フォロロマーノ、バラティーノの丘も見て回った。

規模の大きさには"びっくり"。 こんな文明が紀元前に起こることも驚異だが、その強大な帝国が滅んでしまう歴史の流れも不思議なものだ。

ローマの交通事情は良好であり、10時過ぎまで自転車で動き回って、ヨーロッパ最後の夜を満喫した。共和国広場では、あるレストラン専属のバンド演奏が行われていて、広場中央の噴水のほとりで、宏はいつまでも聞き入っていた。

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2009年5月29日 (金)

30)、カプリ島に来てしまった。

眠かった。安上がりだとは言っても夜行列車は疲れるし、充分な睡眠は取れていない。身動きできないほどの交通渋滞に飽き飽きして、王宮前の公園ベンチで仮眠を取った。 「どこか静かな所でゆっくりしてみたい」と思っている内に、衝動的に船に乗ってみたくなった。

大きな観光船が出入りするナポリ港は、すぐ近くにある。これまでケチケチしてきた反動で、宏はジェット高速艇に乗り込んだ。当時1000リラ≒80円で、片道 2400円。 自転車持ち込みのために、2人分の券を買わされてしまった。

ナポリの近くに"ベスビオ山"がある。一瞬のうちに古代の都市ポンペイを滅ぼしてしまったというその山を、海から眺めてみたい。島からはソレントに回り、そこから海岸線に沿ってポンペイの遺跡に立ち寄りながらナポリに帰ってくるという"にわか計画"だった。

生憎(あいにく)と薄雲が出ていて、ベスビオ山はクッキリとは見えなかったが、世界的に有名な観光地を結ぶ高速艇の中である。案内書通りの眼を見張るような美人、スクリーンから抜け出して来たかのような ソフィアローレン張りのセンスの良い女性が、長い金髪を風になびかせていた。

到着した島は"カプリ島"であった。小さな絶壁の孤島が近づくに連れて、『えらい所に来てしまった。』という自責の念にかられた。『このまま引き返そうか?』とも思った。自転車とは無縁の島ではないか、という"恐怖"が背筋を走ったのだ。

まあ、せっかく来たのだからと思い直し、一泊して帰ることにした。(日本に帰ってから1週間後、河野副総理がナポリサミットの合間をぬって、この島を訪問したとの報道を耳にし、『そうだろう。やっぱり有名な高級リゾート地だったんだ。』と、宏は遅ればせながら、一人納得したのであった)。

6月21日、 柔らかなベッドの上で目が覚めた。ナポリ近くにあるカプリ島のガトビアンコ(Gatto Bianco:白い猫)というホテルだ。年齢相応で、分不相応なホテルであった。そもそもが、島に渡ろうなんて思いつきで、切符を買ったのが間違いの始まり。自転車持ちなので2倍の料金を払い、ジェット高速船に衝動的に乗ってしまった。

『そのまま引き返すのはシャクだからと泊まったのがこのホテル。島の中腹に位置するこの有名なホテルは、島住民の誰もが知っていた。本日この島には、日本人は私だけだろう。とにかく眠かった。昨夜は夜行列車であり無理からぬ。島の坂を登った疲れもある。随分と暑い日だった。

『夕方、ごそごそと洗濯などを始めたが、陸に上がったカッパ同然で身動きが取れない。元々が自転車の無い(?)島なのである。タクシーとバイクが幅を利かせて走っている島。小さな島のくせにフニコラーレ(登山鉄道)が港と岡の上とを結んでいる。』

しかたなく今日は自転車を置いて、歩くことにした。

両手がしびれている。むくんでいる。毎日の振動で、自転車もカメラも相当の衝撃・衝撃を受けているのであろう。 とうとう日本から持ち込んだタバコが切れ、Marlboro を購入した。島のタバコ屋は少なかった。タバッキーと呼ぶらしい。

『ヨーロッパに来てほとんど見かけなかった散髪屋が目に留まった。イタリア北部で一度、本格的に探したが見つからず、あきらめていた散髪だ。"散財"ついでに入った。 意外に安かった。(1600円位)。鏡に映る明るい海を眺めながらのヘアーカット。ここの散髪屋のおじさんは英語が話せた。』

夕食を簡易レストランで済ませ、宏は島の端までぶらついてみた。"端"というのが300メートルはあろうかという絶壁であり、その絶壁にへばりつくように取り付けられた道だ。遥か下方にエメラルド色の海が見え、歩いていても少し恐い。

夕日は沈みかけていて島に灯がともり、綺麗な夜景に変わっていった。 13夜(いざよい)の月が出ている。 思えば満月の日に旅を始め、次の満月の日に終える。宏に取っては長い長い旅であった。充分に旅を満喫できたチャージ休暇であった。

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29)、ナポリ、卵城、サンタルチア港

宏の両親は十数年前にヨーロッパ旅行ツアーを楽しんで来ている。その母が久々に田舎に帰って来た宏に話しかける。「宏ちゃんが送ってくれた日記は面白くて、3回も読み返したよ。最初はざっと、その次はじっくりと読んでみた。3回目はお父さんが地図を出して来てくれたので、二人で地名を探しながら、ここかな?あっちかな?と、確かめながら読んだわよ。」

「3回も読み返してくれたの?そりゃあどうも有難う。疲れたでしょう」 「下手な小説よりもはるかに面白かったわよ。自分の息子が行って来たということもあるし、私らもヨーロッパ旅行をして来ているでしょ。特にスイスの山越えをしていく辺りの情景は良く分かる。私らは登山電車だったけど、本当に山肌にへばり付くようにして登って行くんだよね。もし元気だったら、もう一度、行ってみたいけど、もう駄目だよね」

「そんなことないよ。電動の車椅子でも買って、遊び回ればいいじゃないの」「・・、ところでローマやナポリにもいったんでしょう、私らもいったけど」「うん、行ったよ」「旅日記では省略してあったけど、その時の話をしなさいよ。ピサ駅前から夜行列車に乗ったんでしょ。あれからどうなったの?」

「あれから夜行列車に乗り込んだんだけど、特急寝台列車なので、自転車を置く場所がないんだ。切符を買う時に自転車を持ち上げて「これを持ち込むよ」と言ったんだけど、駅員がひどく怒った顔をして、何やら喋ったんだ。・・、」

何となく駅員が、「それをおれたちに運んでくれというのか。自分で運べ!」と言ったように思った。切符はくれたし、別料金の請求もされなかったので、それ以上にこだわるのは止めた。

その寝台列車は、ひとつのボックスに3人並んで眠れるようになっていた。他の二人が気軽に許してくれたので、自分の足元に自転車を置いて眠ったが、ちょっと窮屈ではあった。 4時間ぐらいは寝たのだろうか、明るくなって目が覚めた。

特急列車は停まる駅も少なく、猛烈な勢いで朝もやの中を飛ばしている。通路に自転車を出してタバコをふかしていると、たまに人が通る。その度に自転車を片寄せながら、申し訳なさそうな顔をふるまっておいた。

朝の6時過ぎに、その列車はナポリ駅に到着した。天気の良い日であった。自転車をバックから取り出して組み立ててはみたものの、「さて、これからどうしたものか」と思案顔。予定がないのであった。 ナポリ中央駅前は非常に長く広がっており、まだ、眠りの中にあった。『とりあえず朝食だ。それから海岸に出てのんびりしよう。』 ゆっくりと動き出した。

カプアナ門(中村慶一郎さんが日本テレビ(4チャンネル)で、ナポリサミット報道で背にしていた建物)の近くで、コーヒーとパンを腹に収めた。 段々と人や車の往来が激しくなってくる。そのデコボコした石畳の道を、南西へと進む。

ニコラアモーレ広場、ボヴィオ広場を経由し、ヌォーヴォ城、サンカルロ歌劇場前を通って、王宮前に達した。王宮前広場付近は大改修工事の最中で、動くこともままならない様子だった。

「ナポリの交通渋滞は半端じゃない」と聞いてはいたが、東京の比ではない。(後で宏は、2週間後にナポリサミットが開催されることを知ったのだが)、その追い込み工事が交通渋滞を想像を絶するものにしていたようだった。

小高い丘の上にあるサンエルモ城 は、王宮前広場からもよく見える。海岸に出た。歌で有名な、サンタルチア港である。その小さな港の向こうに卵城(Castel dell’Ovo)が、朝日をいっぱいに浴びながら、どっしりと構えている。海に突き出た城であり、懐かしいサンタルチア港を懐に抱え込んでいた。

城の門は衛兵で固められていた。 穏やかな朝だった。卵城に渡る橋の近くで、父と子が素潜りで貝を取っていた。宏はしばらくの間、その風景をただボーっと眺めていた。 地元の老人が、「その貝を売ってくれ。いくらだ?」と交渉しており、見ていて面白い。

その老人が宏を手招きする。ついて行くことにした。卵城には入らず、その横にある路地裏に、どんどん導かれて行く。夕方には賑わうであろうその路地裏も、今は朝の準備中で、自転車を押す東洋人の男(宏)と、地元の御老人との散歩は人目に付いた。(奇異な目で見られて少し恥ずかしかった)。

そんなことにはお構いなしで、老人は手招きを繰り返したり腕を引っ張ったりしながら、宏を連れ歩く。レストランの中庭や堤防伝いにも歩かされた。イタリア語なのでよくは分からないのだが、何となく、「ここで自分の息子が働いている」だとか、「娘が勤めている店」だと喋っているのように思えて、適当に相槌(あいづち)を打ちながら付いて歩く。

ヨットがたくさん停泊するサンタルチアは、小さな港ではあったが、歌にあるそのもので、明るく眩しかった。

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2009年5月25日 (月)

28)、東急東横線、菊名駅にて。At the ‘Tokyu-Toyoko-Line’, ‘Kikuna’ station ran by "Kestrel".

 菊名駅、毎日ここで、宏は電車を乗り換える。 少し待ち時間があるので、汚い字が乱雑に並んでいる例の手帳を取り出して、解読を試みようとしていた。 突然横っちょからD重役に声を掛けられる。「さっきからここに座っているのに、また俺を無視したな。」 「?、済みません。気が付きませんでした」 「何を読んでるのかと思ったら、ははー、旅の記録か」
「そうです。えらいところを見られてしまいましたね」 「仕事もしないで、とんでもない奴だな」 「そんなに虐めないで下さいよ。旅行に行く前には『 帰って来たら今度こそ例の技術論文をまとめるぞ 』と思っていたのですが、なかなか着手できません」
「全く変わった奴だな、お前と言う奴は」 「すみませんね。こんな変わり種で。」と、短い会話を戦わせる。D重役は菊名から一つ先 JR新横浜駅で降りられる。菊名で鉢合わせになることは滅多にないのだが、えらいところを見つけられてしまった。
 田舎の母 と話す妻の声が、聞こえてくる。「・・旅行から帰って来てからというもの、宏さんは憑きものが落ちたように、仕事に精出しておられますよ」「・・・」  早く帰宅できた夜と、土・日、宏は日記のワープロ化に追われていた。仕事も要らぬことに気を使うことなく、落ち着いて出来るようにはなっていたが、妻が「仕事に精を出している」と見たのは誤りであって、内実は旅行後の整理作業だ。
(高校時代)下宿生活をしていた頃「字が汚い」のを直すために、母に命じられて日記をつけ、それを母に郵送する習慣があった。そんなことは暫くぶりではあったが、半分は親孝行のつもりで日記をワープロ化し、送ろうとしていた。口だけは達者だが、数年前から寝たきり老人に近い。『暇つぶしにちょうどいいだろう。旅の間の1か月間、ハガキ一枚送らなかったのだから。』 
  顔の黒い人
 
何日か後、菊名駅でD重役とまた会った。 宏は考え事をしながらホームを歩いていて、それが重役だとは気が付かなかった。ベンチはみな塞がっている。『しかたない。立って待とう』 と、頭の片隅で判断し、通り過ぎようとした。
その時何か視線を感じて振り返ってみると、顔の黒い人がこちらを見ている。ニヤリと笑って、またムッツリ顔になる。どこかで会ったような気もするが分からない。またニヤッと笑う。『誰だったかな?』 黒い顔に黒っぽい服で、ブスッとした横顔はなんとも薄気味悪く、あるイメージを連想させる。
『D重役に笑った顔は似ているんだ。しかしムッツリ顔は似ていない。第一、こんな顔の黒い人は、私の知人にはいないはずだが、、』(その時読書用のメガネをかけていて遠くが良く見えない宏は、いぶかしげに(慎重に)近付いて行く。
あの~、どなたさんでしたっけ」と言いかけて怒鳴られた。「おまえはまた俺を無視するのか」。その声でやっと分かった。「D重役でしたか。これは失礼しました。あまりにお顔が黒くて別人だと思ってました。ゴルフ焼けですか?どこに行っておられたのですか?」 「まあそんなところだ」
 電車がホームに入ってくる。「そう言えば最近、お見かけしませんでしたね。チャージ休暇中だったんですか?」 「たった5日間だけだ」 「前後の土日を合わせて9日間ですよね。そりゃー良かった。アメリカですか、それともカナダ? 両方かな?」
「ハハハ、それなりに楽しんで来たよ。お前ほどではないけどね」 「ところで若専務も今チャージ休暇中ですって?」 「そうなんだ。アメリカ辺りで羽を伸ばしているみたいだよ」 「若専務自身が提案なさった制度です。大いに青春を謳歌してきて欲しいですね」
 たった一駅であり、D重役は降りて行かれる。『まいったな。D重役だったか。あの黒さはなんだ。てっきり別人(やくざ?)かと思った。自分もあんな顔だったのかな? いやもっと黒かったらしいぞ。」
 旅行から帰って来て既に3週間は経っていた。
会社と家庭との往復の毎日であり、宏の顔からは"黒さ"が抜け、普通の黄色人種並みの顔色に戻っている。むしろ青い顔に近かった。意識して野外活動をしない限り、都市での生活では、本当に陽に当たる機会が少ないのだ!

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2009年5月20日 (水)

27)、"机"はあったが、"仕事"は無くなってた?I was doing, I was still working desk was gone?

 荷物や持ち帰った宿の領収書の整理を行いつつのワープロである。真夜中までかかった。 次の日の月曜日、さっそうと会社に出かけた宏は、会う人ごとに、「どうしたんだ。まっ黒じゃないか。何をやって来たんだ?」 と、一様に問いかけられた。
「ヨーロッパを自転車で駆けって来たんだ。実に面白かったよ。2500キロ!」 「ヘーッ どの位行ってたんだ?」 「チャージ休暇の1か月、丸々行ってた。昨日の朝、成田に帰り着いたところだ」 「一人で行ったのか。奥さんが怒ってただろう。勇気あるなあ。よく許してくれたな」
 確かに妻は心配もしただろうし、腹も立ったであろう。お土産くらい、ダイヤでも何でも買ってきてやれば良かったのだ。チャージ休暇を安くあげるためにユースの会員になり、野宿もした。しかし、お土産くらいはケチらなければ良かったのに、と、反省している。
直接の上下関係にはないが、通勤電車で度々一緒になる気さくなD重役が近付いて来られた。「おッ、無事生きて帰って来たか。お土産は無いのか。気の利かない奴だな。後で土産話くらいきかせろよな。」
 有難いと思った。まさか電車内の"おふざけ話"を記憶しておられ、帰って来るや否や、声をかけて下さるとは感激であった。即次の日、ベルギー・コインを届けておいた。 このD重役は2ヶ月後に一週間のチャージ休暇を取られたのだが、突然に「ハイ、お土産!、お返しだ」と、アメリカ・コインを持って来られることになる。そんな気さくな重役であった。
 直属の上司が近付いて来て、大声で宏に話しかけられる。「おおッ!真っ黒だな。自転車は無事だったか?」 「お陰様で、荷物台がこわれただけで済みました。」 「そりゃあ良かった。心配してたんだ」 「長い休暇をいただき、有り難うございました」
  机の上は回覧書類の山であった。
 
少しづつ目を通しながらかたずけ始めた。直属部下の係長を一人づつ呼んで、休暇中に何か変わったことはなかったか、と尋ねる。「何もありません」 「コンピュータ設備稟請の方は、その後どうなっている?」 「一向に進展していません。大山課長がやられた計算の根拠が分からず苦労しました」 「それは御苦労様でした。後で、その書き直した資料一式を見せて下さい」
 課内会議でも、「何か変わったことはなかったか」と課員に聞くが、異口同音に「ありません」との返事。?? 半ば、本当に何も進展していなかったのだと信じて、宏は書類の山をかたづけている。 2日経ち、3日経ちする内に、どうも妙な事に気が付く。
訳の分からない委員会名が書類のあちこちに出て来るのだ。『このEIS委員会というのは何なんだ? 「エイズ」とも読めるが、・・?』 まだ宏は積み上げられていた書類の全部には目を通していない。『彼なら知っているかもしれない」と、他部門のE課長に聞いてみよう』と、階段を下りて行った。
「あれ、知らなかったんですか。今度出来た委員会ですよ。部長会議で承認された資料が配布されていたでしょう?一般回覧でも回っていますよ。これですよ」 「わかった。まだ書類の下の方に埋もれているのだろう。ありがとう。」 自分の席に戻って書類を引っかき回して探した。「 あった!」
 なんと、休暇中に、宏が主宰して2年2ヵ月続いたコンピュータ関係の委員会が(エイズに侵されて)消えて無くなり、新しい委員会が発足していた。それがEIS委員会であった。更に消えていく委員会の解散会を近日中にやる予定になっていた。
 いっぺんに目が覚めた。 自分では『休暇ぼけも無く、現場復帰が早い。』と思っていたのだが、この丸3日間、眠っていたことになる。部下達もひどいもんで、御承知かも知れませんが・・と教えてくれればいいものを、と一瞬思ったが(怒りの気持ちはなく)、笑い出してしまった。
その気で周りの人達を観察すれば、課長である自分をすっとばして仕事をする習慣が付いているのに気が付く。『そりゃそうだろう、1ヵ月も居なかったんだ。自分が居なくても会社は動いて行くんだ。』 笑いが止まらなかった。
 一人机に座ったまま、『なるほど、形上の席は残っていたが、本当の席は無くなっていたんだ』 と、しばらくニヤニヤと笑っていた。 が、そう笑ってばかいもいられない。部下の掌握と、とりあえず"旧"となる委員会の解散式を、丸く収める準備に取り掛からなければならない。
 誰かが、「1か月休めば、現場復帰のリハビリには、1か月かかるよ。」 と挨拶していた。『そうかも知れない。』 素直にそう思った。 折しも睡魔が襲ってくる。「眠くてしょうがないんですが、どうしたもんでしょうかね?」 苦し紛れに度々海外に出かけられる隣席の御年配に、話しかけてみた。
「そりゃ時差ボケですよ。ヨーロッパに1か月も居たのでしょう、身体の方があちら時間に慣れ切っていますから、治るまでには、まあ1週間はかかるでしょう。気長にやりなさい。」
 顔を洗いにトイレまで、何度も通う日が続いた 

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2009年5月18日 (月)

26)、アッ、それは私の自転車だ!(チャージ休暇報告)。Abbas, that's my bike! (Charge vacation reporting)

 イタリアのサンピエトロ広場であろう、宏の自転車が向こうの方にある。 警察の車が2台、その方向に向かってスーッと近付いて行く。 「アッ、それは私のビチグレッタ(自転車)だ~」 と、あわてて走り出そうとして 目が覚めた。 自宅のベッドの上であった。
 昨夜の飛行機は悪天候のため相当激しくゆれて、ほとんど眠れなかった。自宅に帰り着くと挨拶(あいさつ)もそこそこに、眠りこんでしまったのだった。 またウトウトとする。向こうの部屋で妻が誰かに電話をかけているようだ。
「・・、主人ときたら、この1か月の内に、ハガキをたった1枚送ってきただけで、電話一本かけてこなかったんですよ。」 「・・・」(相手の反応はわからない) 「ええ、安心はしました。でも腹も立ちますよ。約束したダイヤのネックレスは無かったし、・・・」
 苦笑いしながら聞いていたが、起きていくのも面倒で、また少しウトウトする。そのまま夜まで眠りこんでしまった。 『 アッ、もう出発の時間だ!』と思って、また飛び起きる。 何か猫のような柔らかいものが足に当たった? 妻の足であった。『そうだ、もう無理やり走り出さなくてもいいんだ。』 と、ホッとする。
 今日は日曜日。『ゆっくり洗濯でもしながら、明日からの会社生活に備えよう。』 そう思いながら、また横になった。 長い長い旅であった。長い夢を見ていたようにも思える。休暇中の出来事だけでなく、自分のこれまで歩んできた人生のすべてが、夢であったかのような気分が残っている。
 何とか無事に我が家に帰り着き、寝不足を解消した宏は、おもむろに荷物の整理を始めた。宿で、その日その日の洗濯をする習慣がついており、汚れ物はそんなに多くない。それでも道中で買い込んだズボンなど、荷物自体はかなり増えている。
 娘が分解式の宏のリュックを見て、「スペインに持って行きたい。貸して!」と言っていた。これも洗ってやることにし、洗濯機に放り込んだ。すべて手洗いである道中に較べ、なんと文明の利器とは便利なものか!
 肌身離さず持ち歩いた手帳を開いてみる。
改めて読もうとすると、判読できない位に汚い字で、量もかなり多くなっていた。久々にワープロに向かいキーをたたき始める。3,4枚打ったところで止めた。『この分では何日かかるか分からない。会社への休暇報告書を先に作成しておかなければ、明日からの仕事に差し障りが出る。』 もうすでに会社人間の思考に戻り始めていた。
チャージ休暇報告 ヨーロッパ自転車縦断の旅
  
  1994年 6月27日 大山宏
 このたびは、チャージ休暇を有難うございました。20才代が終わりかける頃からずっと夢見、半ばあきらめかけていた夢を実現することができました。休暇制度が設けられてから3年以上が経過しますが、その間もこの歳(46才)で、はたして可能かどうか直前まで迷いました。「年甲斐もなく」という気持ちを振り切り、実行出来、本当に嬉しく、心から感謝しております。
 コースはブリュッセルをスタート地点とし、北海をなめるようにオランダ西岸を北上して、アイセル湖北端に到着。ドイツのライン川下流のエメリッヒに電車で移動後、川沿いになんかを開始して、途中フランスを覗き見ながら、スイスのバーゼルに到着。
ジュラ山脈を越えて湖沿いに走り、ローザンヌ・ジュネーブへ。更にモンブランやマッターホルンなどの雪山を横目に見ながらシンプロン峠(2005m)を目指して東進。 自分の誕生日を峠で迎えた後イタリアに入国。アペニン山脈を越えてピサの斜塔をゴールとしました。走破距離:2500Kmです。
 カプリ島でゆっくりした後、ナポリからソレントまで走り、ポンペイ・ローマの遺跡にも触れて、見聞を深めることが出来ました。毎日100Kmの蟻(あり)の動きで地球の大きさと大自然の偉大さ、更には人々の生活環境に身を持って触れていくことは、直接には仕事と何の関係もありません。
 しかし、自分の体力・気力の限界を確かめつつ旅する事、語学力の向上/臨機応変力の向上に努める事などは、何らかの形でこれからの仕事に良い影響があるものと、勝手ながら思っています。
 ドイツ国内では雷を伴う大雨に何回も遭いましたが、他の国では好天に恵まれました。特に帰りのローマからブリュッセルへの飛行機では、素晴らしい快晴で、自分が走り見た山々や海岸線を"上空"から眺めることが出来ました。

 野宿をしたり、アウトバーンを走ったり、洗濯や買い物をしたり、顔色をうかがいながら異国の言葉で値段交渉をする。自分の気持ちを伝え、聞きたいことを聞き出す。こんな人情の機微にも触れながら、有意義なリフレッシュ休暇を過ごすことが出来ました。有り難うございました。
 作成、1994 6/27 Hiro. Oyama
(筆者の私が46才の時の旅の報告書でした
)

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